第4話 星に願いを
それからずっと、沈黙が支配する重々しい空気が続く。
このまま石を拾いに行く気にもなれず、ヒバリは無言のまま自宅へと戻ってきた。
道中アンドウが話しかけようとするのを押し留めて「今何と言って話しかけようとした、言ってみ?」と尋ねたところ「やはり彼女が本当に知り合いだったか確かめるべきだったのでは」と言うので、口を押さえて正解だったと再認識する二人だった。
ヒバリは部屋に、三人は客室で作戦会議再び。
「いいかアンドー。引きこもりにとって一番怖いのはギャップ――つまり周りの人間との認識のズレだ。自分がこの世界で必要とされていないことってのが一番心を抉るんだよ。そりゃあ社会において一人くらい居なくなったって何も変わらない。世の中は平常運転さ。だけど子どもにとっちゃ今見えてる世界がすべてなんだ。両親に、先生に、友達に、居ても居なくても構わない存在だって思われることが何より辛いんだよ」
「……必要とされていない、デスか」
「自分の中で折り合いをつけなくちゃいけない問題だからな。俺たちが世話を焼いたって逆効果だ。自分のせいで周りを困らせている、自分なんて居なくなっちゃえばいいんだって認識になっちまう。っていうか無関心って嫌われたり無視されるよりキツイんだよなー」
「今の我々の状況と同じデスね」
ヒバリにとって、彼女たちは自分の感情をぶつけられる相手ではない、という意味合いにおいてはまさしくそのとおりだった。
「…………」
「……はぁ。どうするかねぇ。もう一度部屋に突撃するか、日を改めるか」
三人が悩んでいると扉が開く。
「ああ、皆さんこちらにいらしたんですね。帰ってくる音がしたものだから、まだいらっしゃるかなと思って」
明るい声でメジロがやってくる。
玄関先ですれ違った時とは正反対にすっきりしていて、苦々しい表情の彼らと逆転していた。
「あー……メジロさん、その、何ていうか」
「つもる話は後にして、とりあえず夕食を準備していますからどうぞ食べていってくださいな」
美味しそうな匂いが鼻をかすめる。
「えっ、そんな、そこまでしてもらうつもりじゃ」
イタルが遠慮がちに言うが、メジロはお構いなしに続ける。
「お客様が家に来るなんてここ数年全然なかったものだから嬉しくって。しかもあの子のために来てくださっているんだもの。凄いご馳走、ってほどのものでもありませんが、腕によりをかけて作りますから、もう少しお待ち下さい」
「ぐぅ」
代わりにタケシの腹が答える。
「ちょっとアンタねぇ」
「生理現象デスね。ターボ様は正直者のようデス」
「だって、結構歩いたしさ。それでこんなにいい匂いを嗅いだら仕方ないって」
「ふふ、男の子ですものね。もう作ってしまっているから、食べていってくれた方が私としても嬉しいんですよ」
「そ、そこまで言うなら。ご馳走になります――って、うっ!」
イタルの腹も可愛らしい音が鳴る。
「なんだ、姉御もお腹空いてるじゃん」
「うーるーさーいー。大人はそんな図々しい態度を取ったりしないの!」
イタルがヘッドロックしてタケシの頭にグリグリと拳を押し付ける。
痛いと言いながらもどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
そんな一連の流れで、それまでの重苦しい空気がようやく緩和されたような気分になる。
「……えーっと、その」
目の前には大量の食べ物。
フルコースかと思うほどの豪勢な食事の支度がなされていた。
「ふむ。アンドウが察するに、メジロ様はストレス発散を料理にぶつけるタイプと見受けました。スーパーデトックスアドバイザー検定一級の目に間違いはないデス」
「何その資格。それはともかく、親戚一同が集まったのかってくらいの量だし、いくら何でもこれは」
「いやっほーっ! ご馳走だーっ!」
食べざかりの男子高校生は一人テンションが高かった。
「ウチは女の子だから、成長したってこんなには食べられないでしょうから。つい嬉しくって」
うふふと淑やかに笑いながらメジロが言う。
アンドーの言う通りかもしれない、とイタルは思った。
「準備もできたことだし、あの子も呼んできてもらえるかしら」
メジロの言葉にギクリとこわばる三人。
「それが、その……」
「――ほらほら安藤さん、そんな顔しないで。皆さんのせいではありませんからお気になさらず、どうぞ食べてください」
「……はい。いただき、ます」
席に着いても俯いたまま食事に手を付けないアンドウを見かねたヒバリが声をかけると、少しの間ためらいつつも、ゆっくりと箸を伸ばす。
「すいません、せっかくヒバリちゃんも一緒に食事が出来ると思われていたでしょうに……」
暗い表情を浮かべ、申し訳無さそうにイタルが謝る。
「いえいえ、お気になさらず」
「これうんめー!」
「お前はちょっとは空気読めっ!」
「あいたーっ!?」
「うふふ、武くんみたいに美味しそうに食べてくれる方がこちらとしても嬉しいですから。一気に子供が増えたみたいで嬉しいです」
メジロの言葉にアンドウが首を傾げる。
「……こどもとは、アンドウも含まれているのデスか?」
「だろうね。もちろんアタシも、だな」
食べながら「イエーイ、子供サイコー!」と叫んでいるタケシに呆れつつも悪い気はしないイタルであった。
「――はあ、お腹いっぱい」
満足そうにタケシが腹をさする。
「しかし、良いのでしょうか。我々だけ食事を頂いてしまって。お嬢様もお腹を空かせているはず」
「ああ、でしたらこちらをあの子の部屋に持っていってあげてください」
別皿にとっておいたヒバリの分を運んでくる。
「さっすがメジロさん準備が良い。よし、もう一度部屋に入れてもらえるまで辛抱強く話しかけるよ!」
イタルの言葉に二人も頷く。
「まあまあ、それならお布団も用意しておきますね。ちゃんと全員分のお部屋も用意しなくっちゃ」
「えっ、流石に泊まるのはちょっと……って、メジロさーん! 話聞いてー!」
「上機嫌で寝具の準備に向かいました。これが日本人のおもてなしの心というものデスね」
「来客が久々すぎて加減できてない感が凄い。ター坊、親御さんに連絡しときな」
「へーい……じゅるり」
「もう腹空かしてるんじゃないよ!」
「ヒバリちゃん、起きてる? 食事を持ってきたんだけど……」
ノックをしても、声をかけても反応はない。
振り出しに戻った、かと思われたが。
「鍵はかかって、ない」
タケシの指摘通り、ドアは『開』になっている。
「アタシは両手がふさがってる。空気の読めないアンドー、ドアを開けな」
「……空気の読めるアンドウが空気を読まずに突入します。お嬢様、失礼いたします」
部屋の前で一礼して、ゆっくりとドアを開ける。暗闇が隙間から漏れ出す。
部屋に入れたからといって状況が良くなるわけでもない。
ベッドの上で足を抱え込み、うつろな瞳で窓の外を見上げている少女にかける正解の言葉など誰も浮かばない。
扉が閉まり、光は外側へ逃げ出す。沈黙と暗闇が手と手を取り合い支配する空間。
タケシは耐えきれなくなって部屋の明かりをつける。
「――あ」
そこでようやく少女は振り返る。飛び込んできた光に眩しそうに顔を歪めながら。
「ヒバリちゃん、お腹すいてない? お母さんが夕食作ってくれたから持ってきたんだけど……」
食べられる状態じゃないよね、と言いかけて言葉を飲み込む。どう見ても落ち込んでいて食事など出来る雰囲気ではないが、かといってそのまま部屋を後にするのが正しい行動であるはずがない。
たとえ八つ当たりされようともこの場に居据わって対話を続けるべきだとイタルは考える。
机の上に食事を置き、沈黙を吹き飛ばす言葉を思案する。
しかし、状況を打開したのは空気が読めないはずのメイドだった。
「お嬢様は星を見るのがお好きなのでしょうか」
「え? は、はい。今も、ずっと見てました、けど……」
ヒバリは戸惑いつつも、先程までの調子で答える。
「心拍数、脈拍などから判断するに気分が滅入っているというよりも、むしろ逆で非常に安定していました。夜空を見上げている間は気持ちが安らいでいたのだと判断します。故に夜空を、星を見るのがお好きなのだと分析しました」
「そ、そうですっ。お星さま、見てると安心して……」
「もしかして、部屋の明かり点けないほうが良かった?」
タケシの言葉にブンブンと首を横に振る。
「い、いえっ。部屋の明るさは関係なくて……あの、ごめんなさい。今日は一日ですごく気分が上がったり、落ち込んだりして、こんなに胸がドキドキぐるぐるしたの初めてで……だから、本当は大して傷ついていなかったのに傷ついたフリをしていたかったのかもしれません。普通に接してもらったおかげで、そのことに気付けたのかも。ありがとう、ございます」
言葉が胸に突き刺さった――それはイタルに対し。
暗闇の中佇む少女は落ち込んでいて、慰めの言葉をかけてやらねばならないとばかり考えていた。
こんな形の解決のアプローチもあるのだと衝撃を受ける。
「はて。お礼を言われるようなことなど行っておりませんが。勿体なきお言葉デス」
「黙って受け取るのが礼儀だアンドー」
「ほらほら食事にしようぜ。お母さんの料理めちゃくちゃ美味しいじゃん。冷めないうちに召し上がれ。俺のおすすめはやっぱり唐揚げかなー」
そう言って皿の上から一切れつまんでパクリ。お前が食べるなとイタルに突っ込まれるお約束の流れにヒバリに笑顔が戻る。それを見て三人の顔もほころぶ。
初めはあまり食欲が無いと少しずつしか食べなかったが、やはり体力を消費していた体は正直で、持ってきた食事を全て平らげた。そのことに本人が一番驚いていた。
「……私、こんなに食べられたんだ」
「健康状態は良好、栄養補給完了デス」
アンドウの言葉を聞いてイタルが少し考えて
「いや、まだね」
と言った。
「え? おかわり持ってきた方が良いのか?」
「も、もうお腹いっぱいです」
「ルッテ様、どういうことでしょう」
彼女の真意がわからないと表情を曇らせる。
「ふっふっふ~、肉体の栄養補給は完了したから、後は心の栄養補給が必要なのよ」
そう言ってイタルはヒバリに飛びつく。
「ひゃあっ」
突然抱きつかれて固まってしまう。全身にぬくもりが伝わる。不思議と嫌な感じはしなかった。その温かさは心地よさすら感じられる。
「ほら、アンタらも。こういうのはノリと勢いが大切なんだから」
「では、失礼します」
イタルの反対側からヒバリを包み込むように抱きしめる。
「冷たっ。アンタの手冷たいね」
「手が冷たい人は心が暖かいと言います。アンドーの心は溶鉱炉のように燃え盛っているのデス」
最初に会ったときは氷のような冷徹な心の持ち主だと誰もが思ったが、水を差すような言葉は口にしない。
「ほらター坊、アンタも恥ずかしがってないでやるんだよ」
「わかってるって」
少し照れくさそうにしながらもタケシも参加する。
その場にいる全員がお互いに
「みなさん、そろそろお休みになった方が――あら」
そこで
寄り添い合い、幸せそうに寝息を立てる四人の姿だった。
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