第10話 貴妃

 「御機嫌よう、淳華さま。貴女とお会いするのを、楽しみにしていたのよ。」

貴妃こと紫蘭は、花が咲いたような笑みを浮かべ、私を歓迎してくれた。

そのことに、先程以上の安堵を覚える。

「いえ。こちらこそ、お会いできて光栄です。」

無表情の上に簡単な挨拶だが、彼女は嫌な顔一つせず、相変わらず笑ってくれている。

二言三言交わしたところで、貴妃の侍女が茶と茶菓子を運んできた。

茶は緑茶。茶菓子の方は湯圓タンユエンだった。

茶托から湯気が出ていないことから、夏向けに、冷やしたものだと判断する。

念のため、侍女に毒味をしてもらった後、先に茶を口にした。

爽やかな香りがふわりと鼻を抜ける。そして、井戸水で冷やしていたのか、思った通り、とても冷たい。

また、冷やすことで風味を増し、旨味や甘味も濃く感じられる。

茶の中には、冷やすことで味を損なってしまうものもあるが、これはおそらく、逆だろう。

私の記憶が正しければ、このお茶は青翠せいすい茶。温かい状態で飲むよりも、冷やして飲むことでその真価を発揮する、雪桔州の珍しいお茶だ。

確か、夏にのみいくつかの商店にて売買されていたはずだ。

また、湯圓との相性も抜群だ。

肉叉にくさで刺して口に運べば、もちもちとした歯ごたえの良い白玉に、上にちょこんと飾られたクコの実の香りが楽しめる。

冷たく、粘り気のないさらさらとした蜜の中に本体が半分ほど沈んだその菓子は、一年中食べることのできる、綜竜の茶会では定番のものだ。

ちなみに、冬には蜜を温かくして食べる。

ただ、この湯圓は少し変わり種のようで、白玉の中に、胡麻風味の餡ではなく、アンズを砂糖と一緒に、とろりとするまで甘く煮たものが入っている。

顔に出しこそしなかったが、白玉を嚙んだ瞬間に、予想していなかった杏の香りと、さっぱりした酸味を感じたことには少し驚いた。

だが、このクコの実と杏の風味が、青翠茶とよく合うのだ。

これを食べるのは初めてだし、今までに読んだ文献にも見たことがなかったから、貴妃さまが考えたものだという可能性が高い。

そうすると。

――この妃は、絶対に侮れない。

無難な選択と見せかけて、奇抜かつ斬新な想像力をもって人を驚かせる力。

二十一と、皇帝の年から考えるとやや若い妃ではあるが、寵愛だけでなく、教養をも兼ね備えていることから、貴妃に抜擢されたと考えるのは易い。

お茶と茶菓子に対する正直な感想を貴妃さまに述べると、彼女は笑みを深めた。

湯圓についてさり気なく尋ねるてみたが、案の定、自分が作ったものだと話してくれた。

また、彼女は

「最近、色々な茶会で出しているのだけど、わたくしが作り方を考えたのではないかと尋ねてくれたのは、貴女だけよ。」

と、楽しげに付け足した。

その後、いくつかの話題を振ってみた。ころころと鈴を転がすように朗らかに笑って、楽しげに聞き、相槌を打つ彼女だったが、その一つ一つに余裕があり、隙がない。

それで、試しに本の話を始めると、今までの余裕はどこへやら。途端に前のめりになって、食いついてきた。

文官にも中々いない程の読書家だという話は、正しいようだ。

その中でも、私が晶麗華の伝記である、雪華魔伝せっかまでんを愛読していたことを知ると、頬を薔薇色に染めて、麗華殿の素晴らしさと、自分がどれだけ彼女に憧れているかを饒舌に話し出した。

「淳華さまもやはり、麗華さまを目指していらっしゃったのですか!?わたくしも昔から憧れていて……あの常にぶれない凛とした立ち振る舞いは、今も勉強中ですの。」

「貴妃さまは、どの話がお好きですか?私は、皇弟の陣中に誰にも気付かれずに入り込み、堂々と取引を持ち掛ける姿に引き込まれまして……」

等々。

私もつい、我を忘れて話に熱中してしまった。

そして、半刻いちじかん程経った後、貴妃さまの侍女頭が、貴妃さまに何か囁く。

そして、貴妃さまは、はっと我に返り、

「ごめんなさい。淳華さま。次の茶会の時間があるので、そろそろいいかしら?」

と、残念そうに告げる。

「いいえ。貴重なお時間をありがとうございます。それで、宜しければこちらを…」

そう言って、私は一つの小瓶を取り出し、卓上に置いた。

貴妃さまはそれを手に取り、尋ねる。

「これは香水?」

「菫の香りを蒸留した精油です。手巾ハンカチに数滴落とし、香りを移してもかまいませんし、お湯を張った皿に落とせば部屋中に香りが広がります。また、湯浴みをする際、湯船に落としても、良いと思います。」

彼女の実家である虹廉こうれん州は四季の景色が美しい場所で、春には一面の菫畑を見ることのできる名所がある。

そのため、この香りは馴染み深いと思ったのだ。

案の定、彼女は小瓶を撫でるようにしながら、顔をほころばせている。

それは。今日見た中で一番、優しくて、温かい笑みだった。

そして、彼女はゆっくりと口を開いた。

「ありがとう、淳華さま。ねえ、これから淳華と呼ばせていただける?話も合うし…私の、友人になって下さらない?私のことも是非、紫蘭と呼んで?」

そんなことを言って、私に向かって右手を出す。

――この発言は想定外だ。

向こうの侍女も慌てている。

でも。

この鳥籠に、位の高く、趣味も会う友人ができるというのは、気分的にも、私の立ち位置としても喜ばしいことだ。

だから。

「喜んで。…紫蘭さま。」

その真っ白な手を、剣の練習中に作った、たこのできた両手で包んだ。

「…ありがとう、淳華。」

紫蘭さまは、二度目の礼と、紫蘭と呼び捨てにしてくれるのを待っているわ、という言葉を付け足して。

お互いに笑顔のまま、次の茶会の約束をして。

貴妃、緑紫蘭との顔合わせは終了した。

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