美味しいご飯に釣られて彼の家に。

矢桜香苗

――


 お休みの日は気分爽快に歌おう! ストレスを発散しよう! っていうのは分かる。だからといって満室になるまでくる必要ないじゃんね。朝までボドゲ大会をした私の体力は既にゼロ近くなのに、途中で他の人の目を盗んでジュースを飲む事も出来なくて。


「あ、矢桜さんごめんねぇ! 今日の休憩場所確保出来なかったぁ!」


「あはは、大盛況ですからしょうがないですよねぇ! あはははは!」


 心の中じゃ血の涙を流してるよ! いつもなら空き部屋で横になるのに!

 眠いし喉渇いたしお腹も減ったのに美容師さんバリに立ちっぱなしで足もいと痛し!


 「店員さん、コーヒー出ないんですが」はい分かりました! 今すぐ行きますですよぉ!

 「店員さん、レジ」はい分かりましたよぉ! ポイントカードはいかがですかぁ!

 

 お疲れ様でした! って言いながら外を出る頃にはもうくたくたで。

 まだお昼かな? って勘違いしてしまう程に燦燦な太陽さん。


 もう夕方ですよ? 休みません? 私めっちゃ暑いんですが。

 ……さてと、太陽に愚痴言ってないで次に行くかな。

 次のバイトまで時間も無いけど……でも、次のバイト先はレストラン様だ。


 喉も渇いたし暑いしお腹も減ったけど、賄いと合わせて頂ける冷水が楽しみで。

 自然と足早になってしまうのも仕方がないってもんです!


「あ、矢桜さんおはよう」


「おはようございます! 今日も賄いですね!」


「賄い?」


 レストランのバックヤードから女子更衣室へ向かうと、室内には休憩中の奥様方が数名。

 軽い挨拶を交わして和風な制服へと着替えていると、ふいに彼女達の話声が耳に入った。


「奥さんもバイト掛け持ちでしょ?」

「そうそう、息子の夏季講習で十万円以上の出費、もうバイト二個じゃ足りないくらいよ」

「私も配達の仕事と掛け持ちしてるけど、学費ってお金かかるわよねぇ」

「そのくせ家に帰るとお母さんご飯まだ? この前出した洗濯物は? ですもんね」

「あはは、どこも一緒ねぇ」


 おいおい、私一人暮らしのバイト掛け持ちで既にギブアップに近いのですが。

 世の中の主婦って大変なんだなぁ……。


 子供の塾の為に十万円か、今の私じゃとんでもない出費額だ。

 元気で遊んでくれて、怒らないで問題起こさないでいてくれてたら、それでいいや。


 ふ……っと、井上君の顔が思い浮かんだ。

 あの人はどうなのかな、そこら辺の感覚。


 子供嫌いって男の人に多いみたいだけど、彼はそんな感じしないな。

 冴羽ちゃんが将来が見えるって言ってたらしいけど、私からしたら良いパパさんなイメージ。

 ……っといけない、仕事仕事。よし、準備OK。和風メランコリーな私、完成です!


「店長おはようございまーす!」


「ああ、おはよう。矢桜さん、今日はちょっと忙しくて賄い出せそうにないの。ごめんね」


 思わず膝から崩れ落ちた。

 うそだぁ、何なの今日。世の中の人達ってこんなに外食するもんなの?

 こちとら井上君と牛飯屋で食べてから何も食べてないのに? あ、牛飯も外食か。


 おとと……いけない、何も食べれないと思ったら急にめまいが。

 高校生のバイト君が作ってくれる美味しい賄いを期待してたのに。

 一緒に出てくる冷や水で喉を潤したかったのにぃ!


「あ、そこのクッキーなら食べてもいいわよ。頂きものだから、一人一枚ね」


 クッキー一枚ダイエット開始。甘い物は確かに栄養になるし頭の回転が速くなる。

 「いらっしゃいませ、お客様はお肉ですか?」みたいな意味不明な言葉だって出てきちゃう。


 もう空腹でお腹が痛いくらいになってるし。空きすぎてお腹の音が止まらない。

 「いらっしゃ――ぐぎゅるる――まっせぇ!」ちょ、やだ、恥ずかしいんですが!


 痩せるからいっか。

 いやいや、もう痩せる必要ないし。私の身長的にベスト体重五十前半だから。

 お胸だって制服突っ張るくらいあるし? 全くもう、お腹が減って失礼しちゃうなぁ!




「も、ほんとにダメ、お腹減っちゃって力が出ない」


 某アニメの主人公の様な言葉と共にレストランを出る時には、もう心底フラフラで。

 何か買ってから帰ろう。何なら歩きながら食べよう。

 心の底からそう思いながら近くのコンビニに入り財布を手にした瞬間。


 理不尽なまでに悲しい現実が私を襲う。

 あれ……私、所持金三十円しかない。なんで?


 ……あ、そうだ、唯ちゃん家に行くのにタクシー使ったから。

 朝も牛飯食べたから。あれ? お家にご飯あったっけ?


 いいか、ATMでお金下ろそう……。


「は? 故障中? ちょっと店員さん? ちょっと、え⁉」


 全国的に故障してるってどういうこと? え? 私今晩三十円で過ごさないといけないの?

 うそだぁ、何も食べてないのに? こんなに暑いのに?


 どうしよう、明日だってバイトもあるし家には何も無いし。

 ATMが明日も復旧しなかったら私死ぬよ? 誰か頼れる友達は……いない。

 前園のせいで友達のほとんどと連絡取れなかったから、全員疎遠になってるし。

 いきなり連絡して「あはは、ご飯奢って」なんて言える年齢じゃないよぉ。


 唯ちゃんも昨日の今日だし、私手ぶらで行っちゃったから頼れないし。

 ……多分だけど。いや、ほぼ確実に若干一名なら私に優しくしてくれる人がいるけど。


 思えば、彼は朝ごはんを奢ろうとして私は拒否をしたのだ。

 という事は、私にはまだ奢られる権利があるという事……かな?


 既に私の手にはスマホが握られていて。画面には井上君って文字が。

 断られたらどうしよう。ごくりと生唾を飲みながら。南無三。


「いいよ、ちょうど夜飯食べに行こうと思ってたとこ」


 うわあああ、井上君もう超好き! でも奢ってって言えなかったあぁ!

 とはいえガソリン代の時点で既に使わせちゃってるんだよなぁ。

 ガソリン代に加えてご飯代……うう、何て情けないんだろう。


 そもそも『平等がいいので』なんて言っちゃった手前、果たして奢って欲しいなんて通用するのだろうか? ちょっと脳内会議開始。


「流石にそれは図々しいんじゃない?」

「でも相手は井上君だよ?」

「膝枕代にしろって?」

「アンタ自分の膝枕にいくらの価値があると思ってるの?」

「す、少しぐらいはあるし!」

「今回だけだしね」

「そうそう、ATM不具合が無かったら貯金から出したし」

「そもそもその貯金額もねぇ」

「ひもじい」

「お腹空いた、とりあえずご飯お願いしない?」

「……四の五の言ってる場合じゃないか」

「うん、井上君にお願いしよう」

「今回だけだしね」


 よし、満場一致で井上君にお願いする事に決まったぞ。

 なんて僅か数分アホな事を考えていると、目の前には一台の黒い光沢のあるミニバンが。

 車、今朝も乗ったけど、結構お金あるってことだよなぁ。いいな、車。


 目一杯の笑顔で迎えに来てくれた井上君に対して、私も目一杯の笑顔とお腹の音で出迎える。

 慌ててお腹を押さえたけど、多分聞こえちゃってるよね。

 何かお客様に聞かれたよりも恥ずかしい。

 

「え? お金が無いの」


「ATMの不具合とかでね? 本当はお金あるんだけど、今は無いって言うか」


「あはは、いいよ。じゃあ膝枕代ってことかな」


「い、いいや、返すから、今度必ず返すから!」


 脳内会議の何と無意味な事よ。それにしても井上君、マジ神だ。

 しかし情けないなぁ、矢桜香苗二十四歳。所持金三十円の女。

 昨日出会った男にタダ飯をお願いする女。

 くぅ。


「別にいいって。じゃあさ、お店じゃなくて僕の家でも良くない?」


「……え?」


「いや、コンビニで買って家で食べた方が楽っていうか。それにほら、僕の家にもボドゲ沢山あるから、香苗さんと一緒に遊べたら楽しいかなって」


 ボドゲ好きな人に悪い人はいない。井上君は間違いなく良い人。

 家か……そか、試すのもアリなのかな。


「試す?」

 

「あ、ああ、声に出ちゃってた? 大した事じゃないんだけどね」


「うん、どうぞお気になさらずに」


 んーって唇に指を当てて。少しだけ考える。


「……井上君ってさ、子供、好き?」


「は?」


 ……あれ? なんだこの空気。井上君、頬を赤らめて鼻をいじってるし。

 私的には、カラオケ店のお姉さま方の意見を何となく聞きたかっただけなんだけど。


「……好き、かな」


「あ、やっぱり? 私も好き~。でもさ、塾とかは行かなくてもいいかなって思うよね」


「え? そこまで考えてるの?」


「うん。子供が行きたいって言ったら行かせるべきだと思うの。自主性を促すっていうか? やらされても伸びないって言うじゃん。やりたいから伸びるっていうかさ」


「……まぁ、そうよな」


「だよねぇ、あはは、やっぱり井上君話し分かるねぇ」


 何て言うか、予想通りの返答に思わずニコニコご満悦。

 ん? なんで私、井上君が同じ意見だと知って喜んでるんだろう? ……まぁ、いいか。


 所持金三十円の私には何も買えなかった憎きコンビニに徒歩で向かうと、今度はちゃんと買い物カゴを手にして吟味開始。お店のお兄さんも井上君を見て「お、姉ちゃん財布連れて来たな」って顔してて。ふふ、今なら買えるわよ。私のお腹はもう限界突破してて逆にお腹が空いてないけどね。


「サラダチキンと野菜でいいかなぁ」


「そんなので足りるの? さっきからお腹の大合唱が聞こえてくるけど?」


「恥ずかしいこと真顔で言わないでくれる? でもそうかも。体重気にする必要ないし」


「無理して痩せるよりも健康体でいる事の方が重要だよ。ダイエット必要になったら僕も付き合うし」


「あは、嬉しいこと言ってくれちゃって。じゃ、とりあえずノリ弁当と、炭酸水で」


「お酒は飲まないの?」


「あまり好きじゃないんだ。飲めなくはないけど、飲まなくても平気。井上君は?」


 彼はその返答を聞いて、ニッと白い歯を見せて「僕も」と一言。

 そかそか、お酒に関しても同じなんだね。


 私のお父さんがアルコール中毒レベルで飲んでたから、お酒が好きな人に良い印象ってあまり無い。お酒の場は好きだ、楽しいから。でも、怒りだしたり周りに当たり散らしてるのを見るのは嫌い。前園さんは酔っぱらうと襲ってくるタイプだったな……いや、あの男は通年通して発情期だったか。


 うう、思い出すと股間が痛くなる。

 大丈夫かな私の、緩くなってないといんだけど。


「どした? 痛いの?」


「え? ううん、平気」


「そか、あの日だったら無理したりしない方が良いからね。温める湯たんぽとか、痛み止めとかナプキンとか買っておこうか?」


「いやいや平気だから。それに多分なったら私の場合すぐわかるよ」


「そうなの?」


「うん、めっちゃ不機嫌になってキレる」


「ふふ……そうか、わかった」


 本当に何ていうか。私の扱い方分かってるんだなぁ。

 いや、女の人の扱い方が分かってる感じなのかな。

 きっと井上君はモテる人だ。


「これも買っていこっか」


「雪苺! 私それ超好き!」


 本当に分かってるなぁ! もう! お腹が反応しちゃうよ!


――

次話「見ろ! 人がゴミの様だ! と喜ぶ可愛い彼女」

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