第4話 刹那の事情と暴走男子

 私の名前は刹那せつな

 物心ついた頃から父親が他界し、母親の手の元で何不自由なく育てられた。


 だけど、妹の碧螺へきらはまだ幼く、父親の死を受け入れられずに毎日泣きじゃくっていたことが記憶の片隅に浮かぶ。

『お父さんは今日もお仕事から帰って来ないの?』の一点張りだった。


 私はその度に碧螺を強く抱きしめながら静かに悟らせた。

『そう、お父さんはあてのない長旅に出掛けたんだよ』と……。


****


 それから月日は流れ、木枯らしが切ない冬の朝……。


「お姉ちゃん、ウチ、彼氏ができたんよ」


『ガチャン!』


 洗い場にて、私の手から滑り落ちる食べ終えた食器。

 一瞬、我が耳を疑った。


 まだ中学になったばかりの妹に『彼氏』という二文字の冠が付くとは。

 高校生でも彼氏とは無縁だった私にとって衝撃的だった。


「相手は同い年の子なの?」


 私は床に散乱した食器をかき集めて、当たり障りのない質問を返す。


「ううん、28歳の社会人」


『ガチャン!』


 再び、手元のアイテムを床に散らばす。


「ちょっとお姉ちゃん、大丈夫!?」

「ううん。何でもない」


 私はよろめきながら立ち上がり、こめかみを押さえる。

 少々高かったけど落としても割れないプラスチックの食器で良かった。


 落ち着け、私……。


「碧螺。相手が社会人だからって何もかも委ねたら駄目だよ。まだあなたは中学生なんだから」

「えっ、初めてならこの前あげたけど?」


『ガチャン!』


 私は勢いのあまり、今度は食器と共に顔面から床に落ちた。


「ちょっとお姉ちゃん、平気!?」


 中学生の少女、社会人にわいせつな行為を受け、新しい命を身ごもる。

 やがて、その社会人は罪に問われ、中学生は一人で子供を育てる決意をして新たなる進路を歩むのだ……。


 なにそれ、最悪なシナリオじゃん。

 私は痛む鼻筋を押さえながら妹の背に並んだ。


「いい、碧螺。あなたは母親になるんだから、何があっても赤ちゃんは産んでよ」

「えっ、ウチ、キスをあげただけでそれ以上はしてないよ? さすがに駄目だよ、まだ中学生なんだからさ」

「あわっ……」


 私はあたふたしながら置かれた情報を整理する。

 それを聞いてホッとした。


「それにしても中学生で彼氏なんて。一体どこ繋がりなのよ?」

「顧問の先生を引き連れた陸上部の打ち上げで知り合ったの」

「なに、どこぞのよその学校のマネージャーとか?」

「ううん、そこの居酒屋でバイトしていた人」

「はがあー!?」


 よりにもよって飲み屋の彼氏かよ。

 酒がらみの恋愛なんてとんでもない。

 シラフとは違い、お酒に酔った勢いでとんでもないことになったりするから。


 理性を無くした猿ほど怖いものはない。

 母親がそうやって語りかけていたのを思い出す。

 私の父親も飲み屋で仕事をしていたからだ。


 その酒という職業柄、飲みに出掛けることも多く、こうして早くに命を散らすという状況になったのだが……。


 この真実を妹に話すには早すぎる。

 いや、私の口からは永久に喋らないかも知れない。

 たった一人の妹を傷つけるのが哀れに見えたからだ……。


「お姉ちゃん、心配しないで。この件はお母さんともきちんと相談してるし、彼は大人でちゃんとできた人だから」

「でも……」


 社会人だよ。

 若い子の体目的かも知れないじゃん。

 それに犯罪行為だし、28歳でロリコンだし……。


「それに結婚する約束もしちゃったし♪」


 初々しい笑顔の碧螺が指にはめた指輪をちらつかせてくる。


「はがっ!?」


 それを見た私は気がおかしくなって倒れこんだ。


「ちょっとお姉ちゃん!?」


 薄れゆく意識の中、碧螺の声だけがずっと木霊していた。


 財で女の子の心を掴みとるロリコン彼氏。

 その魔の手に下ったのね……。


****


 あれから一年が過ぎた。

 碧螺は今もその彼氏とうまくやっている。


 名前はコウタローさんって言ってたな。

 結婚するなら、いずれ向こうから顔を見せにくるだろう。


 その時が来たらケチョンケチョンに頬をひっぱたいて……じゃなくて温かく祝福してあげないとね。


 それよりも問題はこっちだ。

 玄関先にて、いつものように遊ぶ約束をしていた目の前の男の子の様子がおかしい。


 さっきから無表情でずっと私が抱いているフランス人形を見つめているのだ。


「どうしたのですか、ダディーちゃんが何か?」


 彼の名前は優希響ゆうき ひびき君。

 私の初めてできた彼氏だ。


 きっかけは喫茶店のバイト先だった。

 他店舗のヘルプで隣町の姉妹店に行き、そこで偶然出会ったお客さんだった彼に次第に惹かれていったっけ。

 彼は高校に通いながら、よく学校帰りに食事をしに来ていた。


 しょっちゅう来店するものだから親と関係が拗れているのかなと思った。


 でも、仲の良い店長さんから小耳に挟んだところ、優希君も家族を病気で亡くしたらしく、独り身で料理を作るのが大変だったらしい。

 そんな似たような境遇から心を許していったなあ。


 当時は遠距離恋愛だったけど、付き合いはじめてから優希君がこの町に引っ越しに来てくれて……本当、愛の深さを感じるね。


 ──今日は高校の創立記念日。

 優希君は園芸部の野菜の水やりをしてから私に会いに来る約束だったんだけど。

 誰かが水やりをやっててくれたのかな?


 それにしてもこんな陰キャな素性の人が植物を育てるのが好きなんて。

 男の子って付き合ってみないと分からないこともあるんだね。


「……いいよね?」


 優希君がポツリと言葉を溢したけど、あまりの小さな声に私は自分の耳を疑った。

 今、何て言った!?


「優希君、どうしましたか?」

「キスしてもいいよね……」


 キス……。

 もちろん魚の名前じゃない。

 人間が口と口を重ねる愛情表現の一つであり、下手をすれば最後まで踊り狂ってしまう魔の媚薬。


 薄布の向こう側には碧螺もいるのに、どうしたものか。


 あっ、でも妹は経験済みだったね。

 でも、白昼堂々、淫らな行為を晒すのは気に引ける。


「優希君、どうしたのですか? 今日は一段と変ですよ?」

「いいからキスしてもいいよね?」


 聞く耳を持たない彼に抵抗する手立てもなく、私達は床に倒れこむ。


 玄関マットから伝わる冷たい床の感触。

 これではロマンもへったくれたもんじゃない。


「お姉ちゃんどうしたの?

ウチ、そろそろ学校行くね?」


 リビングから、玄関に顔を覗かせる何も知らない妹。


「あっ……」

「……」


 私達の世界が絶対零度に凍りついた。


 そして、碧螺が次にとった行動は床に転がったフランス人形を片手に野球のピッチャーの構え。


「ちょっと玄関で何やってるのよ、このマセガキ達がー!!」


 真っ赤に顔を染めた碧螺のボール投げにより、放たれた人形。


「はがっ!?」


 人形はものの見事に優希君の顔に炸裂していた。

 鼻血を吹きながら床に沈みゆく彼。


「優希君、大丈夫ですか?」


 私は優希君を膝に横たわらせ、碧螺に向き直る。


「……碧螺、優希君に謝って」

「嫌だよ、悪いのはそっちじゃん」

「だからと言って暴力をふるっては駄目」

「何よ、お姉ちゃんのためだと思ってやったのに。もう知らない!」

「あっ、碧螺、待って……」


 玄関の扉が開かれ、妹の姿が光へと消える。


 まずった。

 些細なこととは言え、彼の目の前で喧嘩してしまうなんて。

 優希君にはいつも笑いの絶えない明るい姉妹と振る舞ってきたのに……。


「優希君、ごめんなさい」

「えっ、何のことだい?」

「えっ……」


 何事もなかったかのように起き上がる彼の姿に拍子抜けする。

 そんな彼を視線に添えると、またいつものように声が出せない。


「あれ、いつもの猫かぶりモードに戻ったね」

「あの……」

「いいよ。無理して喋らなくても。この瞬間も楽しみたいからさ」


 優希君は優しげに私に笑いかける。

 その笑顔に少しだけ影が映ったような……。


「優希君……しましょう」


 私は目を瞑り、彼の欲望に身を任せる。


 私の中の母性本能が叫んでいた。

 肉親を失い、寂しげな彼の望むことなら、その願いを叶えてあげたい。


「へっ、何のこと?」

「えっ、だってキスしたいって」

「キスの天ぷらがどうかしたかい?」


 優希君は何も知らないかのような素振りで私に答えを求めてくる。

 この人、若年性痴ほう症なの?


「あの……もごもご」

「いいよ。いつものように筆談で」

「すみません……あっ」


 私はポケットからメモとボールペンを取り出そうとした時に自分の身なりに気づく。


 胸が溢れそうなTシャツに太ももが丸見えの半ズボン……私ってば、男の子の前で何てはしたない格好をしているの!?


 そりゃ、キスも迫られるわけだ。

 これで襲わない男の子がいたら見てみたいものだね。


『キスは今度にとっておいて下さい』


「はぁ?」


 要点だけを書いたメモ紙を優希君に渡すと、目が点のようになり、マジマジと私を眺めていたのだった……。


****


 お日様が柔らかに降り注ぐ芝生。

 近所の公園には来ていた。


 白のスニーカーで土を踏みしめる感触。

 泥で汚れてもお構い無しに歩いていく僕。


 この体に戻って、いくつかはっきりしたことがある。


 何らかの形で僕とあのフランス人形とは魂が繋がっていて、頭をぶつけると魂が入れ替わる点。

 それから魂が逆転した時、人形だった方の魂が僕の体を乗っ取ると、野生動物のように欲望のごとく異性に迫り狂う点。

 

 また僕が人形に魂が移ると、ろくに動きはとれないが意識はある。

 しかし、人形の目線から大人しくしていても、元の体に戻ったら相手が大変な目にあっていたんじゃ『ごめん』ではすまない。


 あのキス騒動は何とか誤魔化せたけど、次はない気がした。


 できることならあの人形から避けて行動したいもので、この公園にやって来たのだけど……。


「愛してるよ、ビーナス」

「あたしもダーリンが大好き」


 困ったことに周りはリア充達の箱庭になっていた。

 

 おい、まだ昼間だぞ。

 公園も立派な娯楽施設だぞ。


 幼い子供の前で恥知らずだな。

 おい、そこ、公衆の面前でブチューは止めろ。


(駄目だ、どう考えても他の行き場がない。こんなことだったらお小遣いを貯めておくべきだった……)


 僕は端にあったブランコを漕ぎながら、必死に案件を考える。


 ここからだと図書館に行く手段もあったが、結構距離が離れているので、何か足がないと無理だ。

 どや顔でタクシーを呼んで、図書館までお願いしますとかどこのセレブだよ。


「あの、優希君?」

「何だよ、刹那。僕は忙しいんだ」

「いえ……」


 ブランコから飛び降りて刹那からの伝言メモを見る。


『非常に言いにくいのですが、ガムと犬のフンを踏んでいます』


「ぐわっ、靴底ダブルパンチかよ!?」


 一難去って、また一難。

 僕は公園の中央にある洗い場で靴の裏を洗うことにした。


 背後で刹那が何かしらの危機にあっていることも知らずに……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る