見ろ、人がゴミの様だ! と喜ぶ可愛い彼女。
井上悠一
――
矢桜香苗さんは可愛い。反応が良いし、着飾ったりしない。まだたった一日だけど、一緒にいてこんなに自然体でいられる相手が世の中にいるって事に、何だか驚きを隠せないでいる。
僕は営業マンとして相手に取り入るのが上手い。
だけど、こと恋愛となると距離感を間違える事が多い。
必要以上に相手を思いやってしまい、それを返そうとして相手に負担を強いてしまう。
僕からしたら僕の行動は当たり前の事なのに、相手からすると当たり前では無いのだとか。
恩返しを望んで相手を思いやっているのではない。僕がしたいからしているんだ。
だけど、これまでの人達はそうは受け取ってくれなかった。
……香苗さんは、僕の行動の全てを受け入れてくれている。
それが果たして重荷になっているのかなんて、僕には分からない。
女の人の感情は、中々見えてこないものだ。
「……井上君ってさ、子供、好き?」
思い切って家に誘うと、彼女から突飛な質問が飛んで来た。詳しく聞くと、周囲にバイトを掛け持ちする主婦がいるのだとか。主婦業をしながらバイトの掛け持ちとか、大変だよねって彼女は腕を組んで眉間にシワを寄せる。
てっきり、僕との子供が欲しくてそんな質問をしたのかなって、一瞬だけ勘違いしてしまった。まったく、自意識過剰にも程がある。
でも、冴羽さんの時にはそんな想像全く湧かなかった。
想像もしなかった未来が、彼女となら描ける気がして。
多分、香苗さんは良いお母さんタイプだ。
文句を言いながらも家事を当たり前にこなし、子供の我儘にも全力で付き合って。
それでいて愛する旦那の為にも尽くすのだろう。尽くすというか、甘えるというか。
ふと、自分がにやけている事に気付く。僕は、一体何を考えている。
まだ知り合って一日しか経ってないのに、随分と執着しているじゃないか。
にやけ顔を見られていたら恥ずかしいな……と思ったけど。
一体どうしたのだろうか。彼女は自分の股間を抑えながら何とも言えない顔をしていて。
香苗さんの行動が読めない。だけど、女性が自分の股間を抑えるなんてよっぽどでもない限りしないはずだ。お金が無いと言っていたし、生理用品のストックでも切らしたのだろうか?
「あの日だったら無理したりしない方が良いからね。温める湯たんぽとか、痛み止めとかナプキンとか買っておこうか?」
思わず声にだしてしまった後に、昔の女性から言われたことを思い出した。
『生理に関して色々としてくれるのは嬉しいけど、そこまでしなくていい』
基本、触れて欲しくない、そっと気付かないフリをして欲しいものなのだと。
その時の僕が受けた衝撃は結構なものだった。人と人の関係は相手への興味が大事だ。思いやる気持ち、それがあれば大抵の人とはある程度の関係性が築けると思っていたのに。
同じ過ちを繰り返してしまった。その時の女性との関係は、それをきっかけに疎遠になってしまっていって……今では他人だ。十人十色が人間なのだけど、これに関してはダメな時が多い。
やってしまった、多分、香苗さんも嫌がるに違いない。そう思っていたのだけど。
「あはは、ありがとう~、本当助かるよその考え方。特に私のは重いからね。なったら私の相手するのきっと大変だよ? めっちゃキレるからね」
彼女は笑顔だった。その事にホッと胸をなでおろすと同時に、彼女の懐の深さというものを感じてしまう。お金が無くて申し訳ないって顔をしている香苗さんも、とても可愛くて。僕がスイーツを手に取ると満面の笑みで返してくれた。
「え、井上君のお家って、タワマンなの⁉」
「いや、タワマンではないと思うけど。確かに高い建物だとは思うけどね」
「ひーふーみー……十八階建ては立派なタワマンじゃん! すご!」
「でも僕が住んでるの十五階だし」
「十分だよ! うわー凄い! 私憧れなんだよねタワマン生活とか!」
後で調べたけど、二十階建て六十メートル以上のマンションの事をタワマンと呼ぶらしく、僕の住むマンションは結果的にはタワマンでは無かった。それでも彼女は凄いを連呼し、次第に瞳を輝かせていくのだけど。
「……香苗さん、ごめん」
「うん? 何が?」
「多分、僕の部屋を見たら幻滅させちゃうと思うから、先に謝っておこうかなって」
「……ゴミ屋敷?」
怪訝な顔をする香苗さん。彼女が来るのなら、もっと綺麗にしておけば良かったと後悔する。
掃除の一つもしないでしょ? と冴羽さんも嫌がっていた。
僕の部屋は女性からしたらきっと汚いのだろう。
「なんだ、十分綺麗じゃない。というか夜景ヤバ!」
香苗さんはパタパタと部屋の中を駆け抜けて、一気にベランダへと向かう。
子供の様にぴょんぴょんと跳ねて凄い! 綺麗! って喜んだあと、急に静かになって。
「見ろ、人がゴミの様だ!」
目を細めながら僕を見て、某アニメの敵役の真似を始めた。そして笑う。
僕の部屋に来て夜景に感動する女性は多かったけど、ここまで楽しむ人はいなかったな。
「あはは……ごめん、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった。それよりも部屋全然綺麗じゃん。もっとゴミ袋が散乱してて食べかけのカップ麺が放置されて、憎きゴッキーがうろついてる畳部屋を想像しちゃってたよ」
「流石にそこまではしないよ」
「だって、そんな感じの言い方したし」
「……それは、冴羽さんが言ってたから」
言葉にした後に、余計だったかと口に手を当てる。別れた彼女の話なんか聞いても喜ばない、ましては冴羽さんは香苗さんの友人だ。微妙な空気を察したのだろうか「そっか、冴羽ちゃんかぁ」と言いながら、彼女はそそくさと片づけを始める。
「あ、大丈夫だから、自分でやるよ」
「いいの、お金出させちゃったし。それとも何? 洗濯物畳むのに畳み方が違う! って文句言う感じ?」
「そんなの言わないけど」
「でしょ? 私の前彼がそんな感じだったの。最悪だよね」
べーっと舌を出しながら、彼女は干されたままだった洗濯物を畳み始める。
多分、今の前彼の話は故意的なものなのだろう。
冴羽さんの名前を出してしまった僕への気遣い、もしくは当てつけか。
どちらにせよ、場の空気は一瞬で和んだ。香苗さんは凄いな。
「これ、どこに仕舞う?」
「寝室のクローゼット」
「入っても平気?」
「うん」
お邪魔しまーす、と言いながら寝室へと入り、彼女はクローゼットを開けてしばらく硬直した。何か変なものでも入ってたかな? と一瞬身構えてしまったけど、違った。
「なにこのボドゲの量、凄くない?」
「……ああ、趣味なんだ。佐藤さん
「いやいや十分過ぎるでしょ。うわぁ、これ全部遊んでみたいな……」
呆けた表情で僕の洗濯物を持ちながらクローゼットを眺める彼女だったけど――ぐーぎゅるる――と鳴り始めたお腹を赤面しながら慌てて抑えて。
「ご飯食べたら遊ぼっか」
「う、うん。そうする。たはは……私ムードもへったくれもないなぁ」
そんな所も素敵だよって心の中で呟きながら、僕と香苗さんはご飯を食べ、先日から続くドラスレの旅へと向かう。明日が仕事なのが残念だ、彼女となら一晩中遊ぶ事ができるのに。
――
次話「勝手に燃え上がる恋の火花」
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