第二章 花、揺れる政情に惑う

序章

 「これで最後、か」

 

 積み上げられていた書類を全て片付け終わり、安堵からほっと息を吐く。

 兵部尚書、明楝月は、自身の机上に積み上げられていた今日の分の書類をさばき終わり、心地よい疲労感に浸っていた。

 椅子から立ち上がり、窓から外を見上げれば、空は既に茜色に染まっており、鴉がそれぞれのねぐらへと飛んで行く姿が見えた。

 沈みつつある夕日をぼんやりと眺めていれば、何故か、後宮入りした娘の仏頂面が浮かんできた。

 今ごろはどうしているかと、柄にもなく感傷的な思いが浮かんだが、心配しているかと聞かれれば――答えは否だ。


 彼女の立場は東宮妃で、皇帝の妃ではないということ――つまり、後宮の妃濱たちと争う理由がないことを差し引いたとしても、明家という、建国以前から皇帝に付き従っていた名門の娘を蹴落とそうとするような者は、後宮にはいない。

 それ以前に、自分の娘ながら、文武共に規格外な淳華ならば、苛め等の標的にされるようなことを感じ取った瞬間、静かかつ合法的に、数倍にして返品するだろう。

 唯一の欠点である、表情の機微に乏しいということがなければ、間違いなく引く手あまただったと想像する。

 ――いや、そうだとしても性格が同じままなら、相次ぐ求婚者を片っ端から振っていくのだろうが。気立てが悪いわけではないのだが、どうしても世の男性が求める性格ではないことも確か。

 幸か不幸か、本人はそれを自覚していながら少しも気に留めていないし、寧ろ喜んでいる節すらあるが。

 

 ――何しろ、独身志望などという、この国の常識からすればあり得ない願望を持ち、留学をしたいなどとのたまうような娘だ。

 

 最初は冗談だと流していた淳華の願いが、本気だったのだと判明したのはつい最近ではあるが。

 

 そんな楝月の回想は、コンコンと扉を叩かれる音によって途切れた。

 

 「入れ」

 

 短い入室許可を出せば、一人の宦官が一礼し、部屋へ足を踏み入れる。

 そして、簡単な口上を述べた後、一通の文を差し出した。

 楝月は、その文に書かれた差出人の名前に胸の内で動揺しながらも、宦官に下がるよう指示を出し、再び椅子へと腰を下ろす。

 再び一人きりとなった執務室で、彼の目は紙の上の流麗な文字だけを追う。

 そして、文末にもう一度書かれた差出人――明淳華の名まで読み終えたとき、楝月の眉間には深い皺が刻まれていた。

 突如として降って来た厄介ごとを憂鬱に思いながらも、その前兆を見逃すことなく、深く考察した娘の観察力と洞察力。思考力に舌を巻く。


 ――我が娘ながら、なかなか良い仕事をする。

 

 ふっ、と。一瞬だけ口角を上げた楝月は、しかし直ぐに表情を引き締める。

 そして、紙を取り出し、手紙の内容を素早く書き写すと、折り畳んで懐へとしまい込んだ。家に持ち帰り、厳重に保管するためだ。

 今日は帰れそうにないな、と胸の内で溜め息を吐きつつ、彼は皇帝へ報告するべく、執務室の扉を開いた――。

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