終章

 「…取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。そ、の。虫が横切った、ので。少し、驚い、て」

 

 言葉を途切れさせながらも、徳妃さまは言い訳を口にする。

 その言葉が噓だと知ってはいるものの、とりあえず素直に頷いておいた。

 その反応に、ほっと息を吐いた彼女は、気分を落ち着けるためか、慎重かつぎこちない動作で茶杯に手を伸ばし、白茶に口を付けた。

 私はというと、表情こそ変わってはいないが、胸の内で明らかに徳妃さまを嘲笑しているであろう侍女頭を軽く睨んでいた。

 しかし、それも一瞬。視線を素早く徳妃さまへと戻した私は、彼女が茶杯を卓の上に戻した頃を見計らい、持参した“贈り物”を取り出す。

 そして、徳妃さまが私の方を向くまで待ってから、淡々と言葉を紡ぐ。

 

 「徳妃さま。本日はお招きいただきありがとうございました。お近づきの印に、宜しければこちらを」

 

 その言葉と共に、取り出した大きめの包みを卓へと置き、徳妃さまへと差し出す。

 徳妃さまはそれを凝視し、少しの間、動揺のためか目をしばたかせていた。

 その後、彼女は動揺から立ち直ったらしく、おずおずと遠慮がちにその包みへと手を伸ばした。そのまま、ゆっくりと丁寧な動作で封を切り、包み紙を開く。

 その中に入っていたのは、薫衣草を仕込んだ枕だ。先日、私の侍女が用意してくれたものと同じものだが、今それを述べる必要はない。

 そんなものが入っていたとは考えていなかったのだろう。徳妃さまは軽く瞠目した後、漂ってきた薫衣草の甘く柔らかい香りに目を瞑った。

 

 「素敵な香り…」

 

 彼女から零れた呟きに、ふっと表情を緩める。

 そして、手短に説明をする。

 

 「薫衣草の香りは精神を落ち着かせ、不眠や頭痛を緩和させる効果があるそうです。ですので、今の徳妃さまにピッタリの品かと存じます」

 

 ハッとした様子で、徳妃さまは顔を上げる。そんな彼女の瞳に映る私は、相変わらずの無表情だ。

 何か言いたそうな徳妃さまを無視して、私はこう続ける。

 

 「お大事になさってください」

 

 それだけ言い残し、私は桃簾宮を後にした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「さて、と」

 

 桃簾宮から天藍宮へと早足で戻った私は、杏に緑茶を淹れるよう頼んでから、真っ直ぐに自室へと向かった。

 そして数枚の紙と筆記用具を取り出し、さらさらと文章を綴っていく。

 その内容とは言わずもがな。徳妃、珖静羅についてのものだ。

 一文字の間違いもなく一枚目の紙に伝えたいことを書ききった後、杏の緑茶を啜りつつ、もう一枚の紙にも、少しだけ文体を変えて同じことを書きつける。

 双方の紙が乾いたことを確認すると、丁寧に折り畳んで封をする。

 そして、もう一度筆を持ち、ゆっくり、丁寧に、宛名を記す。

 一方には私の父、兵部尚書、めい楝月れんげつの名を。

 もう一方には――夫である、東宮、飛龍の名を。


 それを各々へと届ける手続きを済ませた私は、盛大な溜め息を吐く。

 そして、この騒動が少しでも早く過ぎ去ることを願った。

 

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