第3章 彼女がなりたかった夢

第7話 アイドルになる決心

「あの、今度……出かけませんか」


 いつものバイト帰り、僕には無口なはずの刹那せつながポツリと呟いた。


 付き合い始めて三週間、僕には気づいたことがある。

 刹那は人前ではあまり口を開かないのだ。


 僕の知る限りでは、彼女が唯一賑やかにお喋りをするのは家族の間だけ。

 まるで何かに怯えて生活するかのように……。


****


 時は過ぎ、二週間後……。


「あら、優希ゆうき君、おはよう。いらっしゃい」

「おはようございます」


 凛とした冷たい空気が心地よい土曜日の休日。

 名残なごり家の玄関先でお出迎えする一つの人物がいた。

 刹那のお母さんの順子じゅんこさんだ。


 白い七分袖のTシャツにフレアのキュロットスカートを履き、年齢は四十代くらい。

 黒髪の綺麗な長い髪と暴走半島のような胸に女としての色気が感じ、幼い顔をした美少女のような顔つきに振り向く男は数知れない。


 150くらいの背丈なロリとは対称的にアンバランスな大人を醸し出す甘い女性。

 僕も最初出会った頃も戸惑いながら対応していたほどだ。


 順子さんは若くして癌で亡くなった旦那さんに代わり、独り身で二人の子供を育て上げてきた。

 彼女は心底に旦那さんを愛していたのだろう。


 生みの親として血の繋がりのない男性とは一度たりとも交際することはなかった。

 自分がまた男性と付き合うのなら、子供が無事に親元を離れ、自立してからでも遅くはないと……。


「相変わらず今日も早いわね」

「そうでもないですよ」

「そうかしら。優希君の家からここまで電車で一時間はかかるでしょ。もう近所に越してきたら? この辺は田舎だからか家賃も安いわよ」

「考えときます」

「よろしい。それよりもほら見て」


 順子さんが僕にスマホの画面を突きつける。


 待受画面は床に寝そべった愛らしい三毛猫の画像だった。

 順子さんは猫が大好きで、この画像は近所の猫カフェで撮影したらしい。


「分かる? まだ朝の8時よ。

……と言うことは身支度を含めても6時くらいから起きて電車に飛び乗らないと、こんなに早くは来れないのよ?」

「そんなん気合いで何とかなりますよ。それに今日は遊園地でのデートですし」

「若いのに関心ね。それに比べてあの子は昨日も夜更かしして……」


 順子さんが頬に片手を添えて、困ったような表情をする。

 僕にはそんな順子さんの顔が可愛くて、思わず頭を撫でそうになった。


「優希君、その手は何なのかな? 未亡人になったわたくしに対してのセクハラなのかしら?」

「ああ、いやあ。頭に大きな虫が止まっていたからさ!?」

「うふふ。真っ赤になっちゃって。可愛いわね♪」


 危ない、僕には刹那がいるのにその母親さえも手中に納めようとしていた。


 刹那、こんな浮気者の僕を許してくれ……。


「さて、刹那を起こさないとね。優希君はリビングでご飯でも食べながら待っていて。どうせその調子じゃ朝ご飯もまだなんでしょ?」


 順子さんが僕の背後に回り、背中を優しく押して室内に招き入れる。

 ほんと、このお母さんには何もかもお見通しだな。


「はい。すみません。いただきます」


 僕は素直に答えて、味噌汁の匂いが漂うリビングへと向かう。


「自分の家だと思ってゆっくりくつろいでね」


 その間に順子さんは二階を駆け上がっていく。


「刹那、もうとっくに碧螺へきらは部活に行ったわよ。いい加減に起きなさーい!」


 僕とは違い、身体能力の高さが羨ましい。

 あれで子持ちのアラフォーだなんて誰が想像できただろうか。


 僕も初めて順子さんの年齢を知った時はゾッとしたもんな。

 見た目は二十代みたいだからな。


 女性には謎が多い。

 その若さの秘訣は何なのだろうか。

 男である僕にはその答えは永遠の謎となりつつあった……。


****


 遊園地の飲食ブースにて……。


『楽しかったですね』


 丸テーブルに置かれた手のひらサイズのメモ帳に書かれた女の子らしい丸みを帯びた筆跡。

 基本無表情の刹那だが、その文面からでも嬉しさが伝わってくる。

 黒を貴重としたゴスロリのようなファッションも彼女には難なく似合っていた。


「そうか。それなら嬉しいよ」


 夕暮れが様になり、大人なムードが漂う店内。

 僕は刹那とは向かい合わせに座り、飲み物を飲みながら今日のデート場所を満喫していた。

 この遊園地でのデートプランは僕が一人で考えたものだ。


 付き合って一ヶ月記念日。

 この初々しさを忘れないで、いつまでも想い出として刻めるようにと……。


『でもこの関係も今日までしましょう』


 刹那が意味深な文面を見せる。

 今日まで……つまり僕らの恋人としての関係は終わりだということ。


「どういう意味だよ。僕が告白したら凄く喜んでくれたじゃないか」


 恋人になることにお互いに同意してデートを重ねてきたのに、全て水の泡だったのか。

 所詮、最初から遊びだったのか。


 僕は八つ当たりするのを抑えつつ、手元にあったカップのストローをすする。

 飲み慣れたコーラはいつもと違い、少し苦味を加えたような味がした。


『ごめんなさい、実はそれなりの事情があって』


 大人の事情というものか。

 まだ高校生の刹那にどんな大人の事情があるのだろう。

 僕の胸のモヤモヤは拭えそうにない。


「だったら何で今日のデートは断らなかったんだよ?」

『想い出にしたくて……』


 刹那が顔を俯かせて、メモ帳に想いを書いている。

 その頬には一筋の涙が伝っていた。


『大好きな人を忘れないためにこの場所で素敵な想い出にしたかった』


 彼女は鼻をすすりながら僕の手元に切り取ったメモ帳を置く。


『私、今アイドルになるためにネットでダンスの勉強をしていているから』

『だから優希君とはもう付き合えない』


 アイドル?

 いきなり何の冗談だろう?

 確かに刹那はスラリとした体型で胸もそれなり(貧乳と言うと怒りそう)にあり、奥ゆかしい美少女だが、それとは無縁に思えるほど、人前では引っ込み思案な性格だ。


 アイドルに恋愛はご法度とはよく聞くけど、まさか僕の身にも降りかかってくるとは。

 でも泣きながら決断することもないだろう。


「もしや、片親だけだから生活が苦しいのか?」


 僕は率直な言葉を繰り出した。

 喉の奥につかえていた出かかっていたものがようやく出たような気がした。


 初めてできた彼女ということだけあり、今まで遠慮しすぎていたのだ。


 今、ここで本心を吐かないと後悔する。

 僕の冷静な心は密かに揺らいでいた。


『いいえ、それもあるけどこれは私がやりたかったこと』


 刹那の言葉を受け止めながら、僕には様々な疑問が沸き上がってくる。


『私、もっと社交的な性格になりたい』


 彼女はこれまで秘めていたことを次々とペン先から生み出していく。


 動物が好きな彼女は将来は獣医になって、沢山の動物とそれをペットとして飼う人を心から支えたいと。


 でもそれには今の無口なままの性格ではお客とは打ち解けられない。


 刹那をアイドルとしてスカウトしてきた事務所はそんな彼女の理由のために新しいプロジェクトを立ち上げた。


 アイドルとして頑張りながら、傍らで獣医の助手として生計を立てていけばどうかと。


 そう、アイドルの助手ということで宣伝効果も上がり、医者にとっても利益を生むから問題はないだろうと。


 昨日も遅くまで夜更かしをしていたのも、大方アイドルか獣医のどちらかの研究をしていたのだろう。

 まあ、これは推測に過ぎないが……。


「問題はあるさ、僕たちには関係ないだろ。僕は刹那と一緒にいたいんだよ」


 僕の言葉を裏づけるようにメモ帳が重ねられる。


『ごめんなさい』


 その最後の紙には一粒の涙が染み込んでいた。

 僕の一ヶ月に渡る恋人の儀式はここで終わりを告げたのだ……。


****


「おーい、ひびきよ。ずっとボケーとしちゃってさ。ボクの話を聞いてる?」

「ああ、ごめん。考え事をしていて」

「普通、食事をしながら悩んでる場合かな?」

「いや、あまりにもまかないが美味しくてさ」

「麺が完全にのびきったラーメン相手によく言うよ」


 バイトの昼休憩、僕と同じく休憩に入った鵺朱やすがガラスコップに注がれた麦茶を一気に飲み干して僕に突っかかる。


 小学生の頃から住む場所が離れても分かるこの気迫。

 長年過ごしてきた幼馴染みは非常に機嫌が悪い。

 何か、しゃくにさわるようなことを言っただろうか? 


「所で何の話だったかな?」

「もう、やっぱり聞いてないじゃん!」


 鵺朱が怒鳴り、僕に一本の割り箸を投げつける。


「ああ、悪いな。箸がないと食べれないもんな」

「そうじゃないでしょ‼」


 割り箸を器用に口で割り、のびた不味い醤油ラーメンを食べながら、礼をのべたつもりだが、鵺朱は気に食わないようだ。


「何だ、鵺朱も食べたいなら厨房に頼んで来ようか?」

「いらないよ!」


「ほがっ!?」


 僕の顔面にクリティカルヒットする座布団。


「そんなんだから刹那とうまくいかないんだよ」

「おまっ、どこからその話を!?」

「彼女から直接聞いたのよ! この分からず屋!」


 鵺朱が我が物顔のように苛立ちながら、休憩室から出ていく。


 何なんだ、情緒不安定なのか?

 乙女心というやつは分からん。


****


「優希君、ちょっと話があるけどいいかい?」


 今日のバイトを終えて、タイムカードを押した僕の後ろから声がかかる。


「何ですか、桂木かつらぎ店長。サービス残業ならしませんが?」

「あはは。そんなブラック企業なことは言わないさ」


 制服姿の店長が前に出てきて、笑いながら、僕の肩に手を触れる。


「そんなことよりもっと大切なことさ」

「まさか臨時ボーナスですか?」

「うーん、それはこの前あげたばかりだろう。そうじゃないよ」

「じゃあ、一週間くらい丸々有休をとっていいんですか?」

「キミはわたしの店を潰す気かね……」


 店長がため息をつき、悩ましげにひたいを押さえている。

 何があったのかは不明だが、とても苦しそうだ。


「実は刹那ちゃんが今月で辞めるそうなんだよ」

「えっ、刹那が?」

「その顔じゃあ、何も知らされてないのだね」

「はい、今初めて聞きました」


 あの別れの告白から一週間。

 刹那が早くも動き出すとは……。


「ああ、急で困ったよ。彼女は即戦力で動いてくれて、こちらも助かっていたのにねえ……」


「……彼女から詳しい理由は聞いてないかい?」

「いえ、僕からは何も」

「そうかい。キミとは仲が良かったから何かご存じかと思っていたのだけれど……」

「僕の方が知りたいくらいですよ」


 僕は少しだけ嘘をついた。


 余程の売れっ子ではない限り、アイドルの賃金は薄給だ。

 それが新人となるとなおさらである。


 刹那が詳しい理由を避けたのも店長を心配させたくなかったのだろう。


 雇い主ならもっと現実を見て、手短なウチの店で働きながら獣医を目指せばいいと。

 僕も店長だったらそう言っている。


 でも彼女は言ったんだ。

 アイドルになって自分を変えたいと。

 そのこころざしを正面から否定することはあまりにも酷に感じた。


「店長、嘆いてもしょうがないですよ。まあ、瀬井手せいでさんが新しく入ってきたからいいじゃないですか」

「その瀬井手さんは刹那ちゃんの紹介で入ってきたのだけどね……何かの陰謀を感じるね」


 店長、中々観察眼が鋭い。

 僕はそのことまで知らなかったんだけど……。


(刹那はアイドルになってまで何がやりたいんだ?)


 あまりの情報量の多さに僕の脳内回路はパンク寸前だった……。


 

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