第7話 悔しさの理由

「事件でもあったのかな?」

「周囲を観察しても緊急性を要する事案ではないかと」

「……パトカーから誰か降りてきた」

 車から二人の警察官が降りて、向かった先は――朱空あけそら邸だった。

「あいつ」

 一人は若い男性で、もう一人のチャイムを鳴らす中年男性の顔を見てイタルが驚いたような声を出す。

「どうしたの、姉御。まさか知り合いとか」

 からかい半分だったがイタルは真面目な表情を崩さない。

「そのまさかだよ」

「あれ、ちょっと姉御どこに行くの」

「話を聞いてくるだけさ。二人はここで待ってな」


 遠くから見ているだけで声は聞こえないが、メジロとイタル、そして警察官二人が何やら色々と言い合っているのが見て取れる。元々目つきが厳しいイタルだが、彼らと話している間はさらに目を細め、喧嘩腰になっているようにすら見える。

「お前だったら遠くの声でも聞き取れそうだよな」

 半笑いでささやくが、アンドウは表情を崩さずに顔を上げる。

「集音可能デスが同一半径内の音すべてを拾い上げることになりますので特定の音声だけを聞くのは難しいかと。それに」

「それに?」

「盗み聞きはよくないことデス」

「そんな正論を言われるとは……」


 しばらくしてイタルが戻ってくる。

「何だったの?」

「詳しいことは家に入ってから話すよ。客間でな」

「それって、つまり」

 ヒバリには聞かせたくないような内容なのだ。



「――あっ」

 予想外の出来事というのは続く。

 ヒバリが部屋から出て彼らを待っていたのだ。

「外が騒がしくて、みなさんが来られたのかなって思ったら」

「お嬢様にお出迎えしていただけるとは、大変喜ばしいことデス」

「うう、喜ばしいけど今じゃないんだよぉ」


 四人はヒバリの部屋で互いに膝を突き合わせ、無言のまま時が過ぎていく。

「さて、何から話したものか」

「事情を聞いた姉御が話さないと何もわかんないよ」

「わかってるって。単刀直入に言うけど、アイツらは事件の犯人を――アタシたちを探してる」

「……はい?」


『旧道トンネルに謎の落書き。犯人は不良グループか』

 地域のニュースを検索するとそんなネット記事が出てくる。現場の写真は見覚えがあるトンネルに、見覚えのあるスプレー跡だ。

「最近あちこちで夜な夜な集まってる不良集団がいるみたいでさ、そいつらが落書きしたんじゃないのかって聞き込みに回ってるみたいだったよ。メジロさんはアタシたちが出かけたことは知らないから、誰がやったかなんてわかってないと思うけど」

 記事を読み進めていくとタケシの顔が一気に青ざめる。

「こんな大事になるなんて……どうしよう、俺のせいだ」

「あ、謝りに行った方が、いいんでしょうか」

「俺……タイホされちゃうのかな」

「それは、困りますっ!」

「もうトンネルの絵はきれいに消されたみたいだし、被害者がいるってわけでもないから今回は口頭で注意する程度だって言ってたけど。それより気に食わないのはアタシのツレを疑ってたことだよ。みんな更生して真面目になったってのに――ああ、ツレってのは昔の仲間のことね」

「ツレ、ですか?」

 ヒバリは首をかしげる。

「姉御は昔、この辺りじゃ有名な不良ワルだったのさ。俺やヒバリちゃんとは違って生粋の不良だったってわけ」

「生粋の不良ってなんだよ」

「だって聞いた話じゃ未成年だからって酒やタバコは絶対にやらない、免許を取るまでは原付きにも乗らないし、不良の中でも異端の存在過ぎて『不良の中でも不良』って恐れられていたとか」

「なっ、なんでそんなことまで知ってるんだよ!?」

 果たしてそれは不良と呼べるのだろうか。そんな疑問が浮かんできたが、ヒバリに疑問を投げかける勇気はない。


「ま、アタシも不良やりたくてやってたわけじゃないし、いつまでこんなこと続けるんだろうって思ってたところに現れたのがあのおっさん。さっき聞き込みに来てた人。あの人も『こども委員』のボランティア活動をやってたから、たまたま説得されてアタシは不良から足を洗いましたってわけ」

「お姉さんも、それがきっかけでこども委員として活動するようになったんですか?」

「まあね。多少なりと人に迷惑をかけたからには人の役に立ちたいなって」

「で、救われたのが俺ってワケ」

 親指を立てて自分を指す。

「アンタはもう少し反省してなさい」



「――アンドウは、悔しいデス」

 ずっと黙っていたアンドウが口を開く。あまりに静かすぎて三人ともそこにいたことを忘れるほどだった。

「ど、どうしたアンドー。ヒバリちゃんの非行を止められなかったことがショックだったか?」

「安心しろアンドウ、ヒバリちゃんの分の罪は俺がかぶる。一生刑務所の中で暮らすことになっても壁に絵を描き続けるぞ!」

「お兄さんだけ悪者になるのはだめですっ。それなら私も捕まって同じ場所で壁に絵を描きます」

「うん。だから落書き程度でそこまでのことは起きないから大丈夫。でもキミたちもう少しは自重してね」

 内心は絵を描くことがトラウマにはなっていないようで一安心だった。


「――アンドウは、悔しいデス」

 空気を読んで黙っていたアンドウが再び口を開く。

「ごめんなアンドー、仕切り直させて。つまり今言った内容に正解はなかったんだな、じゃあ何が悔しいんだ?」

「許可を取らずにトンネル内に絵を描くことが禁止されていることの確認を怠ったのは私の落ち度デス。お嬢様やターボ様を責めることはできません。そうではなく、こちらを御覧ください」

 アンドウが見せてきたのはネット記事のコメント欄だった。


『こんな落書きなら俺にでも描けるわ~』

『本当に人間が作ったの? 機械が出力したデータそのままパクっただけだろ』

『くだらねーことしてないで勉強しろ。立派な大人になれねーぞ』


「悪口がほとんどというか誹謗中傷の嵐というか……」

 落書きをしたという行為そのものに対する非難もあれば、描かれた絵に対する中傷も多い。共通しているのは意図や目的などは考慮されず、行為そのものに対する否定であるということ。

「あの絵はお嬢様が感じた楽しかった一日の思い出を形にしたものデス。部屋にこもっていたお嬢様が自分から外へ出ることを選んで行動した結果なのデス。それを何も知らない部外者に否定されることは許せません」

「アンドー……」

「このコメント欄全部に返信してやりましょう。いかにお嬢様が思いを込めてあの絵を描いたかを思い知らせてやるのデス」

「絶対にやめろアンドー! これ以上炎上させるな!」


「――それに、わからなくなりました」

 そう呟くアンドウの表情はどことなく暗い。無表情に見えるがほんの少しの変化が見て取れるようになった。

「この誹謗中傷のコメントを書き込んでいるのは皆人間デス。きっと、世間一般に言う立派な大人デス。絵を描くことが不良のすることだと批判されて、他人を誹謗することは許されるというのなら、立派な大人とは何なのでしょう」

 彼女の言葉に、誰も反論できない。正しい答えなど見いだせない。


「私もくやし――」

「俺だって悔しいよ!」

 二人が同時に声を上げる。

「あっ、ごめん。どうぞどうぞ」

「え、あ、あの。すごく大したことなくて、自分勝手なことを思っちゃっただけ、なので……」

「いいよいいよ。そういうのは全部吐き出しちゃいな。おねーさんがしっかり受け止めてやろう」

 握りこぶしで胸を叩く。

「その、私が悔しいのは、何も伝えられなかったこと。ただの落書きにしか見えなくて、人の心を動かすことが出来なかったことが、とても残念だなって」

「そう、それっ!」

「ひゃっ」

 タケシが大声を上げ、思わずヒバリが体をこわばらせる。

「こいつら何もわかってねーんだよ。SUZAKU先生の実力はこんなもんじゃないってのをもっと世にわからせてやりたいんだ。ていうか、消された!? 俺とヒバリちゃんの初の合作がもう残ってないのかぁ……」

「一応動画には残っていますが」

 アンドウがスマホの再生ボタンを押すと、当時の二人が作業している様子が録画されていた。

「よし、アンドウ。動画サイトにアップして世界中に知らしめてやろうぜ」

「了解しました」

「だから駄目だっつってんだろ! 自分から証拠残してどうするんだ」

「モザイク処理もして音声も加工しますが?」

「したって駄目。犯行声明じゃないんだから、まるでこれからもっと大掛かりなことやりますって宣言するようなもんでしょ。今度こそ警察に目をつけられるっての」

「それは困ります。刑務所のご飯ではお二人が満足できずにやせ細ってしまいます……失礼、ジョーク検定は三級までしか取得していませんでした」

「ジョークよりもここぞという時に空気を読む能力を磨くべきだな」

「ターボ様にまで空気の読めない女扱いされるとは……空気の読み方の参考書はどちらで手に入りますか」

「そんなの役に立たないんだよなぁ。絵と一緒で感覚で覚えるのが一番」


 それからしばらく考えこんでいたイタルが再び口を開く。

「……しかるべき時に、しかるべき場所で、か」

「姉御?」

 いたずらに笑う彼女の表情は傍から見ると悪巧みを思いついたように見えるが、タケシから見たイタルはとても晴れやかな顔に見えた。

「やってやろうじゃない。SUZAKU先生の復活お披露目会」

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