第2章 二つの魂が交差するたびに
第3話 どうしてこうなった
「ダディーちゃん、おはよう♪」
僕はピンクのベッドで天井の向きに寝かせれていた。
「昨日はよく眠れたかな?」
体にはご丁寧にブランケットがかけられている。
この掛けものもピンク色。
彼女はピンクが好きなのだろうか。
「しかし、リアルな作りだね。フランス人形の目が開いたり閉じたりするなんて」
家具と同系色のパジャマを着た刹那が口元を緩ませ、僕の小鼻をつついてくる。
しまった、刹那の前で目を開くのはまずかったか。
そうだよな、普通は人形の瞳は開いたままだし……。
それにしても僕と二人っきりでは家でも無口であまり喋らない娘だったけど、居なかったらそれなりに普通に喋るんだな。
ピンク一色の自室といい、僕の知らなかった刹那の裏側がぬかるみに出てきた。
「さてと、刹那も起きますか」
刹那が大きく伸びをして、僕をタンスの上に載せると、自身の寝間着の白いボタンに指をかける。
(まてまて、僕の目の前で脱ぐ気かー!?)
動かない手足がもどかしく、批判の声も出せない。
頼みの綱はまばたきができるくらいだが、これではただのウインクだ。
「あっ……」
白のスポーツブラ姿になりかけた刹那がぺったんこの胸を布団で隠し、僕の座り位置を反転させる。
「もうダディーちゃん、男の子でしょ。えっち!」
刹那の叫びに頭で把握する。
そうか、僕はフランス人形だけど『男という設定』なんだ。
「でもダディーちゃんならいいかな」
布団をベッドに置く音が聞こえ、下着の格好の彼女が僕の体を後ろから柔らかに包みあげる。
背中越しにポヨンと伝わるゴム毬のような弾力。
刹那もなんだかんだで女の子なんだな。
「一緒に朝風呂に入ろうか」
(まてまて、僕は男なんだろー!?)
抵抗できずに服を脱がされる僕に冷静さは欠けていた。
言葉を口に出せない人形だけに叫ぶ間もなく、僕の体はそのまま風呂場へと直行されるのだった。
****
『シャアアアー!!』
シャワーヘッドから流れてくる水の音。
(どうして、こうなった!?)
幸いにもお風呂にお湯が張ってあり、湯けむりに囲まれて刹那の裸は見えないが、それでもこの場面はドキドキする。
今、刹那はシャワーを浴びている。
僕のすぐ近くで一糸纏わぬ姿の彼女がいると想像するだけで脳みそがおかしくなりそうだ。
「さあ、ダディーちゃんもお風呂に入ろうか」
刹那の細くて綺麗な手が僕の小さな腕を掴む。
おい、ちょっと待て。
風呂場もだが、湯船にフランス人形を入れるなんておかしいだろ?
熱燗のとっくりじゃないんだぞ?
『お姉ちゃん、またお人形とお風呂に入ってるの?』
そんな動転の面持ちにいる僕を差し置いて風呂場の外から声がする。
「何よ、
『そんなわけないよ。家中にお姉ちゃんのひとりごとが響いてるんだよ。近所からおかしな人と思われるよ』
そうだ、もっとガツンと言ってやれ。
乙女だけど紳士な碧螺、僕をここから救い出してくれ。
「もう分かってるわよ。上がればいいんでしょ」
刹那が渋々と湯槽から上がり、バスタオルで体全体を拭き、それを裸体に巻きつける。
ありがとう、碧螺少尉。
君の正論な発言に感謝する。
****
「碧螺、碧螺!」
バスタオルを巻いた格好の刹那から丁寧に服を着せられて、そのまま彼女に抱っこさせられ、弾みをつけながら、味噌汁の匂いが漂うキッチンへと移動する。
「もうお姉ちゃん、服くらい着てよね」
「そんなことより、碧螺聞いてよ!」
「さっきから大声を張り上げて何なの?」
「この人形、まばたきするんだよ!」
中学の夏服のセーラー服を身につけた、茶髪でボブカットの碧螺が『やれやれ……』とため息をつきながら、おたまを置き、刹那の肩を悟ったように叩く。
「別に驚くことないじゃん。結構値がはった人形だから、それくらいあっても不思議じゃないよ」
呆れ顔で刹那と僕を見ての感想がそれか。
姉とはうってかわり、結構ドライな部分があるよな。
「それよりも早く服着て食べに来なよ。ご飯冷めちゃうよ」
刹那が僕をテーブルの上に下ろして着替え始めると、碧螺が小さな陶器のお茶碗にご飯をよそい、神棚に載せる。
「神様、今日もみんなが1日、無事に過ごせますように……」
両指を組んで、真摯にお祈りをする碧螺。
その神様の横には立派な黒系色の仏壇もあった。
(そうか。この頃から刹那のお父さんはいなかったんだな……)
仏壇に置かれた遺影の写真が、僕の悪ふざけな心を見透かしている感覚がした。
「あー、お姉ちゃん、髪ボサボサじゃん」
「あれ、ちゃんとお風呂に入って綺麗にしたのに」
「ちゃんとトリートメントした?」
「ううん、面倒だからパスしたよ」
「もう、しっかりしてよ。そのズボラな所が駄目なんだよ」
碧螺が刹那の乾いた黒いロングパーマの髪をクシでとかす。
傍目から見ていて、お姉ちゃんの世話をする妹も大変だな。
****
「お姉ちゃん、今日、高校は創立記念日でお休みだよね。家でゴロゴロするの?」
「うん。お母さんはいつ頃帰ってくるの?」
「……うーん、えっとね。仕事が忙しくて日を跨ぎそうだから、また病院に泊まるって」
碧螺が制服の赤いスカーフを触りながら罰が悪そうに答える。
「そうなんだ、看護婦さんも大変だね」
猫のマンガイラストのTシャツにジーンズパンツ(しかも半ズボン)という女子にははしたない格好の刹那。
だけどそんなことは気にもとめずに、空気のような生返事でご飯のおかわりを妹に催促する。
これでもう三杯目になる。
そんなに食べて何でガリガリに痩せているのだろう。
いくら食べても太らないのはダイエット中の輩の敵だぞ。
「お姉ちゃんって朝ごはんはしっかり食べるよね。昼も夜もそうだといいんだけど……」
「早朝は近所のスーパーは開いてないからね」
「あー、そうやってまたお菓子を買い込むんだ。それじゃあ胸はぺったんこのまんまだよ」
「別にいいもん♪」
刹那がご飯山盛りの茶碗をモグモグと幸せそうに頬張る。
「そんなんじゃ、そのうちブクブクと太って彼氏に嫌われるよ」
「なっ、
「あはは、ここで
「あー、碧螺、刹那をはめたわね」
「あはは。笑いすぎてお腹がよじれるー♪」
碧螺が口元に手を当て、お腹を抱えて笑いこむ。
そんなに笑いごとか?
その僕が人形の視点で姉妹の会話を聞いていた時、何かが心に突き当たった。
(ちょっと待てよ。今、僕の名前が出なかったか!?)
……ということはもう一人の僕がいる?
そう考えているうちに予感は的中した。
『ピンポーン♪』とインターホンが鳴り、刹那が玄関に向かった先には制服姿の僕がいたのだ。
****
「えらく早いですね。今日は園芸部の部活動があるから昼から来るんじゃなかったのですか?」
「……」
刹那の問いかけに無言のもう一人の僕。
朴念人のような顔つきで愛想がない。
僕の脳裏に人形になる前の出来事が呼び起こされる。
もしかして、あの時、頭にフランス人形がぶつかった衝撃で人形と魂が入れ替わったのか?
「まあ、立ち話も何ですから上がって下さい」
刹那がお客さん用であろう花柄のスリッパを玄関マットの上に並べる。
「……」
「どうしたのですか、ダディーちゃんが何か?」
高校生の僕がこちらをじっと観察している。
しかし、僕ってほんとに冴えない顔だな。
これで何でこんなお嬢様のような刹那の心が
謎がナゾを生む。
「いいよね……」
「優希君、どうしましたか?」
「キスしてもいいよね……」
「えっ、ちょっと待って下さい!?」
高校生の僕が刹那をゆっくりと床に押し倒して、くちびるを奪おうとしている。
(はあぁーい!?)
僕はまだしも、対象者の刹那も突然のことで身が固まっている。
相手は人形の思考レベル。
野生の猿のごとく、本能的に行動を開始していた。
「お姉ちゃんどうしたの?
ウチ、そろそろ学校行くね?」
リビングから器用に体をくねらせ、玄関に顔を覗かせる碧螺。
「あっ……碧螺」
「……」
碧螺の視線の先には地べたにもたれかかった二人の男女。
さすがの刹那も妹相手には言い訳ができずにだんまりを決めていた……。
やべ、中学生には刺激が強いシーンを見られたよ!?
僕らは不純異性交遊で警察のお縄か?
「ちょっと玄関で何やってるのよ、このマセガキ達がー!!」
真っ赤に顔を染めた碧螺のボール投げにより、人形の僕の体が軽々しく空を仰ぐ。
その速度は光を超え、音速になった。
嘘つけ。
『ゴチン!』
そのまま鈍い音を立て、僕の頭がもう一人の僕の顔面にめり込んだ。
「はがっ!?」
「きゃっ。優希君、大丈夫ですか!?」
鼻血を飛ばしながらぶっ倒れる制服の僕と玄関マットに転がる人形の僕。
僕の中の命のシグナルがプツンと切れたような気がした……。
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