第6話 シフトを埋めたら大惨事

『カランカラン♪』


 喫茶店に鳴り渡るベルの音色。

 暇すぎて眠気を押し殺していた僕には、ちょうどいい目覚めのサインだ。


 さっきまで繁盛していたフロアは午後の3時を向かえ、お客も少なくなってきた頃だ。


 今は桂木かつらぎ店長は銀行への用事で留守にしていて僕が一人でキッチン兼、フロアを担当している。


 店長が居なくて大丈夫か? と声が上がりそうだが、万が一に備え、すべての店員に接客や防犯マニュアルを徹底しているから心配はない。


 僕もその内の一人だ。


「いらっしゃいませ。さあ、どこからでもかかってこい、リア充カップルよ」


 僕はキャッチャーミットに収めるかのように手を大きく叩き、一組の男女のお客を威嚇いかくしていた。


優希ゆうきお兄ちゃん、何、ひとりごと言ってるの?」

「ほっとけ、碧螺へきらちゃん。優希はいつもあんな感じだぜ」


 しかし、その相手は僕の見知った二人で、片城かたじょうと碧螺だった。

 二人とも学生服を着ているということは下校帰りに寄ったのか?


「まさか、二人は付き合っているのか?」


 僕は震えた手つきになり、二人の顔を見合わせる。

 どこのおじいちゃんだよ。


「冗談言うなって、こんなガキンチョと交際できるか」

「何よ、ロリロリな人形が大好きなくせに」

「ロリは余計だろ。あの美少女フィギュアたちは男のロマンだ。それに人形と三次元の女は違う生き物だぜ。一緒にすんな」


 ロリにロマンもないと思うけど……。


 それにしてもヤベエ友人かと思っていたけど、フィギュアと現実の区別はついているんだな。

 それから片城は鼻歌を歌いながらトイレへと姿を消した。


「ねえねえ、優希お兄ちゃん、お姉ちゃんはどこ?」

「アア、オネエサマナラキュウケイダヨ」

「何、固まってんの。キモッ……」


 緊張するのも無理もない。

 これまで知り合いがこの店に訪れることはなかった。


 学校からは一キロも離れているのだ。

 駅から近いとはいえ、普通なら寄る必要はない。


 電車というものは時間に厳しい。

 何か事故にならない限り、遅れて来ることはないし、電車を利用するとなるとファミレスなんかでのんびり食事を楽しむ余裕はない。


 ここはそれなりに田舎だし、一本を逃すと一時間待ちも普通にありえる。

 そんな緊迫している時間の流れを遮ってまでここに来る必要はない。


 そう、遠回りしてまで寄る必要はないのだが……。


「ねえ、お姉ちゃんを呼んでよ」

「いくら妹さんでも仕事の邪魔をさせるわけにはいきませんし、何度も言うけど彼女は休憩中です」

「何よ、優希お兄ちゃん、何様のつもりよ?」

「従業員とお客様との関係ですが?」

「キィィー、ガチムカつくわー!」


 頭にきた碧螺が罵倒ばとうを飛ばそうが僕には関係ない。


 例え、どんな相手でもお客様。

 ここは冷静に対処しないと……。


『ゴチン!』

「あがっ!?」


 すると、僕の頭に岩が落ちたような感触が響く。

 そのまま僕はヘナヘナと床に倒れこんだ。


「あっ、勢いあまってフランス人形で頭叩いちゃった」

「碧螺ちゃん、その人形どうかしたのかい?」

「あっ、片城さん居たんですね。実は人形の服のボタンがほつれちゃって……。

だからお姉ちゃんに直し方を教えて欲しかったんだけど」


 緑の半袖のアロハシャツのボタンが取れかかったフランス人形を片城に見せる。

 それを見た彼は顎に手を当て、何かしら考えこんでいた。


「……で、オレがトイレに行ってる間に、ここで尊い犠牲者が出てしまったと?」

「これは明らかに優希君が悪いよ」

「いくら丈夫な作りでも、そんな荒っぽい扱いをしたら駄目だぜ。人形にも心があるんだからさ」


 片城の割りにはまともな意見が飛び出したな。

 窓からはいい太陽の光が射し込んでいるけど明日は大雨洪水雷注意報か?


「……心ねえ? 聞いてて怖いんだけど」

「さあ、それよりも優希を起こそうぜ。オレ達はもてなされる側のお客なんだからさ」


 二人が僕の体を軽く叩きながら、僕を目覚めさせようとしていた。


****


「──お姉ちゃん、これ直せる?」

「そうだね、ダディーちゃんの服はバイトから帰ったら刹那が直してあげるよ。それよりもこれは建前で何か食べに来たんでしょ」

「あはは、ちょっと小腹が空いちゃって」


 碧螺がお腹を押さえて、刹那に腹ペコアピールをする。


「所で、何で片城君も一緒なの? 碧螺には彼氏いる……もごもご……」

「お姉ちゃん、それ以上は詮索しなーい。

今ならカップル割引きでパフェが半額になるって聞いたから」


 何が駄目なのか、碧螺が刹那を黙らせる。


 何だ……。

 片城は恋人ではなく、上手く利用されただけか。

 それを聞いて少し安心した。


「でも片城君は高校生で中学生の碧螺とは学校自体が違うはずだけど?」

「まあ、細かいことはいいっこなしで」


 碧螺が両手の平を姉の前でヒラヒラとふってはぐらかす。


「偶然、オレが下校帰りにナンパしただけだけどな」


 片城が髪をかきあげながらイケメンアピールをする。


 やっぱりお前はロリコンだよ。


「どれにしようかな。これなんて美味しそう」


 だが、そのイケメンの発言は軽々とスルーされ、彼はしゅんと縮こまってカウンター席から離れる。

 碧螺は早くもカウンターの椅子に腰かけ、メニュー表を眺めていた。


(ははっ、さすがのイケメンもこれにはタジタジだな)


 それよりもどうしたものか。

 ピンチなのは僕の方だ。

 また、人形に魂が移ってしまうなんて……。


(くそ、身動きとれないことがこうも辛いとは……)


 そのまま、僕は碧螺に捕まれ、刹那から色々と体を触られた後、透明な手提げのナイロン袋に押し込まれた。


「お姉ちゃん、このハンドバッグなに?」

イタバッグと言って、袋の中身がそのまま見えちゃうの。普通は推しのグッズを入れたりするんだけどね」

「ええー、人形が丸見えでマジキモいよ!?」

「手ぶらよりいいじゃん。無いよりかはマシでしょ」


 碧螺は気持ち悪そうだが、僕にとってはありがたい。

 バッグで守られるため、体に支障がなく、なおかつ、外が筒抜けで周りの状況を把握できるからだ。


(さて、前方に倒れていた肝心の僕の体の方は……)


 ムクリと起き上がる僕の体。

 また前回のように求愛行動を発するのだろうか。

 もしそうなれば、今度こそ僕の未来はない。


「どうしたの、ウチの所に来て?」

「よこせ」


 碧螺が頼んだジャンボストロベリーパフェを食べる腕を掴み、何かを催促するもう一人の僕。

 

(ヤバい、またキスかよ!?)


 目の前に恋人の刹那がいて、今度は碧螺のくちびるを奪うのか?

 この人形による略奪愛が今にも火花を弾けさせそうとしていた。


(ああー、元に戻ったらあらぬ場所で変質者扱いだ。どうしたらいいんだよ!?) 

 

 僕と碧螺の影が重なりつつある。

 この世の終わりがやって来た。


『ぱくっ』


「あっ……」


 僕の前のめりの体は碧螺の手元にあるパフェの形を捉えていた。


『モグモグ』


「ああー、優希お兄ちゃん、ウチのパフェを食べるなあー!?」


 そうだった。

 そういえば僕は昼ごはんを食べていなくて、そろそろ食事にしようかと思っていたのだ。


 忙しい昼ピークの合間につまんだのは解凍した二個の回転まんじゅう。

 それっぽちじゃ、すぐに空腹は押し寄せる。


「お姉ちゃん、ちゃんと優希お兄ちゃんに食事くらいさせてあげてよ」

「ごめん、このパフェの代金は刹那が出しとくね。碧螺は他の頼んでいいから」

「いいの? さすがお姉ちゃんの!」


 キラキラと目を輝かせながら碧螺が席にあったメニュー表を開く。


「確かに刹那ちゃんはここのバイトを初めてからよな」


 その隣から年頃の女子にとんでもないツッコミをする片城。

 お前、こんな大惨事に今までどこに行っていた?


「「あんたは少し黙ってな!」」


「ぐべし!?」


 姉と妹の息の合ったコンビネーションで片城の頭に空手チョップを入れる。


 片城はカウンター席に突っ伏したまま動かない。


 反応がないからしてのびたな。

 この男子イケメンなのに、ほんとやられ役ばかりだな。


『ガツガツ!』


 それはそうと、ただ己の空腹を満たすためにパフェをがっつく僕の体。


「ねえ、何度も言って悪いけど、優希お兄ちゃんは本当にちゃんとご飯食べてるの?」

「うーん。まかないなら毎回欠かさず食べているんだけどねえ……」


 姉妹はもう一人の僕の食事を漁る姿を前に目が点になっている。

 犬が餌を食べるような食べ方をする僕は最早もはや人間という食生活を置き去りにしていた。


『ガツガツ!』


 そのクリームまみれの顔を晒された僕を相手に、人形の姿の僕の何かの糸が切れた。


「何やってるんだよ、この恥知らずがぁー!!」


 僕の怒りの声が耳から通じてくる。

 今、僕は人形の口から喋ったのか?


「何、今の声?」

「優希お兄ちゃんの声が後ろから聞こえたような?」

「お姉ちゃんも聞こえたよね?」

「うん、確かに……」


 二人とも聞こえたからに気のせいではないと察したのか、姉妹は僕の入った袋の方にやって来る。


 ああ、どうすれば。

 このままでは僕は研究所に連れられ、科学者からモルモット扱いにされるのか……。


(万事休すだな……)


 僕は恐怖のあまり、開いていた視界を閉じる。


『ピリリリリー♪』


 すると、その緊迫の間を打ち砕くスマホのコール音。


「あっ、ごめん。お姉ちゃん、電話に出ないと」

「うん」

「あっ、もしもし?」


 マナーを考慮したためか、外へと移動した碧螺。

 彼女の小さな背中に緊迫していた息を吐きながら、ふと頭にとあるアイデアが閃いた。


 チャンスは今しかない。


「刹那よ。我は天地を想像する神である」

「えっ、優希君?」

「おっと後ろを振り向くな。僕は前で食事をしているだろ。まあ、似ている声かも知れないがな」

「刹那をどうするつもりですか?」

「どうすることもない、簡単なことだ。例のフランス人形を優希響の頭にぶち当てろ」

「えっ、どうしてですか?」

「それはおのずと分かる……」


 僕が喋りを止めた途端に、人間の僕が刹那に襲いかかる。


 やっぱり思っていた通り、コイツは本能のままに行動をしている。

 食欲が満たされたら次に起こす欲ときたら……。


「──キスしてもいいよね?」

「きゃあああ、刹那たちは仕事中ですよ!?」


 だが、野生の本能のように素早い動きをする僕相手に刹那は身動きをする暇もない。

 あっという間に床に倒されて口づけを求められる。

 人形の僕には手さえも届かない。


「何やってるんだね、キミ達は!!」


 ボコッと重い音を立てて、人間の僕の後頭部にぶち当たるフランス人形の入ったバッグ。

 後ろには店長が物凄い形相で僕らを睨んでいた。


「二人っきりで熱くなるのも分かるけど今は仕事中だよ。しっかりしてくれたまえ」

「すみません」

「恋人通しで気持ちは分かるけど節度をわきまえないとね。自分たちはよかれでもそんな身勝手な行為はお客さんを不快にさせるだけだよ。ましてや、ここはファミレスなんだから」


 店長の正論に反論もせずに、僕らはホコリをはらって立ち上がる。

 僕も無事に元の姿に戻れたみたいだ。


「はい。すみませんでした」

「ああ、分かればいいよ」


 僕達は店長に謝罪をする。


 そんな僕の足下にはフランス人形が寝そべっていた。

 今まで閉じていた口を少しだけ開けたままで……。


****


「お姉ちゃん、鵺朱やすさん、風邪が治ったから明日から来れるってさ」


 カウンターに戻ってきた碧螺がスマホの通話を終えて、刹那を呼んで伝言を伝える。


 余談だけど、碧螺の横隣にいた片城は無心にオムライスを食べながら『何で、この店には愛の萌え萌えスパイスがないんだ』と半泣きになっていた。


「そっか、ようやくこの慌ただしいヘルプから解消されるんだ」

「鵺朱さんの代わりにシフト出ぱなっしだったもんね」

「この際だから頑張った証に有給休暇でも取ろうかな」

「ふふふ、お姉ちゃん。それって優希お兄ちゃんとデート?」

「それも悪くないねえ」


 カウンターにいた刹那が厨房にいる僕の方に目線を合わせ、ニタリと笑ってくる。


 食器洗いをしている最中で、何も知らない僕はその微笑みに悪寒を感じ、体を細かく震わせた。


 あれは何か、悪さを企んでいる目つきだ。


 何かとんでもないことが起きなければいいけど……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る