第3話 主人公になれなかった物語

 まるで、卵の殻を破って出てきたばかりのひな鳥のように。

 生まれ落ちたこの世界の眩しさと不可思議さに戸惑いつつも、それでも外の世界へ出ていくことを決意した瞳で。

 まだ、羽の乾かぬ少女は伏し目がちに、彼らの前に立つ。


「~~~ヒバリちゃんっ! ありがとう! ――ありがとうっ!」

「ひゃっ……」

 イタルが思いっきり抱きつく。

 押し倒すほどの勢いに思わず声が出る。

「あっ、ご、ごめんね。おねーさん嬉しくって、つい」

「そうデス、ルッテ様。それではお嬢様が怖がってしまいます」

 アンドウがヒバリの右手をそっと掴み、片膝をつく。

「――お会いできて光栄デス、お嬢様マドモアゼル

「ふぇっ!?」

「いやそれも違うから」

 場を和ませるためか本気なのか判断がつかない――おそらく後者なんだろうなと、ツッコまずにはいられなかった。


 不安と怯えを隠せていない表情ではあるが、彼女は三人を部屋に招き入れた。

 カーテンは閉められ、まだ夕日になれない光は部屋を照らすことさえかなわない。

 部屋の中は整理整頓されていて余計なものが何も出されていない。

 普通ならば褒められるところだが、この空間だけ時間が止まっているかのような得も言われぬ感覚に陥る。


 イタルは考える。

 何から話したものやらと。

 ここで下手に刺激を与えては今後の関係性に悪影響を与えてしまう。

 理由を問いただすことは簡単だが、まだ彼女がそこまで心を開いてくれているようには思えない。

 部屋にあるものから好きなものの話につなげて、そこから仲良くなるきっかけ作りを始めるのが定石、なのだが。


「殺風景な部屋デスね」

「うおおいアンドー! そこは片付いてるねとか、言い方があるでしょ」

 その感想は正しい。

 片付いている、とかきれい、だけでは言い表せないのだ。

 壁にポスターどころかカレンダーすらなく、机の上には教科書すらない。

 本棚にはかろうじて数冊の絵本のようなものが並べられているだけ。

 歳月によって彼女が失ったものは、実に多い。


「いえ……いいんです……ほんとの、ことだから」

「いいじゃんか、これから増やしていけばさ。俺なんて何でもかんでも集めちゃうから部屋の中ごちゃごちゃしてて、探しものするにしても大変だよ。でも、そういうのも宝探しみたいで案外楽しいんだぜ。この部屋の場合は、まずは宝物を手に入れることろから始めなきゃな」

「たから、もの……。それって、例えばなんですか」

「うーん、そうだなぁ。水切りに使えそうな平べったくて丸い石とか? 俺の部屋にはたくさんあるぜ!」

「アンタは片付ける努力をしなさい。そんなもんばっか置いてるから部屋の中がごちゃごちゃするんでしょーが」

 イタルがタケシの頭を小突き、タケシは嬉しそうに笑う。

 何のことはない二人の日常風景だが、そのやり取りをヒバリはじっと見つめていた。


「気分の高揚を確認しました。お嬢様はお二人を羨ましがっていますね」

「え、ええっ!?」

 突然の指摘にヒバリは顔を赤らめて両手で隠す。

「何か羨ましがられるような要素あったの?」

「わ、わ、わわたしもい、石がほしいな、なん、て……?」

 明らかに動揺している。

 どう見ても本心とは思えないのだが。

 その場を取り繕うために吐いた嘘というか、適当な言葉だった。

「なんだ、石が欲しいのか。じゃあ今度持ってくるよ!」

 タケシは単純だった。

「ふむ、石が欲しかったのデスね」

 ここにも単純なやつがいた。

 しかしポンコツメイドはそれだけでは終わらなかった。

「では、今から石を拾いに出かけましょう」

「……え?」

 それは唐突な提案だった。


「そ、それは……ちょっと」

「いきなり外に出かけるのは彼女の精神的負担から考えて賛成できない」

 イタルは豪快で大雑把な性格ではあるが、こども委員の仕事においてはかなり慎重派だ。

 時間をかけてゆっくりと改善していくのが彼女のやり方だ。


「しかし、先程外に出て危険はないと判断できたはず」

「い、いやでもっ、まずはお互いのことをもっとよく知って」

「それは散歩しながらでも出来ることかと」

「ぐっ、それはそうだけど……もっと人の少ない時間帯とか」

「でもさ姉御、夕方や夜に歩いてたら逆に不審者扱いされない? むしろ今の時間の方が下校時刻だし、怪しくなくない?」

「うっ……ター坊に正論を言われてしまった」

 反論する要素が思い浮かばない。

 確かに外に出るというリハビリにもなるし、歩きながら会話していれば周囲の視線に敏感になることもない。

 さらにお互いのことを話せる機会でもあるので良い事尽くめだ。

 ただし、本人が良しと言えば、だが。


「…………」

 ヒバリは肯定とも否定とも言えない表情を浮かべていた。

 本人に行く気があればいいが、そうでもないのに何かやらかしてトラウマを植え付けてしまう可能性があることを考えると、無理強いするのは良くないとイタルは考えていた。


「よっしゃー河川敷までの行き方調べるぞ!」

「お嬢様、外出用の服はお持ちデスか。もし無ければこちらでも何種類か用意しております。ああ、紫外線が気になるようでしたら日傘にアームカバーもございますよ」

 二人はすでに行く気満々で準備を続ける。

 もはや行かないとはとても言えない空気だった。


「ええっと、ヒバリちゃん」

「だ、大丈夫、デス……行け、マス」

「アンドーの口調伝染ってるけどホントに大丈夫?」


「ではお嬢様。はい、バンザーイ」

 アンドウは両腕を真っ直ぐ上に伸ばす。

「え? ば、ばんざーい……」

 同じようにヒバリが腕を伸ばす。

「よっ」

 掛け声とともにヒバリのパジャマをさっと脱がす。

 ベッドのシーツを取り替えるが如く鮮やかな手腕だった。

 真っ白な肌着がちらりと揺れる。


「……!!!???」

 一瞬何が起きたのかわからずフリーズして、何が起きたのか理解した瞬間に再びフリーズしてしまい、結果としてずっと彼女は固まっていた。

「だーーーっ、何やってんだアンドーーー!! ええいター坊っ、お前も見てないで部屋から出ていけーっ!」

 イタルの目にも留まらぬハイキックでタケシは部屋から追い出される。

 後に彼が語るには「いやほんのちょっと何か下着のようなものが見え、いえナンデモナイデス記憶にゴザイマセン何も見てイマセンデス、ハイ」とのことだった。


「うう、やっと収まった……」

 憔悴しきった顔でメジロが玄関先に戻ってくる。

 そんな彼女と入れ違いで四人は外に向かう。

 二人は意気揚々と、一人は小さな足取りがさらに重々しく、最後の一人はそれを支えるように歩幅を合わせて殿しんがりを。

「ああ、ちょうど良かった。メジロ様、娘さんをお借りしますね」

「……え、えっ!?」

 状況が飲み込めず呆然と立ち尽くす彼女をよそに、元引きこもり少女をいとも容易く外へと連れ出すことに成功した。



 窓の中から見ていた向こう側の世界はキラキラしていて、少女はこんなところに自分がいちゃいけないような気分になってしまうのをグッと堪えて歩みを進める。

「お嬢様、お顔がすぐれないようデス。血圧の低下と動悸、息切れ、目眩の症状が見られます。これは武者震いというやつデスね。お嬢様はサムライガールでしたか」

「いやただの緊張だろ」

「大丈夫デスよ、もしもの時はこのスカートの中にお隠れください」

 そう言ってアンドウはメイド服をちょっとつまんで持ち上げる。

 地面スレスレのスカートに付いているフリルがひらひらと揺れていた。

「そ、そこまでは……た、たぶん……」

 完全には否定しきれないところが彼女の不安を表していた。


「あ、あの。ところでさっきから、道行く人みんなに見られてません……?」

「大丈夫。みんな安藤のメイド服が珍しいだけだから」

「おかしいデスね。これが正装だと聞いていたのデスが」

「アンタに偏った日本の常識を吹き込んだやつの顔を見てみたいわ。って、あーっ!? あの喫茶店なくなったの? 昔よく行ってたのにー」

「そっか、姉御は知らないんだっけ。数年前にオーナーさんがお店を畳んで、今はチェーン店になってるよ」

「しばらく見ないうちに変わってるのね。あ、じゃあこっちの道に行きましょう。再開発が進んで新しいお店が出来てるって聞いたの」

「へいへーい」

 ヒバリの注意を逸らそうと会話を続ける。

 確かにメイドが町中を闊歩しているのは珍しい光景である。

 加えて学生服を着た男子高校生とカジュアルな女子大生と一緒に小学生が歩いているというのも傍から見ればなかなか異様な光景に見えるのだが、当人たちは気付いていない。


 大通りを抜け郊外の路地を進んでいると、不意に巨大な落下音が響き渡る。

 近くの工事現場で鉄筋が崩れたような音だった。

「うわっ、すげー音」

「雷でも鳴ったかと思ったわ……って、あれ。ヒバリちゃんは」

 先程までイタルの前にいたヒバリの姿が見当たらない。

「お嬢様ならこちらデス」

 アンドウがフリフリなスカートをたくし上げる。

 と、震えながらヒバリが顔を出す。

「…………空が、落ちてきたのかと」

 小動物みたいでちょっと可愛いと思ってしまったが、口には出せないイタルであった。


「――へえ、じゃあヒバリちゃんはよそから引っ越してきたんだ」

「は、はい」

「じゃあアタシとおんなじだ。アタシの親も言ってみたら転勤族ってヤツでさー。何度も引っ越してきたからその苦労わかるわー」

 うんうんと大きく頷く。

「でも、その割には昔のお店のこととか、言ってませんでした?」

「そうそう、この町に来るのは二回目なの。一回目はもう五年くらい前かな。それで高校生の間はまた別のところに住んでたんだけど、大学進学を期に戻ってきたんだ」

「もちろん俺に会いにだよねっ」

 間髪をいれずにタケシが尋ねる。

「んなわけないでしょ」

「ぐはぁっ!」

 そして速攻で否定される。

「なんで? 更生した俺がちゃんとうまくやれてるか気になって仕方がないからじゃないの!?」

「どう考えてもアンタの性格からして大丈夫でしょ」

 そんなやり取りを見たアンドウがポツリと呟く。

「お二人は仲がよろしいのデスね」


「ん、そりゃあもう。俺にとって姉御は引きこもりから救ってくれた命の恩人だからな! 姉御のためならなんだって協力するぜ」

「アンタの命を救った覚えはないけど」

「人生という海に溺れている俺の手をとって救い出してくれたじゃん。まあ救い出したっていうか引っ張り上げたというか引きずり出したというか……」

「表現が少しずつ過激になっているのデスが」

「なんにせよ、姉御には感謝してるんだ。今の俺があるのはこの人のおかげだから」

 そう言って笑うタケシの言葉に嘘偽りはないようだ。

 イタルも最初は照れ隠しから茶化していたのだが、何度も言われるうちに自分でもそうだと思うようになり、今では誇らしげに胸を張るまでになった。

「素晴らしいデス、ルッテ様」

「えー、う、うん。まあ、改めて人に言われるとちょっと照れるわ」

 口元を手で隠し顔を背ける。

 タケシの屈託のない笑顔が眩しかった。


「お嬢様。アンドウもお嬢様に感謝されるような『更生員』になれているでしょうか?」

「え? それは、その……」

 ヒバリは言葉を濁す。

 だが、それは想定内と言わんばかりに頷いて、

「今はまだ無理だと思いますが、きっとお嬢様に認めてもらえるよう努めます。信じていてください」

 まっすぐ少女を見る瞳に曇りはなく、彼女は小さく「……はい」と呟く。



「そういえば姉御、あちこちに引っ越ししてたんなら、やっぱり『月極げっきょく』さんってよく見かけた?」

「え? そりゃ、どこにでもあるけど」

「へー、やっぱりすごいんだ。有名だもんな」

「……ん? もしかして、アンタ月極つきぎめを会社だと思ってる?」

「え、どういうこと? あれ市営なの?」

 会話が噛み合わない二人を見て、アンドウがタケシに言う。

「子どもがよくする勘違いランキング第一位に『月単位の契約を意味する月極つきぎめを巨大組織月極げっきょくグループと思っている』というものがありますが」

「……は?」

「まさかター坊、昔教えたウソを未だに信じてたなんてことは」

「は、はははハハ、ナニヲイッテルンダイアネゴ。ソンナワケナイジャナイカ」

「心拍数の上昇、発汗、顔の火照りがみられます。――武者震」

「違うから」


 タケシは道の隅っこで小さくなっている。

 わざわざ少し離れた電信柱の影に隠れてしゃがみこんでいた。

「…………穴があったら入りたい」

「むむっ。ターボ様もお隠れになりますか?」

 そう言ってスカートをつまんで見せる。

「……いい。それは人としてやっちゃいけない気がする……」

 落ち込むタケシを必死で励ますイタルを見ながら、ヒバリは「人としてやっちゃいけないことをやっちゃったのか」と自分の行動を恥じていた。

「お嬢様は構いませんよ」

「心を、読まれた!?」


「――なにあれ。修羅場?」

「シュラバってるー。シュラバって何?」

「知らないのかいっ」

 タケシとイタルの後方で声を潜めながら通り過ぎる人影があった。

 イタルが振り返ると三人の少女が遠ざかりながら彼女らを眺めていた。

 背丈からいって小学生高学年、それも見覚えのある制服――ヒバリと同じ学校のものだ。

 ひょっとすると彼女の同級生かもしれない。

 そう思い、イタルはヒバリの方に目をやると、ひどく青ざめた彼女の姿があった。


「お嬢様?」

「……あの、三人組の、真ん中の子。ひょっとしたら、昔一緒に遊んだ子かも」

 三人組はまだヒバリとアンドウに気付いていない様子だった。

 少しずつ、距離が近づく。

「む、感動の再会というやつデスね。声をかけましょうか」

「ダダダダメッ。もし人違いだったら恥ずかしいし、それに」

「……それに?」

「それに……」

 ヒバリはそれ以上何も言えずに口ごもる。

 後に続く言葉をアンドウが思案していると、彼女たちが二人に気付く。

「えっ、メイド?」

 一人が小さく呟く。

 そして。

 そして――


「…………」

 それだけ。

 それだけだった。


 メイド姿の外国人風の女性に驚きつつもそれだけで、少女の存在に気付いていたのかさえ不明なほどの一瞥だけ。

 彼女たちは何事もなかったように学校内での話題に切り替え、盛り上がっていた。


「……あ、ああ。そっか」

「お嬢様?」

 ヒバリの様子の変化、具体的に言えば体温の低下と声の調子がおかしいことに気付き、アンドウが後ろからそっと包み込むように両手を伸ばす。

 彼女を正面から見ているイタルとタケシには、ヒバリが今何を思っているのかが痛いほどよく分かる。

 彼らもまた、から。



「――あの子はもう、私を見てなかった。私は、居ないのとおんなじなんだ」

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