第5話 取引 前編
「失礼する。」
その言葉とともに部屋に入って来たのは、東宮、
「ようこそいらっしゃいました。」
優雅に礼をしつつ、決まりきった挨拶を述べる。
…いや、姫ではあるが。
夜具については、読書で鍛え上げられた我が弁舌を全力で行使し、何とかあまり薄くなく、露出度がかなり低いものにしていただいた。
この後に使うはずだった交渉のための語彙力を侍女相手に大分消費してしまったため、東宮との交渉がつつがなく進むかが、かなり不安だ。
――まあ、やるっきゃないんだけど。
そう気合を入れつつ、私は顔を上げ、失礼と取られない程度に東宮を観察する。
彼の方は、噂にたがわぬ、否。噂に勝る絶世の美貌の持ち主だった。
後ろになびく、長く艶やかな黒髪。
まるで一度も太陽に当たったことがないような、真っ白でシミ一つない肌。
黒真珠のような瞳。
どこを取っても、完璧としか言いようのないその
――なるほどなるほど。これは三日でさようならしてもおかしくないわ。
そんな口に出せば殺されること間違いなしの思考を放棄し、早速本題に入ることにする。
そのため、傍に立っていた、もともと実家の侍女頭でありながら後宮にまでついてきてくれた頼もしい侍女――杏を下がらせる。
彼女が部屋を出たところで、東宮のほうから話を切り出した。
「わざわざ侍女を下がらせてまでの用件とは、どういうものだ?」
――へえ。直球でくるか。
まあ、その方がこちらもやりやすい。
「単刀直入に言わせていただきますね。頼み事があります。」
「は?私に、今日会ったばかりの女の頼みを聞けと?」
私の方を睨みながら、そう切り捨てる東宮。
流石に、頼みをタダで聞いてくれるとは思っていない。しかし、ここまで嫌悪感丸出しで返されるとは…
――本当に、噂以上のお方ですね。
そんなことを考えながらも、私は間髪入れずに返事を返すことにする。
「貴方にとっても、そう悪い話ではないと思いますよ。」
表情を変えずに、淡々と言葉を紡いだ。
これは別に作戦とかではなく、私が普段からこの表情で、滅多に動かすことがないからだ。
例外といえば読書している時だが、一人で部屋にこもって読みふけるため、それを知る者はいないに等しい。
まあ、東宮もしかめっ面のまま、ずっと表情を変えていないから、お互い様だと思うのだが。
「どういうことだ?」
困惑した様子も見せず、そう問うてくる東宮。
しかし、向こうが話を聞く気になってくれたのは
向こうもその気になってくれたことなので、さっさと話してしまうことにする。
「まず一つ目。私を
「…は?お前、正気か?」
初めて、東宮が少し驚いたような声色で言葉を発した。
表情も、やや困惑したものになっている。
まあ、そう言うと思ったよ。
閨の相手をする――つまるところ、
「私はいたって正気です。ではもう一つ。」
ここで言葉を切り、軽く息を吸う。東宮も、静かに私の言葉を待つ。
「二年後、我が後宮を出る際、臣下に下賜することなく、実家に帰していただきたく存じます。」
「はあ!?」
本気で訳が分からなくなった様子で、今までで一番大きい反応を示した東宮を横目に、私は杏が部屋を出る前に入れてくれていた青茶を口に含んだ。
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