第5話 絵を描くのは不良のすること?
翌朝は慌ただしかった。
「うわわわ、この時間だったら猛ダッシュで向かえば間に合うかな」
階段を降りると味噌汁の匂いが鼻をかすめる。
「あらおはよう。ちょうど朝ごはんの準備が出来ましたよ」
「おはようございます! いただきます!」
遅刻が決定した瞬間だった。
「あれ、ター坊のんびりしてて大丈夫なの?」
しばらくしてイタルが居間に入ると美味しそうにご飯を頬張るタケシの姿があった。
「一時間目の授業にはギリギリ間に合うかなってところ」
「絶対ヒバリちゃんの前では遅刻したなんて言わないように」
「そういう姉御こそ大学の講義があるんじゃないのー」
ずずっと味噌汁をすする。豆腐とわかめをゆっくりと噛む様子から急ごうという気は感じられない。
「アタシは初めから今日は午前中は休むって決めてたから休みなの」
「それはつまり、本当は講義があるってことでは」
「ふふ、知らないのター坊。大人は案外いい加減なものなのよ」
ドヤ顔で言い放つイタルに返す言葉もないタケシであった。
「メジロ様、洗濯物を干して参りました」
「ありがとう、安藤さん」
「居ないと思ったらアンドー……その姿といい本当に家政婦みたいね」
フリフリのメイド服に洗濯かごを持つ様子はまるで初めから家政婦として雇われているかのような立ち振舞いだった。
「おはようございます、ルッテ様。ええ、ハンドメイド検定1級の資格を持つ私に死角はありません。資格に、死角。ここでオヤジギャグ検定1級の実力まで発揮してしまうとは、自分で自分が恐ろしいデス」
無表情だがどう見てもドヤ顔で言っている。
「いや待て。ハンドメイドは手作りって意味でメイドとは関係ない。あとオヤジギャグ検定の基準がガバガバ過ぎる。『朝食がなくて超ショック~』とかと同じレベルじゃん」
「むむ、それは2級の難問デスね。もしやルッテ様もオヤジギャグの使い手……」
「嬉しくなーい」
一通りのやり取りを終える頃にはイタルの朝食も準備されていた。
「流石に昨日の今日で降りてくる、なんてことはないか。ヒバリちゃんのお部屋で朝食を食べても良いですか?」
「ええ、それじゃあの子の分も用意しますね」
「ではお嬢様の分は私がお運びいたします」
手慣れた様子でメジロを手伝うアンドウを見て、やはり家政婦なのではと改めて考えていた。
「ヒバリちゃん、起きてる?」
鍵がかかってないことはわかっているけれど、一応外から声掛けを行う。
少ししてから静かにドアが開き、聞こえるかどうかの声で「どうぞ」と囁かれる。十分すぎる前進にイタルは微笑みで返す。
テーブルを出し、配膳を済ませると、壁にかかったカレンダーが目に入る。何年も前の日付のまま放置されたそれは残酷なまでに年月の経過を示している。
しかし彼女が気になったのは日付ではなかった。
「あのカレンダーに描かれてる絵、なんだっけ。どこかで見たことがあるような気がするんだけど」
「あ、あれは」
「むむ……解析完了。作品名などはありませんが、いわゆる『花の休戦』の象徴として取り上げられる絵かと思われます」
ヒバリよりも早くアンドウが答える。
「もー、なんで先に言っちゃうの。ヒバリちゃんに答えてほしかったのに」
「……申し訳ありません。空気の読めないアンドーでした」
「花の休戦って確か、四、五年前にあったすごい戦争のときの話よね。他国も巻き込んでの世界大戦になるんじゃないかって言われてて、日本も自衛隊を派遣するだとか、極秘に研究してた世界初の二足歩行兵器を投入するとか言われてたんだっけ。……で、あの絵はどう関係するの?」
イタルの問いにどう答えればいいか困惑気味のヒバリと、彼女が答えるまで黙っていようと見守るアンドウ。
「ほらヒバリちゃん困ってるじゃない。何黙ってんのアンドー早く答えなさいよ」
「ふむ、空気を読むのは難しいデスね」
改めてアンドウが説明する。
「戦争開始が秒読み段階となったある日、一人の少女がカメラの前に立ち、戦争反対を訴えました。それだけならよくある光景デスが、少女の手には一枚の絵が握られていました。曰く『こんな絵が描けるくらい自由で、平和な国を取り戻したい』と。それは衝撃的だったのデス。それはデータベースを参照しても出てこない、れっきとしたオリジナル作品。今や絵画というのはAIが形成するものであり、どこにも存在しないオリジナルを人間が描き出すなど有り得ないことでしたから」
そしてその少女の行動がきっかけとなり、休戦に向けた協議が行われ今も戦争が再開する雰囲気はない。名も無き一枚の絵が世界を動かしたのだ。
「ああ、そうそう。大騒ぎになったんだよね。なんでもその絵って日本人が描いたとかで。そういえば下に飾ってあった絵も似てるような感じだけど、有名な人?」
イタルの質問にヒバリは再び困り顔を浮かべる。気まずい沈黙が流れ、イタルが話題を変えようかと考えていると意を決したかのようにヒバリが口を開く。
「あ、あのっ。その、それ……あの絵を描いたのは私、なんです」
「……え?」
予想外の答えに二人は顔を見合わせた。
「すごいすごーい。ヒバリちゃんめちゃくちゃ絵上手じゃん。おねーさん芸術の良し悪しは全然わかんないけど、すごいってことは伝わってくるからすごい絵よ、これは」
食事を済ませた後、押し入れに眠っている彼女が描いた絵を見ながらイタルが感嘆の声を上げる。
「……ほめられてるんですよね、私」
「もっちろん。ター坊にも見せてやってよ。あいつは私と違って絵の良さがわかる奴だから、きっと喜ぶに違いないって」
その言葉に照れながらも満更でもない様子のヒバリ。それとは対照的に、眉をひそめて難しい顔でそれらの絵を眺める者がひとり。
「お嬢様は今でも絵を描いていらっしゃいますか」
「いえ、今は全然。……でも」
「それは良かったデス」
言いかけた言葉にかぶせるようにアンドウが続ける。
「絵を描くのは不良のすることデスから、更生の妨げになるところでした」
「……ああん?」
悪意のない言葉であることは今までの流れで理解している。理解しているつもりでも――イタルには我慢できなかった。
「こんにちはー。『こども委員』の
放課後、タケシが昨日と同じ時間帯にやってくる。
迎えたメジロの表情も初日と同じように陰っているように思えた。
「ああ、いえ、みんなお部屋にいるんだけれど、なんだか騒がしくて。何があったのか気になるけど、踏み込むのはちょっと勇気がいって……」
「なんだ、そんなことか。まっかせてくださいよ、ケンカの仲裁とか得意ですから」
軽い気持ちで部屋の前に立つ。
「こんにちはー。戻ってきまし、うわっ」
ドアをノックして言い終わるより先に扉が開き、中から飛び出してきたのは一番予想外の人物だった。
「お兄さん、助けてくださいっ。ふ、ふたりが、ふたりがっ」
切羽詰まったヒバリの表情に圧倒されつつも、ゆっくりと部屋の中を覗いてみる。
ピンと張り詰めた空気が外まで伝わってくる。極限の緊張状態。無言でにらみ合う二人の女性。まさに一触即発といった雰囲気だった。
「……戦争でも始まるの?」
ケンカの仲裁なら得意だった。これはもはや開戦前夜だ。
「来たかター坊、このわからず屋にアンタからも言ってやってよ」
「わからず屋はルッテ様の方デス。とても更正員の発言とは思えません」
「まあまあ、二人とも落ち着いて。喧嘩の原因は何なのさ」
バチバチと火花を散らす二人に挟まれて状況が飲み込めず、ただ困惑する。
「絵を描くのは不良のすることデス」
「あー……ああー……」
タケシは一瞬で理解した。その論争が意味するところ、なぜイタルが正しいはずの主張に真っ向から対立するのかを。
「残念だったなアンドー。ター坊はこっちの味方なのさ。なんせこいつは今も絵を描く側の人間だからな!」
「えっ、そうなんですか?」
アンドウではなくヒバリが驚きの声を上げる。
「実はそうなんだよねー……? なんかヒバリちゃん嬉しそうだね」
タケシが指摘するとハッとした顔でうつむく。
「そう……なんデスか?」
今度はアンドウの番。
「もちろん大人たちの言いたいこともわかる。今の世の中は機械が完璧な作品を仕上げてくれるから、俺たちはその完璧な作品を見てそれを美しい、素晴らしいものだと教え込まれてきた。それが立派な大人になるってことだ。人間が描いた作品はどこまでいっても完璧には程遠く、不格好だ。大人たちに言わせると正しくない」
「絵を描くことに意味なんかない。そんなことをしていたら間違った大人になってしまう。それは不良のすることだ、ってのが今の世の中の考え方だもんね~」
両手をくるくる回して啖呵を切るように息を吐く。
目付きの鋭いイタルが行うとより迫力が増す。
「まあ、それはその通りだと思う」
「はぁっ!? この流れでアンタ裏切るのっ!? だってそれは」
予想外の言葉にイタルが語気を強める。
「俺がやってきたことを全部否定することになるから、でしょ」
「……どういうことでしょう」
二人のやり取りをじっと聞いていたアンドウが再び口を開く。
顔はずっと無表情だが、最初のいがみ合っていた雰囲気は全く感じられない。
「俺の残念な過去を暴露しちゃうと、俺も元引きこもりでさ。昔からなんとなーく他の子とちょっと違うかな? って思うことがあったんだけど、そのきっかけが絵を描くことに興味を持ったから。この絵は素晴らしい、これは美しいって思うことが正解だ、ってことが本当に正しいのか? って思ったんだ」
「つまり、絶対的な尺度そのものを疑ったわけデスね」
「一度そう思ったら気になっちゃって。機械が導き出す答えじゃなくて、自分の思う正解ってのは何だろう。それを形にしたいなって」
ヒバリが何か言おうとして、やっぱりやめてタケシの次の言葉を待つ。
「でも、親がそれを許さなくって。周りからも『お前はおかしいぞ』って言われちゃって、何が正しいのかわからなくなってさ。不良の烙印を押されちゃったわけ」
飄々として語っているが、普段の彼からは想像できないような過去の出来事に誰も口を挟めないでいた。
「――で、だ。そんな俺を救い出してくれたヒーローが今ここにいる姉御ってわけ!」
突然テンションが高くなり、指名されたイタルも驚いて二の句が継げない。
「ターボ様を更生されたのがルッテ様、というお話デスね」
「ああー……まっ、そんなところ」
「姉御は俺が悩んでたことを全部肯定してくれたんだ。『絵が描きたいなら描けばいいじゃん。正しいとは何か追い求めるヤツが不良だって言うんなら、周りの方が間違ってるさ』ってね」
イタルの声真似をしながらキリッと言い放つ。
思いっきり格好つけた様子で言われたイタルは恥ずかしくなって顔を隠す。それでも三人の視線が痛いほど伝わっていた。
「って、ていうかっ、アタシは最初のきっかけだっただけで、アンタがもう一回絵を描き出したのは違う理由でしょうが」
腕で口元を隠しながら必死に話題をそらす。まだ耳は赤い。
「更生のきっかけは姉御のおかげ。それとは別に俺がもう一回絵を描こうと、描きたいって思えたきっかけはとある一枚の絵なんだ。それも、人間が描いた絵だ」
タケシの言葉に三人は目を合わせる。まさか、と。
「……それって『花の休戦』の?」
「そうそう、それ。なぁんだ姉御知ってるじゃん。あの絵を描いたのは実は日本人で、正体不明の覆面絵師『SUZAKU』として個展が開かれたんだ。正体はかつて有名だった芸術家の子孫じゃないかとか、脳内にマイクロチップを埋められた人造人間とか、AIを違法に改造して出力させた作品を手で写したとか陰謀論みたいな噂がわんさか出てたよ。『こんな自由な発想は子どもでなければ生まれない』って言い出す人もいたっけなぁ~。残念なことにすぐに活動をやめちゃったから正体は謎のまま。俺はその個展を見に行ってもう一回絵を描きたいなって思ったわけ。それで姉御には言ったと思うけど、下の廊下に飾られてた絵がその絵に似ててさ……」
タケシが喜々として語っているが、三人は押し黙ったままだ。その態度から己の推し活に傾倒しすぎたと察して講釈を止める。
「ま、まぁその人も姉御と同じくらい更生のきっかけ――大人から見たら更生じゃないのかもしれないけど、俺が立ち直るきっかけを与えてくれたんだ。だからさ、俺は絵を描くことは不良のすることだって決めつけてる世界を変えたくて絵を描いてるんだ」
恍惚として語るタケシを他所に、水面下でイタルがアンドウに「やれ」と視線で合図する。キョトンとした表情で見つめ返すアンドウにそっと耳打ちする。肝心なところで相変わらず空気が読めない。
「ターボ様はその絵師に会えたらどうなさいますか」
イタルの助言をなぞって問いかける。
「んー……わかんない。頭真っ白になって何も言葉が出てこないかもしれないし、ありったけの思いをぶつけるかもしれないし」
もうぶつけてるけどね、とタケシに聞こえないように囁く。その隣で囁かれた少女はイタルから伝播したように真っ赤な顔で固まっている。
「では、その絵師が目の前にいるとしたら」
「目の前って……え、アンドウ?」
今、タケシの視界にはアンドウしか入っていない。後の二人は部屋の隅でゴソゴソと作業している。
「違います」
するとアンドウの背後、カレンダーが目に留まる。もちろん、そこに描かれていた絵にも。
「ああ、そうそう、これだよこれ。これを描いた人がさ――」
壁に近寄りじっくり見つめ、それから振り返る。振り返ると、押し入れの奥から額に入った一枚の手描きの絵を取り出し抱えているヒバリの姿。その絵には見覚えがある。見覚えなどと簡単に片付けられるようなものではなかった。
「その絵……、って!」
「個展に飾られてました、よね」
「SUZAKU先生の作品じゃん! なんでヒバリちゃんが持って……」
アンドウが何かに気付いたが、イタルの方を見て、口をつぐむ。
「どうしてSUZAKUって名前か、わかりますか」
「え?」
「SUZAKUって漢字で書くと、ええっと……あれ?」
イタルがアンドウの背中を叩く。助け舟の合図だ。
「
「私の、名前……を、縮めたものです」
「…………」
「……? おい、ター坊」
「…………」
「思考回路停止状態。気絶しています」
その後、窓を突き破る勢いで彼の叫び声が聞こえて再びメジロが近所中に謝りに行ったとか行かなかったとか。
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