僕と一緒にいても辛くない人。

井上悠一

――


 覚えているのは、彼女がドラゴンを倒す為の財宝を手に入れた辺りだ。

 ドラゴンに勝つことは出来ずに挑むこと三回目。その途中で寝落ちしてしまったらしい。

 おかしいな、今までどんなに遊んでいても寝落ちする事なんか無かったのに。

 しかも……僕は今どこで寝ているんだ? なんだか枕が柔らかいし、良い匂いが。


「おはよ」


「……?」


「井上君ぐっすり寝てたから、起こしたら悪いかなって」


「……あれ、膝枕……ご、ごめんなさい」


「いいよ、楽しかったし」


 冷やかす様な人達は一人もいない。いつの間にか片付けも終わってしまっていて。ほとんどの人が帰宅してしまった佐藤家のリビングには、僕と香苗さんの二人だけになってしまっていた。

 

「家主すらいないのか」


「うん。唯は仕事だって言ってたけど」


「……仕事? そんなの今日は無いはずだけど」


「あれかもね、無駄に気を使ったのかも。鍵を閉めたらポスト入れといてくれって言われたし」


 孤高の独身を目指し、お節介叔母さんになる。

 また僕の女性事情を考えているという事かな。


 しかし、そんな節操無い男に見えるのだろうか?

 まだ冴羽さんと別れて三か月だし、香苗さんは昨日知り合ったばかりだ。

 彼女を見ると、同じように肩をすくめていて。


「気を使うも何も……なぁ」


「そうよねぇ……。ねぇ井上君」


「うん?」


「お腹空かない? 暇ならどこか食べに行こうよ」


 横に座る香苗さんは、両手をソファーにつけ少しだけ背筋を伸ばし、きょろっとした黒目の瞳を僕へ向けて提案する。朝日とは言い難い時間の光に照らされた彼女は、ほんわかとした温もりと、どこか安心する雰囲気を醸し出していて。


 節操のない男と思われるかもしれない、そう思った僕は慌てて視線を逸らした。

 互いに恋愛事情は把握している。彼女は別れたばかりだし、僕も三か月しか経ってない。


 惚れるには、まだきっと早すぎる。だけど、お断りするのも今後を考えると無しだ。

 崩れた服の襟を正し、僕は立ち上がりながら彼女に返事をする。


「……そだな、行くか」


「朝マックか牛めしか、どっちにしようかな」


「どっちでもいいよ。僕、車だし」


「お、いいねぇ、じゃあ私は助手席でもいい?」


「いいよ、好きにしな」


 背伸びすると骨が鳴る音がして。五時間くらい寝てしまったのかな。となると、彼女は五時間も膝枕を? ……申し訳ない事をしてしまった。腕枕だってしていると数時間で腕が痺れるのに、膝枕なんて五時間もしたら一体どんなになってしまうのだか。


「え? 別に平気だよ? 足に頭の跡が残るくらいだし」


「そっか……なぁ」


「うん?」


「靴、脱がなくてもいいよ?」


「え? あ、ありがとー」


 稀に車内土足厳禁にしている人がいるっていうのは聞いたことあったけど。車に乗るのに靴を脱ぐ必要があるのなんて、泥だらけの子供ぐらいのものだろうに。


 感謝を告げると、彼女の口はそのままマシンガンの様に前彼への文句を連呼した。あれはダメこれはダメ、ダメダメ尽くしで気が狂いそうだったとか。


「それは辛かったね……。よく頑張った」


「みんなに言われるそれ。私の一年半は一体何だったのかなって思うよ」


「……苦行?」


「苦行かぁ、何かに目覚めちゃうとこだったよ」


 眉根を上げ目を細めて苦笑する彼女の表情に嘘はない。

 心のそこから嫌だったんだろうな。

 僕と付き合っていた冴羽さんを思い出すその顔に、少しだけ胸が痛んだ。


「で、どうする? マックにする?」


「牛で」


「OK、いこか」


 車内でも彼女は相変わらずだった。

 賑やかで、笑顔が絶えなくて。


 こんな人を怒らせたのだから、前の彼氏って奴はきっと相当だったのだろう。

 ……なんて、冴羽さんを怒らせた僕が言えた立場ではないか。


「朝定食好きだったなぁ、久しぶりに食べるよ」


「そこまでだったんだね」


「だって、体重増えたら怒られたし。四十七キロ以下にしろって毎日体重計乗らされたんだよ? 普通乙女の体重なんて聞くもんじゃないよねぇ」


「今は?」


「おや? 私の話、聞いてたかな?」


 半眼になりながら香苗さんは僕を指さす。

 どう見ても太っている様には見えないから、聞いても大丈夫かと思ったのだけど。


「ふふ、誘導尋問に引っかからなかったか」


「井上君の評価が絶賛急降下中です」


「という事はそれまで上にいたんだ」


「だから、そういう」


「あはは、でも、僕の中でも香苗さんは上だね。なんていうか、今まで知り合ってきたタイプにはいない感じだよ」


 彼女は口を突っ張りながらも、でも、そこまで嫌そうな表情ではなさそうで。

 注文した朝定食の目玉焼きに醤油を掛け、いただきまーすと食べ始めた。


 今までの女の子は、全員おしとやかで、静かで、従順な感じの子が多かった。

 そして皆僕の下を去っていく。一緒にいると辛い、僕の総評は皆それだった。


「……ねえ」


「うん?」


「今のところ、僕と一緒にいて辛くない?」


「……何それ?」


「なんとなく」


「別に、こんな人いるんだって感じ。私いま戦場から帰って来たばかりの女だからね。ちょっとでも辛いと思ったら即でいなくなるよ」


 僕は基本的に去る者は追わない。残ってくれる人だけを愛でる。

 彼女もいつか僕と一緒にいる事に辛くなり、居なくなってしまうのだろうか。

 ご飯を美味しそうに食べている香苗さんを見ていると「ん? どした?」って。

 

「いや、ここ奢るよって言おうと思ってね。膝枕代?」


「いい、ありがたいけど、私は平等でいたいから」


「……分かった。尊重する」


「うん、膝枕なんていつでもしてあげるし」


 そんなの頻繁にお願い出来る訳が無いだろうに。

 あっという間に朝定食を平らげると、彼女はご馳走様と共に僕を見る。


「それよりも井上君、冴羽ちゃんと別れたんでしょ?」


「……うん」


「私も冴羽ちゃん知ってるけどさ、ああ、ほら、あの子もボドゲ好きだったし?」


「それは、知ってる」


「あの子って私が男だったら彼女にするぐらい良い子だと思うんだよね。参考までにどこがダメだったのか聞いてもいい?」


「何の参考になるのか知らないけど、一言で言うと相性だね」


 僕の返事に香苗さんはテーブルに肘をつき、身体を近づけつつも怪訝な顔をした。

 

「相性……夜の?」


「それ佐藤さんにも言われた」


「あはは、だって一番気になるし」


「……そうだよ、夜もダメだった。あの子意外と肉食系でさ、僕じゃ足りなかったんだよ」


 意外だったのか、彼女は「へぇ~」って声を出して大げさに驚いた。確かに、冴羽さんを見て、彼女が性行為に対して貪欲だ何て妄想を抱く人は少ないだろう。どちらかというと大和撫子タイプ、場合によっては処女を疑う人もいる可能性が高い。


「そっか、身体の相性だけはどうにも出来ないからね。他には?」


「他……これは冴羽さんに限らず、何人かに言われた事があるんだけど。何か、一緒にいると辛いって。後は将来が見えちゃってダメなんだってさ。僕こう見えて結構ズボラだし」


「ああ、冴羽ちゃんなら言いそう。あの子も理想高いからね。昔学生時代に聞いたことあるけど、育メンじゃなきゃダメだし、家事は分担、料理も出来なきゃダメ。毎朝の行ってきますのキスとお帰りのキスは必須とか、なんかそんなの言ってた気がする」


「それ、まさにそれ」


「あはは、どんまーい。でも私友達だから、何かあったら冴羽ちゃん味方確定ですので」


「別に、もう何もないよ」


「結構メンヘラ化してるかもよぉ? 冴羽ちゃん狙った獲物逃がさないタイプだからね」


「いや、既に喰われてるから」


 手でパクパクってしている彼女は、僕の言葉を受けて渋い顔をした。

 ころころと表情が変わる人だな、感情が豊かで、嘘が付けないタイプかな。


「そっか、じゃあ他に行くのかもね……あ、私そろそろバイトの時間だ」


「送ってこうか?」


「ううん、平気、ここから近いから」


「……ちなみに、僕の家もここから近いんだけど」


 ここからなら歩いていけるぐらいだ。駅から徒歩十分のマンション。

 2LDKの男が一人で住む分には大きい我が家。 


「嘘、本当? じゃあまた会えるかもね」


「かも、なんだ」


「だって、別にまだそんな関係じゃないし、当分はいらないし」


「僕もだな、別にいらないかな」


「……でもま、連絡先くらいは交換しとく?」


「うん」


 じゃね、って居なくなる彼女は、朝日だったはずの太陽が天高くなっていた街の中に消えていってしまって。真夏の日差しの下で、僕は彼女の連絡先を登録する。


「しかし、なんだこの顔写真……SNSに載せる顔じゃないだろ」


 変顔している彼女のSNSには、意外な事に友人が少なくて。

 フリックしていく内に僕はとある名前を見つけて、少しだけ顔を顰める。

 冴羽亞夏羽。そうだよな、友達だって言っていたし、僕も連絡帳から消してなかったし。


「……削除っと」


 僕は去る者は追わない。来る者は拒まない。

 例え冴羽さんが僕を想っているのだとしても、僕から追いかける事はしない。

 疲れる恋愛は、もうしたくないんだ。


――

次話「美味しいご飯に釣られて彼の家に。」

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