勝手に燃え上がる恋の火花。

井上悠一

――


 コーヒー片手にスマホをいじる。この誰もがただ休憩している様なスタイルでも今では立派な仕事なのだから、技術の発展は素晴らしいの一言だ。新しいにどの業者を新規に入れるか、今の僕の権限ではせいぜい陰からこそっと意見を言える程度だけども。

 

 何だかんだで強いのは女性の被服関係。オンラインでも購入は可能だが、やはりそこは手軽に試着出来るのが好まれる。男性は大きめや小さめ程度で済むが、女性はそうはいかない。ジャストサイズを求め、どうしても一回は試着してしまうものだ。


 他には店員さんとの会話、慣れ親しんだ人間関係を求めるのも女性に多い。

 ただ聞いて欲しいだけ、これを顕著に求める傾向が女性にはある。


 対して男性は必要のない会話以外はしない、必要なもの以外は買わない等々。

 箱に対して数件あれば済んでしまうのが常だ。


「続きまして新規テナントに関してのご報告になります、お手元のタブレットに表示されていると思いますが――」


 内田先輩のが筆頭になって動く新規案件、通称箱船プロジェクト。Vtuber専門ショップや動画配信用貸しスタジオを取り入れたりと、最先端を取り入れ若年層を狙い、更には従来の被服店を取り揃え安定感を求める店舗勢で中年層をも虜にする。


 良く言えば万能型、悪く言えばありきたり。

 かといって尖った冒険をするよりも王道が勝つのが世の中だ。

 GOサインを出せる権限を持つ方々は冒険を好まない。

 双肩に見え隠れする責任の二文字は、きっと僕が想像するよりも遥かに重いものなのだろう。


 戦略会議の末席に僕も参列し、参加テナントの一覧に目を通す。

 目新しい業者名も数件あるはするものの、おなじみの業者名も羅列していて。


 箱の空きテナントは見栄えを悪くする。テナント賃料が生命線の僕らがする事は、箱への誘致、さらには定着だ。空きテナントだらけになってしまうと集客も離れてしまう。


 テナントの空きが生まれ、それを見た顧客が離れて行き、客層の減った箱は更にテナントが減る。悪循環の極み、それを避ける為に、言葉悪く言えば何でも良いから穴埋めをする。


 求められるは安定だ。


 会議を終え、コーヒーを飲みながらスマホにて先程の会議の資料に再度目を通す。

 このスタイルでも立派な仕事なのだ、理解される事は稀だけど。

 

「お、いたな若手のエース。井上選手殿」


「……内田先輩、ヤニ臭いです」


「お、流石だな、良く分かるもんだ」


「誰だって分かりますよ。このご時世に煙草とは、酔狂な事です」 


「別に俺が――」


「吸っている訳ではない、喫煙所ならではの裏話があるんだ。ですよね。耳にタコが出来るぐらい聞いてますし、僕達の職種的に情報鮮度は命。顧客との人間関係こそが築き上げる最大の糧だとも理解はしてます」


 予め用意しておいた珈琲が注がれた白い紙製コップを手渡すと、内田先輩は「分かってるじゃないか」って頬を緩ませる。

 

「先輩の言いたい事は分かりますけどね。だけど、僕にはあの臭いは耐えられそうにありません。最近は特に叩かれるじゃないですか。値段も上がっていると聞きますし、煙草を吸うメリットが僕には理解できないですよ」


「……ま、心の潤滑油って奴だろうな。実際、煙草を吸う人は皆笑顔だ。笑顔の人間は何かを語りたい事が多い。怒ってたり文句を言っている人間とは会話もしたくないだろう?」


 お金が絡めば別ですよ。そう言い残し、僕は休憩室を後にする。

 喫煙所なら何を喋ってもいい、みたいなのをあまり認めたくはない。


 煙草が嫌いなのもあるけど、重要案件があるのならば会議の場で語るべきだ。

 喫煙所なんていう秘匿された場所で語るべきではない。もっと正々堂々と戦わないと。


 男が一度ひとたび外に出ると七人の敵がいるという。そして、それは大抵が身内だ。


 自分の頑張りが誰かの足を引っ張ってしまう事になる、そんなの学生時代のテストで嫌ってほど味わってきたけど、大人になっても根本は変わらない。僕が伸びれば誰かが落ちる、落ちる側の人間にならない様、延々に努力し続けるだけだ。


 それを否定しかねないのが喫煙所会議だ。

 裏口入学の様なものを、僕は認めたくない。


「お、随分と怖い顔してるね、井上君」


 自分の席に戻るなり、ぽんっと両肩に手が乗った。

 そしてそれは随分と爪が立てられている様な。


「僕には佐藤さんの方が怖い顔だと思います」


 怒っている表情の人とは会話がしたくない。うん、内田先輩の言う通りだ。

 黙っていれば綺麗目の美人なのに、今の佐藤さんは何て言うか、控えめに言って鬼だ。


 ついてきてと言われ、僕は手を引かれ強引に先程までとは違う無人の会議室へと足を運ぶ。

 僕が彼女に連れ攫われるのはもう見慣れたものなのだろう、男性社員の「どんまい」って声が聞こえて来るようで。


「さて、この写真について聞かせて頂きましょうか?」


 そう言って差し出されたスマホに映っていたものは、昨晩香苗さんが面白がって撮影した全自動掃除機だった。物珍しそうにしていた香苗さんに「ルンちゃんだよ」って教えてあげたら爆笑していた掃除機。僕が機械に名前を付けるタイプに見えないって笑ってたっけ。


「それは、掃除機のルンちゃんだけど」


「ル、ルンちゃん? いやいやそうじゃなくて、何で香苗が井上君の家に行ったのかってこと」


「何でって言われても。昨晩香苗さんに誘われて一緒にご飯食べる話になって、だったらボドゲの続きもしたいから部屋で食べればいいかって……それだけだけど?」


 嘘じゃない。それに昨日はご飯を食べてボドゲをして、そのまま彼女の家の近くまで送ってあげて終わったんだ。途中で何かがあった訳じゃないし、何かをされた訳じゃない。


「だって、井上君にはまだ冴羽ちゃんがいるじゃない」


「……え? その話はもう三か月も前に終わったはずだけど」


「終わってない、終わってないよ。だって現に……ほら」


 見せられたSNSの冴羽さんと佐藤さんとのやりとりは、まだ彼女が僕を諦めきれていないといった内容で溢れていて。嫌な意味で愛に満ちている文面に、僕は眉をひそめた。


「言ったじゃない、メンヘラ化するよって。ちゃんと面と向かってお断りした? 別れる時に井上君からちゃんと終わりにするって言ったの?」


「……いや、終始無言だったけど」


「あのね、女が感情的になって別れを切り出す時って、大概が引き留めて欲しい時なの。ちょっと辛いとか、相手に対して酷い事を言っていてもそれも愛嬌のつもりだったりするのよ」


 そんなの分かるはずないだろ。

 僕は言葉通りに受け取ったし、彼女はチリ一つ残さずに僕の家を出て行ったんだ。

 それで充分なんじゃないの? なぜに今更彼女と会わないといけないのさ。


「とにかく、一度会った方がいいって。それでちゃんと別れてきなさい」


「……気乗りしない」


Shut up黙れ、今からアポ取るからね、井上君も今晩空いてる?」


 既に佐藤さんの手にはスマホが握られていて。

 そもそも朝まで膝枕を許してたのも佐藤さんじゃないか。

 やましい事があって困ると思っていたのなら、そこの段階で止めてくれれば良かったのに。

 ……なんて、そんなのは自己責任って奴か。大人の思考回路じゃないな。


「あ、冴羽ちゃん? いま電話大丈夫? ……うん、今日の夜なんだけど時間空いてたりするかな? …………うん、あ、予定入ってるんだ。そっか……え? 矢桜さんと会ってるの? え? 決着をつけるってどういうこと? ちょっと冴羽ちゃん!? ちょっと⁉ ……切れちゃった」

 

 茫然とする佐藤さんと目を合わせて、僕も唖然とする。

 僕の知らない所で、一体何が起きているんだ。


――

次話「決着をつけましょう!」

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