第9話 夜をぬりつぶせ! その1

「ごめんなさいね、いつもは地区の旅行なんて断っているんですけど、今年は役員だからどうしても参加してほしいって……」

 メジロは玄関で荷物を携え、申し訳無さそうに頭を下げる。

「なーに、アタシたちが付いてるんでヒバリちゃんのことは気にせず、たまには羽根を伸ばしてきてください」

「明日のお昼過ぎには戻ってきますから。ヒバリ、皆さんの言うことをちゃんと聞きなさいね」

「う、うん……」

 ヒバリはぎこちなく返事する。母親の目には両親ともに不在という事態に不安になっているように見えたことだろう。そして周りの三人が少女をカバーするようにしっかりと見守ってくれることを期待している。それらはおおよそ間違っていない。


「姉御、メジロさんが出かけること知ってたの?」

 責めるような視線を送るタケシから逃れるようにイタルは体をそらす。

「アタシはアンドーから聞いただけ」

 名前の上がったアンドウはいつもの表情のまま語る。

「カレンダーに丸がついていたので聞いてみたところ、地区の行事により一日家を空けなくてはならないとおっしゃっていたので留守番を申し出ただけデスよ」

「……それで、今日の動画配信のために俺とヒバリちゃんに絵の練習をさせていた、と。なんだよもー、そんな計画があったならちゃんと話してくれよー!」

「い、いや。こーゆーのはほら、サプライズっていうか、勢い任せっていうか」

「ぶっつけ本番すぎるって!」



「えーっと、それでは改めて今日の流れを確認すると」

「むーっ……」

 タケシはまだむくれていた。

「ああもう、せっかくのアタシたち『四神』の初舞台なんだからさ」

「……お兄さんは、私たちと一緒に作業するの、イヤですか……?」

 ヒバリの問いかけがグサリと胸を貫き、頭をブンブン振っていつもどおりに戻る。

「いや全然! ヒバリちゃんがやる気なのに俺がしょげててどうすんだって話! みんなで最高の作品を生み出そうぜ」

「……えー、ター坊がやる気を取り戻したので改めまして。まずはこれから現場の下見。こないだは外観しか見なかったけど、作業するのは建物内部だからね。それから二人には構想を練ってもらって、その間にアタシはペンキとかハケの道具を準備する。アンドーは撮影機材の準備ね。ちゃんと照明のライトも複数用意すること。そして夜まで仮眠して、みんなが寝静まった深夜に行動開始よ」

「……あの、夜に作業って、いいんでしょうか」

 ヒバリが不安そうに質問する。

「そうそう。今から行ってパーッと描き始めたら良いんじゃないの?」

「それでもいいけど、昼間に作業してたら怪しまれるからね。まだ壁の落書き事件も風化したわけじゃないし。それに、昼間にやって終わらなかったら多分そのまま作業を続行するだけの体力なんて残らないでしょ。それなら一旦休んで夜通し作業した方が自由に使える時間が多いはず」

 イタルの言葉にタケシはなるほどと大きく頷く。

 しかしヒバリが心配しているのはそこではない。

「あ、あの。そうじゃなくて。夜ふかしするのは、悪いことなんじゃないかなって」

「……確かに、夜更しは不良の始まりと言われています」

 アンドウの言葉は正論そのものだった。

「それはそのとおりだけど……その理論には抜け道があるのよ」

「抜け道……デスか?」

「そう。夜更しはいけない――ただし、大晦日の夜やお盆におじいちゃんの家に泊まりに行った夜みたいなビッグイベント時にはその制約は無いのよ! もちろん大人が一緒にいることが条件だけど」

「つまり、例外処理が実行される……なるほど。これは盲点でした」

「アンドウも姉御の何でもあり理論に染まってきたなー」


「ええっと、じゃあ」

「何も問題はないってこと!」

 結局根拠は何一つないのにイタルは自信満々に答える。

「……ふふっ」

「どうしたの? ヒバリちゃん」

「いえ、楽しいなぁって。こんな風に、わくわくするのって久しぶりで、嬉しいです」

 そう言って笑う彼女を見ていると、三人からも笑みが溢れる。

「よし、それじゃあやろうか。日本中、いや世界中のみんなにアタシたちの凄さを見せつけてやろうじゃないの!」

「「「おーっ!」」」



 そして、その日の夜。


「……て、……ゃん、ヒバリちゃん、起きて」

「う……ん、……むにゃ。あ、おはよう、ございます……?」

「おはよう。うん、もう夜だけどアタシたちの一日の始まりだからおはようで合っているはずよ。そろそろ出発の時間」

 窓の外はすっかり暗くなり、いつもなら星を見上げる時間。そんな時間までぐっすり眠りについたのは、これから始まるスペクタクルショーのため――いや、これからのだ。


「アンドー、機材を車に積んどいて。あれ、ター坊は?」

「そちらの部屋に」

 扉を開けると鼻提灯を浮かべてぐっすり眠るタケシの姿があった。

 枕元にそっと腰掛け、口を耳元に近づける。

「起きろぉぉぉぉ!!!」

「うわわわぁぁぁあああぁぁぁ!!!」

 うろたえるタケシを一瞥して「時間だ」とだけ告げるイタルはまるで暗殺者のようだったとアンドウは後に語る。


「――さて、忘れ物はないね。休憩用のお菓子もちゃんと持ったし」

「先生、バナナはおやつに入りますか?」

「遠足じゃないから好きなだけ持っていきな。って他人ひとのもん勝手に持っていくな!」

「あ、どうぞどうぞ」

「ふむ。これが日本式のお約束というものデスね。戸締まり確認と共に最重要事項とされている『バナナはおやつに入りますか』確認、と」

「なんか意味違ってない?」

「考えるなター坊。感じるんだ」

「……よし。つまりアンドウはもっと『お約束』が見たいんだな!」

 無言でタケシに親指を立てる。

 いつの間にか通じ合っている二人であった。

「馬鹿なことやってないでいい加減出発するよー」

「はーい」

 イタルが車のドアに指をかけ、しばし固まる。

「……家の中に車のキー忘れた」

「見事な『お約束』デス」



 車内はペンキの匂いがより一層立ち込める。

「そうそう、撮影中に関して心がけておいて欲しいことが一つ」

 運転しながらイタルがみなに呼びかける。

「リアルタイム配信じゃなくて編集した動画を投稿するから、基本的には作業中の様子は早回しになるだろうし絶対そうしなきゃいけないってわけじゃないんだけど。これから『四神』として活動する間はお互いのことを本名じゃなくて、こないだ決めた呼び方で呼び合うこと」

「なるほど。名前で呼び合ってたりしたら身バレしちゃうもんなー」

「それにアタシたちはそれぞれが対等のクリエイターってことで。だからヒバリちゃんもお兄さんお姉さんじゃなくて『玄武』と『白虎』で良いからね。……あ、待って。炎上しちゃ困るし、白虎お姉さんの方が無難かな」

 子どもの礼儀作法に関しては数多くの動画で炎上騒ぎが起きている。目上の相手にタメ口はいけない、あだ名は相手を不快にさせる可能性があるので軽々しく呼んではいけないなど。当人同士が問題に思っていなくとも、第三者が問題に仕立て上げるのだ。

「じゃあ俺は白虎ねぇって呼ぶかな~」

「うーん、それくらいならセーフかな」

「では私のこともアンドウではなく格好良く青龍せいりゅうと呼んでいただけるのデスね」

 アンドウはキラキラと目を輝かせている。

青龍せーりゅー

「何故でしょう。発音が清流のように聞こえます」

「気のせい気のせい」

 街灯もなく、人気のない道をただひたすら走り抜ける。それでも目的地は暗闇の中ではっきりと見えていた。



「ていうかめちゃくちゃ明るいな!」

 現場に着いて全員が思っていた感想だった。

 施設内の電気は止まっているはずなのに妙に明るい。よく見るとイルミネーションのような電飾が壁伝いに取り付けられている。そう表現するとロマンチックだが、実際は工事現場で見かけるような電飾である。

「もしかして、先客がいらっしゃるのでしょうか」

 アンドウがカッと目を見開き、施設内を一望する。

「……観察結果によるとサーモグラフに感知されうる存在は確認されませんでした」

「よかったぁ」

「しかしオバケの存在までは否定できません」

「ふぇっ!?」

「おいアンドウ、ヒバリちゃんを怖がらせるなよな」

「夜の廃墟に来たらオバケの存在をほのめかすのがお約束だと聞いたのデスが」

「どこで聞いたんだよそんなこと」

「動画投稿サイトの廃墟探索動画やら心霊現象動画を片っ端から視聴しました」

「あれは全部演出だから! 嘘だからね!?」

 タケシの声が上ずっているように聞こえたのは気のせいだろうか。


「そういえば解体日が前倒しになったって言ってたな。それで連日夜間も作業してたって話だから、夜になると自動的に明かりが点くようになってるのかもね。下見に来た時は昼間だったから気に留めなかったけど。やった、好都合じゃん」

 とはいえ足元は暗いし、全体的に不気味な雰囲気なのは変わらない。

 もう何年も使われていない廃墟と言っても差し支えない科学館だった施設は今や見る陰もなく、むき出しのコンクリートの壁面とひび割れた受付台が彼らを迎え入れる。

「さすがに昼間とは違ってちょっと雰囲気出るかも……ま、そんなことも言ってられないか。さあ、それじゃ準備するよ」

 車から次々と降ろされるバケツにモップ、ブルーシートに使い捨てゴム手袋……これから絵を描くと言うよりは掃除に来た清掃員のようだと誰もが思っていたが、口にした途端テンションが下がりそうなので皆黙々と準備に取り掛かっていた。



「それで、何を表現するかは決まったの?」

 下見に来た後、二人はどのような絵を描きたいか話し合っていた。

「ええっと、はい。やっぱりプラネタリウムが一番思い出に残っているので、あの時見た楽しかった思い出を再現したいなって」

「へー、なるほどね。……でも、それってどうやって表現するわけ?」

 イタルの疑問にタケシが答える。

「この建物は一階と二階にわかれてるじゃん。だから一階を地上、二階を天界として表現するんだ。二階はプラネタリウムとして空を描く。具体的には星座だね。壁面を春夏秋冬の空に例えて、季節ごとに見える星座を描いていくんだ。で、次は……」

 タケシが目配せするとヒバリが応じる。

「下の階は地上として、星座に対応した動物とか、道具なんかを表現しようかなって。地上が繁栄しているからこそ、星座もより輝きを増している……そんなことが表現できたら、いいなって」

 二人の説明を聞いて「それでいこう!」とイタルがゴーサインを出す。

「よくわかんないけどすごいものが出来上がるってことだけはわかったわ!」

 彼女にとっては作品の出来栄えなど二の次で、今この瞬間をヒバリが楽しめているかどうかが重要であり、それが感じられる限りは何でも良いのだ。


「ところで撮影はいつから開始するのでしょうか」

「……はっ、しまった! 今のも録画しといた方が良かったかもね!? どうしよう、もう一回撮影しとく?」

「えっ、も、もう一回は無理ですっ……」

「いいから早く始めよーぜー」


 かくして、真夜中のスペクタクルショーの幕が開ける。

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