第29話 届いた文
鈴華との鍛錬が終わった時には、もう真っ赤な夕日が顔を覗かせていた。
それほどの間、鍛錬に熱中していたことに驚きながらも、誰かと好ましい時間を共有することができるというのは、思いの外楽しいことなのだと、初めて知った。
もう一度先ほどの襦裙を着て、浅葱色の披帛を揺らめかせながら自身の宮殿へと戻る鈴華を見送った後、私も宮殿の中へ戻る。
流石に、今日は東宮が来ることはなかった。執務が忙しかったのかどうなのか知らないが、とても喜ばしいことである。
いつもよりも高揚した気分のまま夕餉を取り、早々に湯浴みも済ませた私は、久しぶりに東宮のいない平穏な夜の時間を謳歌しようとしたが――舌戦と鍛錬の疲労から来た眠気にあっさり負け、いつもよりも早い段階で夢の世界へと沈んでいった。
そして、朝日が昇るとともに目を覚ました私は、侍女に支度を手伝ってもらいながら――いや、私はほぼほぼ手を動かしていないが――手際よく支度を終わらせる。
その後に届けられた朝餉を平らげた私は、六尚の女官長たちへ挨拶回りへ行こうとした。したのだが。
それは、全く予期していなかった出来事により、中断する羽目となった。
事の始まりは、嗜みの最終確認をしている最中に、音もなく入室してきた杏に呼び止められたことだろう。
急いている様子にも関わらず、礼儀を忘れずにぺこりと頭を下げた杏の手には、折り畳まれた白い紙が握られていた。
そして彼女は、やや緊張した面持ちで私にその封筒を差し出し、告げる。
「娘娘、文が届いております」
彼女から差し出された紙をそっと受け取るが、差出人は書かれていない。
少々不信感を抱きながらも、丁寧に紙を広げて中を改める。
幸い、中に何か危険物が仕込まれているということはなかった。
そのことに少し警戒心を緩めつつ、紙に書かれた比較的小ぶりな文字に目を通す。
『明淳華様
夕立を心待ちにしてしたくなるような暑さの毎日ですが、お元気にしていますでしょうか。
昨日はわざわざ足をお運びいただいたものの、わたくしの個人的な都合でお断りしてしまったこと、お詫び申し上げます。
体調も回復いたしましたので、宜しければ本日の
少し小さいながらも、点画のハッキリしたどこか可憐な文字で綴られたその内容。
思ってもみなかった好機が訪れたことに対し、表情の変化は口の端をほんの少しだけ持ち上げるだけに留めたが、内心では高く拳を突き上げた。
本当に彼女の体調が回復したのかはともかく、向こうが私に会う気になってくれたのは僥倖だ。
私は、読了済みの文を元の折り目に沿って折り畳みながら、鼻歌でも歌い出したい程上がった気分で、外出先を一部変更する旨を伝えるべく、侍女たちに指示を飛ばした。
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