第6話 お出かけ
もうすっかり日は暮れていたが、それでもタケシの熱弁は終わらなかった。
「いやはや、まさかSUZAKU先生がヒバリちゃんだったとは」
「あう……あの、先生だなんて、やめてください。それに今はもう、絵は描いてないんです」
衝撃の告白に凍りついたように固まる。
「なんでっ!?」
「ひゃっ」
「ター坊、アンタならわかるだろ。人と違うって目で見られることは相当なプレッシャーだよ。良い意味でも、悪い意味でもね」
「俺と同じだったら簡単じゃん。また絵を描こうよ。更生することと絵を描くことは両立できるんだからさ」
タケシの言葉に一瞬大きく目を見開き、それからゼンマイを巻かれた人形のように機械的に窓際へと移動するヒバリの姿を不思議そうに三人は見つめていた。
「……すー……はー……」
「えっと、ヒバリちゃん?」
「あっ、ご、ごめんなさいっ。ついいつもの癖で」
「一時的に上昇していた心拍数が急速に平常値へと戻りました。ルーティーンだと予見されます」
「ルーティーン?」
「気合を入れたり、気持ちを落ち着かせるための自分だけの決め事。例えば最初の一歩目は右足から、みたいなね。窓際に移動することがヒバリちゃんにとってルーティーンってこと?」
「えっと、窓の外を……星を見ると気持ちが落ち着くんです。キラキラしていてキレイだなって。モヤモヤっとした気持ちも、お星さまが照らしてくれるような気がするんです。それに、もしも流れ星が見えたら、願い事を叶えてくれるかなって思ったり……」
窓の向こうに小さく光る星が一つ。言われないと気付かないようなほんの僅かな豆粒みたいな光。
「あのー……そもそもの話なんだけど。俺、何か変なこと言っちゃった?」
おずおずと声をかけるタケシに対し、ヒバリは大きく首を横に振って否定する。
「ちち、違いますっ。嬉しかったんです。私もまた描きたいって思っていたので……でも」
アンドウをちらりと見る。彼女は視線に気付くが「私が何か?」と不思議そうに返される。
「さっきアンドウさんには絵を描くのは悪いことだって言われたので、つい、言うのをためらってしまって」
「ご安心くださいお嬢様。そのような悪いアンドウは死にました。ここにいるのは良いアンドウ、すなわち光のアンドウなのデス」
「いいぞアンドー、アタシそういうふてぶてしいの嫌いじゃない」
「……コホン。真面目にお答えしますと、納得がいったわけではありませんが、最終的に決めるのはお嬢様デス。少なくとも選択肢を奪うようなことがあってはいけないと考えています」
「そんな考えができるようになるとは、アンドーも成長したねぇ」
割と最初の段階から出来ていたような気がする、とは思っていても誰も口に出さなかった。
「星を見るのが好き……そうだ、ター坊も明日はお休みだよね」
「うん」
タケシが頷くとイタルは満面の笑みを浮かべる。
「だったら明日プラネタリウムを見に行きましょう。前にアタシが住んでた時に一度見に行った覚えがあるの」
「あー……でも姉御、」
「なるほど、それは妙案デス。それに明日はメジロ様が地区の慰安旅行の打ち合わせのため朝から出かけるご予定なので、お嬢様がお一人になってしまいます」
「ますます放っておけないじゃない。鑑賞中は暗いから周りの人なんて気にならないし、親の車借りてアタシが運転するから安心安全なお出かけを約束するから。ね、どうかなヒバリちゃん」
ぎゅっと両手を握ってヒバリの方を見る。多少強引に思えるが、それでも何とか外へ連れ出したいという思いは伝わってくる。少し悩んだ後ヒバリは首を縦に振る。
「よしっ、これで決まり。……何よター坊、アタシの運転じゃ安心できないって顔してるじゃない。ハンドル握ったら人が変わるとかそんなことはないから大丈夫よ」
「案外ルッテ様は慎重になりすぎてノロノロ運転になり後続車からクラクションを鳴らされるタイプかと」
「ふっふっふっ、そんな時期はとうに卒業しましたー。今では時々しかクラクションなんて鳴らされないから」
「普通はそもそも鳴らされないかと」
「うっさいっ。いいから、そうと決まれば今日はもう早めに切り上げて明日に備えること。はい、じゃあ今日はもう解散!」
イタルが仕切って各自帰路につく。最後までタケシの表情は晴れないことに気付く者はいなかった。
翌日、四人は車でプラネタリウムのある科学館へと向かっていた。
助手席にヒバリ、後部座席にタケシとアンドウが乗車している。運転手は安全第一でお馴染みのイタルが務める。
「仕事の作業道具とかあるからちょっと音や匂いが気になるかもしれないけど、ごめんねー」
「い、いいえ。でもこの匂いって」
「この化学合成物はペンキの匂いデスね」
鼻をつく独特の匂いが車内に蔓延する。そのため窓は全開で走っている。
「ウチの親は建物の塗装に関する仕事をやっててね。大きな仕事があるとあちこち飛び回ってその周辺で仕事がないか探して、また次の案件が入れば別の地方へ向かうって感じ。腕利きの職人ってヤツで業界内じゃ有名らしくて、それで転居を繰り返してたの」
「なるほど……あれ、絵を描くことに関わるお仕事なんじゃ」
「絵も描いたりするけど、それってオリジナルじゃなくて機械が作り出したものをそっくりそのまま描き出す作業だから、自由な発想とは真逆の仕事なのよね。アタシはそれを見て絵を描いてみたいなんて思ったことは一度もないもの」
前で二人が話に夢中になっている中、後部座席の二人はこそこそと話し合っていた。
「いいかアンドウ。休日に女の子がやるような遊びをちょっと考えておいてくれ」
「……? これからプラネタリウムを見に行くのにデスか」
「昨日は姉御が楽しそうにしてるしヒバリちゃんも乗り気だったから言えなかったんだけど……まあ、行けばわかるから。多分プラネタリウムは見れないと思うんで、代替案を考えておいてほしいんだ。俺は女の子が楽しめるような場所とかわかんないし、まだお前の方がわかるかなって」
「了解しました。徹底的にリサーチします。アンドウサミットを開催して脳内カンファレンスによる最適解を導き出してみせましょう」
そう言って静かに目を瞑り何やら考え込む。
「思考……演算……いけません、それはサメ映画デス……こっちのゾンビ映画にしましょう」
「大丈夫かな」
タケシが不安に思っていると不意にクラクションが鳴らされる。
「うっさいわね、こちとら安全運転よ。信号変わるまで待ちなさいっての!」
後方では右折待ちが列をなしていた。
「あれ……こっちで合ってるはず。古いナビだから道が結構変わってるみたいね。でもこのまま進めば科学館って案内されてるから大丈夫」
「そっか。古いナビだったか……」
タケシのつぶやきはイタルには届いていない。細い路地から高台へ向かう道に入った彼女にとってここは馬の背を渡るような感覚だった。知覚を研ぎ澄まし、目の前を進むことに集中する。周りの声など聞こえていない。
「とうちゃ~く……って、あれ」
ようやく彼女が解放された時、目の前にあるはずだった景色とは少し違う建物の姿がそこにあった。
「改装中? 鉄骨で覆われてるけど」
「それにしては、他のお客さんもいないような」
ヒバリの言葉で察したようにタケシの方を振り向く。彼は無言でただ頷いた。
「うっそ……閉館してる」
張り紙がもう何年も前に施設が閉館したことを告げていた。風化してボロボロになった紙が揺れている。
「改装ではなく、解体準備でしょうか」
「まあ、そりゃあね。いつまでもそのままってわけにはいかないけど、思い出の場所がなくなっちゃうのはちょっと寂しいものね……ってヒバリちゃん!?」
今にも泣き出しそうな顔でうつむいているヒバリに驚き思わず声を上げる。
「ごめっ、なさい……せっかく、誘ってくれたのに。私、今の町のこと、なんにも知らなくて……お姉さんに悲しい思い、させちゃった」
「ヒバリちゃんが謝るようなことじゃないって。ていうかター坊、アンタ知ってたんじゃないの!?」
「いやまあ、知ってたといえば知ってたけど。言おうとしたけど二人とも乗り気だったから水を差すようなことはしちゃ悪いかなって」
「……アンタを責めても仕方ないのはわかってる。ナビに載ってたからってそれ以上調べなかったアタシのリサーチ不足って話よね」
意気消沈しているイタルに向かってアンドウが前に出る。
「ご安心くださいルッテ様。このアンドウめがお嬢様休日満喫プランを考えておりますので、皆様をご満足いただけるよう誠心誠意込めてプランニングいたします」
「アンドー……そういえば今日はいつものメイド服じゃないんだな」
下はスキニージーンズに上はシルエットが浮かび上がるぴったり目のシャツで、長身なのも相まってよく見るとモデル体型のようなスラッとした背格好なことに気付かされる。
「本日はお出かけということで、あのメイド服では目立ってしまいご迷惑をおかけすると判断いたしました。どうも、空気の読めるアンドウデス」
ペコリとお辞儀する様子はいつものアンドウだった。見えないメイド服のスカートの裾をちょんとつまむ。
「別の意味で目立つけどなぁ」
聞こえないくらいの声でスタイルが良すぎて、と続ける。
「ターボ様、何かおっしゃいましたか」
「んー、いや、何も」
「先程目立つと聞こえたような」
「言ってない言ってない。姉御ー、早く出発しよー……って、姉御?」
三人とは少し離れた場所で佇んでいるイタルを不思議そうに見つめる。
「ああ、何でもないよ。さて、行こうか」
そう言って駐車場に捨てられていた吸い殻から目を離す。比較的最近捨てられたものだったように思える。
「では、休日にお出かけといえば映画とショッピングが一般的かと。というわけで複合商業施設、つまりショッピングモールにやってきました」
「アンドウにしちゃ無難な選択だ」
「大丈夫よヒバリちゃん。アタシたちが付いてるから」
不安そうに視線を泳がせるヒバリの手をぎゅっと握る。安心したのか落ち着きを取り戻す。
「ふむ、まずは映画デスね。ちょうど今上映しているのが『恋するショコラティエ』デス。宇宙から地球侵略を企てるスイーツ星人とショコラティエが料理対決をするお話デス。さらに対戦相手のスイーツ星人と恋に落ちますが、地球の空気により発酵が進み残り僅かな命と悟ったヒロインが放つ『私をトッピングに使って。あなたと最初で最後の共同作業よ』という決め台詞が涙なしには見られない超大作SF恋愛モノだと大評判デス」
「面白いの、それ」
「女子の大好きなスイーツと恋愛をふんだんに使った特濃映画とのお墨付きデス。カカオ成分80パーセントのほろ苦さが癖になるとも。最後には爆破シーンもあるとか」
「80パーセントってほろ苦通り越してるけどね。そういうのが流行りかー」
自分が男だからあまり共感できないのだろうかと一人頭を悩ませる。
「爆破シーンって特濃映画っていうより特撮映画じゃん。そもそもそれ言っていいの? 爆発オチってことなら急にB級感が増してくるわ」
びっくりするほどガラガラで人の目を気にせず鑑賞できた。
内容的には後半からスイーツ星を目指して宇宙船を開発するストーリーに注力しており、スイーツ星人を使って作ったチョコケーキを届けるために宇宙船に乗り込み宇宙へ旅立つ感動的なエンドだった。ロケットの噴射シーンを爆破シーンと表現しているだけで肩透かしを食らったとは思っても口に出来ない。ちなみにネットでは「共食いじゃね?」「相手の神経逆なでしてるじゃん」と散々な評価なのは内緒の話。
映画を見て、少し遅めの昼食を食べて次はショッピングとアンドウが息巻く。
「女の子同士三人で行ってきなよ。俺がいても邪魔になるだけだし、こっちもこっちで買いたい物があるから後で合流ってことで」
「気が利くねぇター坊は。ま、それなら気にせず楽しませてもらおうか」
「では一時間後に再びこの場所に集合ということでよろしいデスか」
「一時間後ね、了解。……一時間で足りる?」
冗談でタケシは言ったつもりだったが、アンドウは至って真面目に返答する。
「大丈夫デス。一時間で終わらせます」
「お、おう」
――そして一時間後。
「時間通りに戻ってくることが出来ました」
両手に荷物を抱えながら悠然と歩くアンドウの後ろで膝に手を置き息を切らしている二人組が見える。
「……ぜぇ、……はぁ……ハア……」
「アン、ドーッ、……はぁ、ハイスピードで店を回りすぎだろっ……。アタシでもメチャクチャしんどいわこれ。ヒバリちゃん大丈夫?」
「ハイ、ダイジョウブデス」
「大丈夫じゃないっ!?」
目をぐるぐる回し口から精気が抜け出している。もはや完全に燃え尽きていた。
「これだけ店舗が多いと一箇所の滞在時間も数分しか取れません。買い物するためには常に最高効率で歩く必要がありました」
「病み上がりに全力疾走させるようなもんでしょこれっ!」
イタルの抗議など聞く耳を持たないといった感じでアンドウは次の予定に着手していた。
「さて、ショッピングを楽しんだ後はカラオケに行きましょう。フリータイムで六時間歌い放題コースが待っています」
「……きゅ~」
ヒバリがその場にバタンと倒れる。
「ええい、もうやめやめ。アンタのプランは全力出しすぎ!」
「おかしいデスね……」
何が悪かったのかわからないという表情のアンドウ。
「じゃあ、ここで真打登場ってわけ」
タケシが怪しげに笑う。
「そういえばアンタも買い物してたのよね。その大きな紙袋、何が入ってるわけ?」
彼は両手に大きな紙袋を携えていた。
「いいからいいから。姉御、今から俺が言う場所に車で行ってほしいんだ」
四人が向かった先は町外れの人を寄せ付けない旧道だった。草が生い茂り、地元の人間でもめったに通らないような場所で、途中からは車で進むのもはばかられるような細い道が続く。
「ここって新しい道路が出来てからは使われてない道路で、このトンネルも途中で行き止まりでしょ。こんなところに来て何をしようってわけ」
先程の紙袋を持って先頭を歩くタケシが立ち止まり振り返る。
「そう、ここに来たんだ」
「ここ?」
ヒバリの目の前には暗く吸い込まれそうなトンネルの入口が見えるだけだ。小さな子どもなど簡単に飲み込んでしまいそうな深く冷たい暗闇が手招きしている。
「目的地はこのトンネルさ」
「季節外れの肝試しでもやろうってわけ?」
「こ、こわいのは、ちょっと……」
思わずアンドウの後ろに隠れる。
「お化けなどアンドウの敵ではありません。心霊写真鑑定士一級はもちろんのこと、悪魔祓い検定一級の資格も持っています。万が一お嬢様に悪魔が乗り移ってもご安心ください」
「安心できないよっ!?」
涙目で突っ込むヒバリを見て「?」と首をかしげる。
「このトンネルならもう誰も利用してないし、ちょっとくらい好きに使ったっていいでしょ。こんなに大きなキャンバスがあれば落書きし放題ってわけ。……お化けなんていないからね」
「つまりターボ様はトンネルの壁面を使って絵を描こうとしている……というわけデスか」
「そう、そーゆーこと。じゃーん」
タケシが紙袋から取り出したのはカラースプレーだった。様々な色のスプレーが大量に入っている。
「絵を描くってのはちょっと違うかもしれないけど、ヒバリちゃんがまた絵を描きたいと思えるようなきっかけになればいいなって。……後は単純に俺も何か表現したいなって思ったり」
入口付近の比較的明るい場所にスプレーを吹きかける。大雑把に色を塗り重ね、ぼやけたシルエットだがそれなりに形が出来上がる。
「……これはなんでしょうか。データベースにも登録されていません。ターボ様のオリジナルキャラクター……?」
困惑するアンドウに対し、ヒバリはすぐにピンときた。
「さっきの映画のスイーツ星人、ですね」
「おっ、さすがヒバリちゃん。大正解~」
やはり不可解だとアンドウは考え込む。
「言われると確かに、とは思いますが。絵を描くことの必要性が理解できません」
「ま、アンタにはわかんないかもね。それでも構わないと思うよ。アタシもよくわかんないし」
スプレーを持ち、楽しそうに笑っている二人の子どもとは対照的にトンネルの前で何もせずにただ立っているだけの大人が二人。
「けど、アタシでもわかったよ。さっきのがスイーツ星人だってのは。上手い下手の問題じゃなく、気持ちの問題っていうのかな。何を描こうとするか、描きたいかって思ってるのかくらいは理解できる」
「……アンドウにできるのは、否定しないことくらいでしょう」
「うーん、ちょっと暗いな。姉御、車のライトとかでトンネルの中を照らしたり出来ないかな」
「んー、角度的にどうかなー。スマホのライトでも点けようか」
「明かりですね、お任せください」
言うとアンドウから強力な光が発せられトンネル内を強く照らす。
「ちょっと、どうなってんのそれ。もしかして目から直接ライトが出てない?」
「え?」
「うわっまぶしっ!」
アンドウが視線を傾けると光がイタルを直撃して思わず視界がちらつく。しばらくしてようやく目が元通りになると、顔の前にスマホを掲げるアンドウの姿があった。ライトも当然スマホから発せられている。
「あれ、最初からスマホだった?」
「そうデスよ。ルッテ様は運転のし過ぎでお疲れのようデスね」
「そっかぁ、ちょっと目が疲れてたのかなー」
目頭を押さえながらその場にしゃがみ込む。
アンドウはただずっと絵を描く二人の様子をスマホ越しに眺めていた。
「そういえばヒバリちゃんってさ」
「はい」
壁に向かってスプレーを吹き付けながらタケシが問いかける。
「なんで絵を描くのやめちゃったの」
「えっ」
ピタリと手が止まる。
「あ、いやこの流れなら軽く聞けるかなって思って。ごめんね、言いたくなかったら無理に話さなくていいから」
「……お兄さんなら、わかってくれるかもしれないので、むしろ聞いてほしいです」
「うん、ゆっくりでいいから」
あえて視線はヒバリには向けず、絵を描くことに集中しながら。次の言葉を待つ。
「最初は、ただあの子が笑ってほしくて。それに、一緒に絵を描くのが楽しくて。言葉は通じなくても、絵を描いてる間はなんとなく心が通じ合っている気持ちになれました」
ヒバリが描いた絵を掲げ、戦争を終わらせたとされる少女。連日報道されるニュースの中でその絵の誕生秘話は何度も取り上げられ、多くの国民の知るところとなっていた。たまたま日本にやってきた彼女と偶然出会ったヒバリにとって、少女は僅かな時を過ごした遊び仲間に過ぎなかった。大人であれば一期一会の出会い、しかし子どもにとっては鮮明に記憶に残る思い出となった。
「君の絵は素晴らしい。だからもっと絵を描いてほしい。そんな風に言われて、ただ絵を描き続けました。あの子との思い出を思い出しながら、記憶に残る風景や楽しかった出来事を形にしました。最初は良かったんです。でも――」
ヒバリの声が一段と暗くなる。
「少しずつ、違う声も聞こえるようになって。あの子は普通じゃない、このままじゃ立派な大人になれない、って。周りの子も今までと少しずつ変わってきた……って、今にして思えば私の思い込みだったのかもしれませんが。自分から距離を取るようになってしまったのかも」
「ちょっと人と違うことをしているってだけですぐに不良だとか立派な大人になれないって大人たちは言うんだよな。急に仲間外れっていうか、一人きりにされた気分」
「それに、両親も最初は喜んでくれたんですが、少しずつ変化していったような気がして。絵を描くことを反対されたりやめるように言われたことはないんです。でも、逆に賛成されたこともなくて。描いていた時も、描くのをやめた時も、何も言われませんでした」
「……描く理由や目的を見失っちゃったって感じ?」
「描いても何も言われない。描かなくても何も言われない。誰かは喜んでくれるかもしれないけど、目の前の
それで引きこもっちゃいました、と自虐的に笑う。
「じゃあ、今日からでいい」
「え?」
「絵を描く理由、もう一度見つけようよ。ほら、本当は描きたがってるんだ」
後ずさって壁面全体を見渡す。
二人が描いてきたのは明確な風景や元になったモチーフがあるわけではなく、ただただ思いのままにスプレーで描いた心象風景。その抽象画はトンネル内いっぱいに広がっていた。
「こんなに夢中になってたんだ。また描いてみようよ、絵」
「……はいっ」
そして休み明け。
いつものようにタケシがヒバリの家に向かおうとすると、周辺が何やら騒がしい。
「どうしたんだろ。こんなに人がいるなんて珍しい」
「……ターボ様、ターボ様」
囁く声がして振り向くと、アンドウが物陰から手招きしている。
「アンドウも姉御も何してるの。こんなところに隠れて」
「ルッテ様に隠れるようにとの指示が」
「アタシは昔の癖でつい……」
二人と同様にヒバリの家から少し距離をとってその場に留まる。
「それで、何かあったの?」
不思議そうに言うタケシに対し、無言でイタルが指をさす。
その指が指し示す方を見ると――パトカーが停まっていた。
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