傷ついた僕等

出会い。

井上悠一

――


 彼女が居なくなって三か月。今現時点で僕の周囲に彼女と呼べる女性は存在しない。別れた当初は佐藤さんが色々とお節介を焼こうと必死だったみたいだけど、最近は漸く諦めてくれたのか、僕を見ても何も言ってこなくなった。


 佐藤さんからしたら僕と亞夏羽……いや、冴羽さんは共通の友人だから、間に入って仲介役をした責任ってのを感じていたみたいだけど。別に、そんなの感じなくてもいいのにねって聞こえる様に同僚と喋っていたら、いつの間にか佐藤さんのお節介が無くなっていた。


 きっと冴羽さんの事だ、直ぐにでも新しい彼氏が見つかるに違いないさ。


「井上! 今度首都圏合同研修あるだろ? そこで久しぶりに夜の街に繰り出すからな!」 


「内田先輩……別に構いませんが、ハシゴは勘弁して下さいよ? 以前の研修のこと、僕忘れてませんからね?」


「俺は忘れた! まぁいいって事よ!」


 直属の上司である内田うちだ先輩は、僕の背中を叩きながら強引に予定をぶち込んできた。この業界酒飲みが多いな……そう思いながらも、僕は書類を整えて次のクライアントへと足を運ぶ。自慢じゃないが僕は顔が良い。営業トークも人一倍上手いと自画自賛できるレベルだ。


 そんな僕が客先へと足を運ぶと、受付嬢からしてその身を正して出迎えてくれる。

 営業とは相手に気に入られる事が最低条件だ。女は色香を、男は魅力を。

 相手が知略タイプならそれ相応の知識を披露し、頑固なタイプには足繫く通う。


 テクニックという訳ではないが、僕は男女問わず人から好かれる事に長けている。

 そんな僕だけど、唯一苦手なのはお酒だった。


 苦手というか、飲み過ぎてしまうというか。

 僕はお酒を飲むと泣き上戸になるらしい。

 らしいという言葉から分かる通り、一番危険な酒の飲み方をしている。

 いわゆる記憶が飛ぶって奴だ。


 「将来井上は水たまりで溺死するかもしれんな!」そんな内田先輩の言葉が耳に痛い。

 大体僕はそこまでお酒が好きではないのに。


 しかし、社会とはどこまで行っても人間関係だ。

 上司に気に入られ出世して、そしてまた新しい上司に気に入られて出世して。

 お客様も変わらない、硬い財布の紐を解かせるのも人間関係がなせる技だ。


 だからじゃないが、僕は基本的に感情を表に出さない様に生活している。

 井上君ってクールだよね、井上君って寡黙だけで良い人だよね。

 そんな高評価に繋がっているのだから、感情なんて不要なんだと思ってしまう程だ。


 若草商事、首都圏合同研修会。


 まだ若手の社長が提案した施設を借り切っての研修には、百名ほどの若手のエリート達と指導する講師陣、さらには内田先輩の様な上司の面々も揃っていて。二日間だけどその内容は濃く、僕も周囲に負けないよう、学生時代以上にペンを走らせた。


 一日目の夜。ターミナル駅に近いホテルから徒歩数分。

 にぎにぎとした界隈の一角にある串カツ屋に僕達の姿はあった。


「研修も無事明日で終了! 井上君の主任昇進をお祝いして! かんぱーい!」


「乾杯じゃないですよ。僕が主任になったのって三か月前ですけど」


「良いんだよ、何だかんだで祝って無かっただろ? ほれ、目出てえ事は皆で祝うんだよ!」


 職場の人達は全員良い人だ。ホワイト企業なんだから当たり前かなって思うけど、意外にも出世欲が低い人が多くて助かる。本当なら僕じゃなくて他の人が主任になるはずだったのに、皆が口を揃えて「管理職にはなりたくない」と言っていたおかげでお鉢が回って来たのだから、僕からしたら感謝しかない。


「しかし井上も主任か、直ぐに課長代理で、直ぐに課長になっちまいそうだな」


「いえいえ……内田先輩だって課長から部長代理になるって噂じゃないですか。今期の新規案件、悪くないって聞いてますよ? 計画達成したら特別賞与だって支社長も言ってましたし」


「ぐふふ、耳が早いな井上は。まぁ、だからこその営業成績なんだろうけどな。新規案件に関しては問題ないだろう。一流同士のやる事だ、既に土台は組み上がってるよ。じゃあ、それも祝って再度乾杯だ!」


 ピッチャーから注がれた黄金水に一瞬口が引きつってしまった。藪蛇だったか。

 止まらない酒の席は二件目三件目を経て、最後はお決まりの深夜カラオケで幕を閉める。 


 翌朝。


「井上君、大丈夫?」


「は゛い゛、大゛丈゛夫゛て゛す゛」


 喉が酒で焼けて声が上手く出ない。心配してくれた佐藤さんも渋い顔だ。

 僕はこんななのに、内田先輩は何事も無かったかの様にピンピンしてる。

 いずれは僕もあれぐらいにならないといけないのだろうかと、少々戦慄を覚えてしまうね。


 研修の締めのスピーチを聞いていると、隣の佐藤さんがそっと僕の裾を引っ張る。


「ね、明日の休み……久しぶりに、どう?」


「ん、大丈夫ですよ。もう独り身ですから、いつでも行けます」


「あはは、それって私なんとも言えないんだけど。じゃあ井上君は参加ね。ってことは渋ってた女子社員は全員来るかな~」


 そっか、明日か。佐藤さんが幹事してるボドゲ同好会。

 思えば僕と冴羽さんが出会ったのも、彼女が開いた同好会の場だったっけ。

 流石に冴羽さんは出席しないと思うけど、明日は何だか女子率が高そうだな。


 二日間に渡って開催された首都圏合同研修という名の勉強会を終え、僕は一人家に帰る。誰もいなくてもスマホからエアコン操作できるし、掃除はルンバのルンちゃんがやってくれる。ご飯は適当にコンビニ飯で十分だし、冷蔵庫の中は基本アイスしか入ってない。


 僕は基本一人だ。学生時代から好きだったのはボードゲーム。

 数人で遊ぶ事を前提としている事が多いのだけど、意外とソロプレイのボドゲも存在する。


 動画や映画を観るよりも、一人でサイコロ転がして遊んでいる方がお金もかからなくていい。

 スマホゲーム何かは個人的には絶対に有り得ない。

 十回のガチャでお金が溶けて無くなる何てギャンブル以下だ。

 勝ちも負けも存在しない世界で一人孤独と戦うのならボドゲの方が良い。


「……お、珍しい、ドラゴンに勝てたか。次はグラディエーターの一人旅で行ってみるかな」


 調子が良い時は、何か良い事の前兆だというのが僕のジンクス。

 明日は全勝でも出来るのかなと、誰もいない部屋で一人笑みを浮かべた。


 翌朝、佐藤さんからの着信で目が覚めた僕は、着替えもそこそこにし車に乗り込む。


 別にお付き合いをしている訳でもないのに、分け隔てなく性別の壁を超えて接してきてくるのが、僕の同期の佐藤ゆいさんだ。背が小さく髪型をワンレングスできっちりと整えている彼女は、なんだかんだで趣味も性格も僕と全てマッチしている。


 だけど、不思議と恋愛には発展しない。

 同じ職場だし同期でもあるのだが、彼女は一つの宣言をしている。

 孤高の独身を目指し、お節介叔母さんを目指すのだとか。

 過去に何があったのかは別に聞きたくもないが、本人が幸せそうならそれでいい。

 

「お、来たねイケメン君。さ、入って入って」


 実家暮らしの彼女の家は結構大きくて。リビングで十人以上が集うには最適の場だった。

 予想どおりというか何というか、女子と男子の比率が七対三、女子の方が多い。

 

「随分と多いですね、今日は何をやるんですか?」


「何やろっか、この人数だと人狼とか?」


「そうですね、収集付かなくなりそうですし。もしくはグループで分けて遊ぶとか?」


「ああ、じゃあそうしよっか。ちょっと待ってね、一人遅刻してるのがいるから、その子来たら始めよ」


 まだ来るのか。全部で十一人……流石に多すぎだろ。

 僕はお土産に持ってきたお茶とお菓子を皆に配り、ソファーに座る。


 余りにも多すぎるとボドゲは手持ち無沙汰になってしまうのに。

 そんな事を考えていた辺りで、陽気な声と玄関の扉が開く音が聞こえてきた。


「お待たせしましたー! きゃー唯ちゃん久しぶり―!」


「きゃー香苗久しぶりー! 変な男につかまって大変だったねぇ!」


 あっけらかんとした女性。それが僕の彼女に対する第一印象だった。

 佐藤さんと手を取り合って再会を喜んでいる姿は、何故だか少女の様で。


「もう聞いてよ本当に最悪だったんだから! 何なのあの時代錯誤のクソ野郎! アタシの事オナホ扱いしちゃってさぁ! こっちは処女でも何でもないっつーの!」


「ちょ、ちょっと香苗」


「え? あえ?」


 こちらを見て赤面させて。

 前言撤回、どうやら彼女は面白い女性のようだ。


――――

次話「私の膝枕の価値は。」

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