第10話 夜をぬりつぶせ! その2

 ヘッドライトに照らされた壁面には緑の生い茂る草原が生み出され、ライオンが大きな口を空けて駆け回る。一発書きの勝負では筆に迷いが生じた時点で負けが確定する。上手い下手は二の次でいい。とにかく気合と勢い。余情残心など全てが終わってから。それくらいの勢いで次々とハケを走らせる。


「ええっと、白虎びゃっこお姉さん、次はヤギの画像を検索してもらっていいですか?」

「はいはい、ヤギね。いやー、タブレットってこういう時ほんと便利ね」

 イタルはヒバリのアシスタントとして、言われた時に必要な画像を表示できるようにタブレットを抱えて隣に位置取る。アンドウはタケシ側で同じようにタブレットを持って待機する。

 ちなみに最初は逆の組み合わせだったのだが。


「んー、乙女座のモチーフとしての乙女って、何を描けば良いんだろ」

「お、なんだそんなことか。乙女と言ったらアタシじゃないか!」

「オッケー、だったら白虎姉を描くよ。さらさらさらっと」

「っておい玄武げんぶ! なんでこんなに目付きが悪いんだ! 描き直せ」

「え~、そっくりだと思うんけどなぁ……あいたっ。ちょ、腕はやめて! 今折られたら描けなくなるから!?」


朱雀すざくお嬢様、何かお手伝いできることはありませんか」

青龍せいりゅうさん、うん、大丈夫」

「…………」

「よっと……うーん、あとは……」

「お嬢様、そのままだと上の方まで手が届かないのでは? このセイリュウが抱きかかえます」

「う、わわっ。だ、大丈夫、大丈夫ですからっ。青龍さんは何もせずにそのまま待っていてくださいっ」

「……うずうず」

 手持ち無沙汰のアンドウはキョロキョロと今まで描いた作品を眺めている。

「むっ。あちらは夏の星座を描いているはず。ならばわしが正解デスが、あそこに描かれているのはどう見てもたかのように見えま――」

 感情をなくしたような無の表情でヒバリが見つめる。

「――すがそれを見た人がどう判断するかということが大切なのだとつい先日学びました。ええ、このセイリュウ、もちろん忘れてなどおりませんよ」


 この組み合わせだといつまで経っても絵が完成しないということで交代することになった。アシスタント側の二人はなぜそうなったのかあまり理解していない。


「下の階はそろそろ完成の目処がついたし、そろそろ上の階に取り掛かってもいいかもねー」

 顔についた塗料を拭いながらタケシが言う。

「なら準備しておくか。いくつかペンキを持って上がっとくよ」

「ま、待って。わ、私も一緒に行きます」

 遅れまいとイタルの後ろにピッタリと付いていく。

「むぅ……朱雀すざくお嬢様はなぜあんなにも離れず寄り添っているのでしょう」

「あはは、嫉妬か青龍せーりゅー。あれはただお化けが怖くて離れないようにしてるだけだと思うぞ」

「なんと、まさかここには本当にお化けが存在しているのデスか!? ぜひとも確かめたいデス」

 キラキラと目を輝かせるアンドウとは対照的に、タケシは苦々しい表情を浮かべる。

「いやいや、お化けなんていないから。ていうか何か見えたとしても絶対に言うなよな!」

「言うなは言え、のお約束……」

「ちーがーうー」


 ガシャンッ!

「うわっ!?」

 二階から大きな衝撃音が響く。

「むむっ、心霊現象デスか? 心霊現象デスね!」

「なんでそんなに嬉しそうなんだよ! あの二人に何かあったのかも」

 急いで階段を上り、二階へと駆け上がる。


 そこに広がっていた光景は。

 水たまりのように滴る液体はライトに照らされ、その鮮烈な色彩が床を染め上げる。怯えた表情でその様子を見ていたイタルとヒバリの視線の先には――バケツが転がっていた。

「ご、ごめんなさい……バケツをひっくり返しちゃって……ペンキが」

 床一面、真っ白なペンキが瓦礫を侵食して全てを白く染め上げる。

「アタシが暗がりに置いちゃったのが原因だったの。朱雀ちゃんは悪くないわ」

 原因が判明して一安心とタケシは胸をなでおろす。

「お化けでは……なかったのデスか」

 残念がるアンドウ。

 何故彼女がしゅんとうなだれているのか、イタルとヒバリにはわかっていない。


「あ、でもでもこのペンキの海、これは悪くないです。天の川ミルキーウェイってことで白く染め上げちゃうのも面白いんじゃないかなって」

 ヒバリは思いついたらとにかく口に出す。あまり自分の考えや意見を表に出すのは得意な方ではないが、絵に関してだけは特別だった。表現したいものに関しては次から次へと思いつき、ただひたすらに形にしていく。

「ええっと、青龍さん。どうせならモップで二階の床を全部白く塗り替えてもらっても良いですか?」

「朱雀お嬢様からのご依頼とあらば喜んで!」

 アンドウがメイド服にモップで床をワックスがけならぬ白ペンキがけする様子はどこからどう見ても家政婦の清掃だった。


「――げっ」

「どうしたの、白虎姉」

「ペンキがここにあるだけしか残ってないけど、足りないんじゃない……?」

 ペース配分を考えずに一階で使いすぎたのか、残量を考えると二階の壁面を塗るには明らかに量が足りない。特に二階は夜空や星座を表現するために特定の色が大量に必要になるのに、そのことを誰も考えていなかったのだ。

「どうしましょう。下地で全面を黒く塗るのはやめておきますか?」

「でも、それじゃあコンクリの色が見えちゃうからな~。ちょっと不格好だよね」

 あれやこれやと悩んでいると、イタルが一旦取りに戻ると提案する。

「一応保護責任者として現場を離れるのはあんまりよくないんだけど、まあコイツでも居ないよりはマシだからね」

「大丈夫デス、お任せください。この青龍、大人としてしっかりと二人を見守っています。何かあればカメラに撮影されています。というわけで、お化けの撮影に成功したら報告いたしますゆえご安心を」

「ひぇっ」

「だからそういう不安にさせる発言を控えろって話なんだけど……まあいいや、ちょっと行ってくるから休憩しときなさいな」

 イタルは車で自宅へ向かい走り出す。爆音が過ぎ去ると一気に静寂が三人を襲う。



 自宅に戻り、ありったけのペンキを詰め込む。

 ただでさえ夜間の運転は不慣れなのに、ペンキを運ぶとなるとなおさら慎重にならなければいけない。人が乗っていない方が速度は出せるが、代わりに眠気が襲ってくるので結局のところいつもどおりの運転になってしまう。


「……ん。な、なんだ!?」

 ルームミラーに無数のライトが映し出される。より一層スピードを落として進んでいると、後方から排気音を響かせながら十数人の少年少女が車を横切っていく。光の群れがイタルを追い抜くと、再び静寂と暗闇が包み込む。

「ああ、不良どもか。まったく、いつの時代も変わらないね」

 ふと、科学館に捨てられていたタバコの吸殻を思い出す。現場の作業員が落としていったものだとばかり思っていたが、もしもあの場所が真夜中の不良のたまり場になっていたとしたら。

「はは、まさか――」

『そこの車、停まりなさい』

 響くサイレン。後方から赤いパトランプ。次から次へと厄介事が転がり込む。まったく、ツイてないと彼女はため息をつく。


「なんだ、お前か」

 見覚えのある中年の警察官だった。数日前、朱空あけそら家を訪ねてきた二人組の一人で、イタルにとっては見知った顔だ。助手席から降りてきたもう一人もおそらく前回と同じ若い男性だろう。

「……なんなの」

 気だるそうに相手する。彼女にとってはそれが普通の対応であった。

「ノロノロ運転してるやつがいたから飲酒運転でもしてるのかと思ってな」

「するわけないでしょ」

「あのー、この大量のペンキは何に使われるんでしょうか?」

 若い警察官が車を覗き込みながら尋ねる。

「それはっ、えっと」

 言葉に詰まる。本当のことを言えるはずもなく、信じてもらえないだろう。それどころかこないだの事件の犯人として再び疑われてしまう。これ以上の面倒事はごめんだ。

「あー、こいつの家な、塗装屋なんだ。これも親の車だろうし、どうせ深夜に小腹が空いたからコンビニにでもちょっと出ようとしたってところだろ。夜中に食べると肌に悪いし太っちまうぞー、こんな風にな。わっはっはっ」

 中年男性が自分の腹を叩きながら代わりに答える。イタルは冷たい視線を送りつつも内心は助かったと一安心。誰の目にも気を張っているのが見て取れた。

「まあこいつは大丈夫だ。夜更しはほどほどにな」

「もしかしてお知り合いなんですか?」

「おうよ。こいつは俺が更生させたからな。昔はこーんなにちっちゃかったのに、今や立派な大人になって」

「何がこーんなに、だ。アタシは米粒か」

「わっはっはっ」

 親指と人差指でつまむようなポーズに思わず突っ込む。彼のがさつな笑い声は昔から変わっていない。


「よし、もう行っていいぞ」

 やっと解放される、と緊張がほぐれる。すると先程の光景が再び頭をよぎる。

 もしも最悪の展開を考えると。大人として、取るべき行動は。

「あの、さ。さっき見たんだけど……」

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