第13話 科学探偵 after
スライド式の扉を開くと、真っ白な病室が視界に広がり、ケミカルな香りが鼻をついた。
部屋の奥の、窓際に置かれたベッドと、ベッドの前に置かれた木製の衝立以外に、目立った家具はなし。
脇のテーブルに、起動したままのノートPCと花瓶が置かれている程度で、人間味が薄い。
私と新月が師事していた頃のままだ。
「来てくれたか、探偵紳士」
しかし、衝立越しにかけられた声は、昔よりずっとしわがれていた。
私はベッドに近づき、紙袋から木箱に入った黄色のバラを取り出して、テーブルの上へと置く。
「香りがしないが、それは造花か?」
「いや、生花を加工したプリザーブドフラワーです。手入れを何もしなくても長生きするので、安心してください」
「それは、羨ましいな。
人間は何かをしなければ、見る見るうちに老いて死にゆくというのに」
ベッドから身体を起こす気配も見せないまま、声の主は続ける。
「……理想探偵たちが博士探偵の行方を掴んだそうだ。
甘い面の残る彼らでは恐らく、ヤツを逃してしまう。
キミが彼らに代わって、博士探偵に引導を渡してはくれまいか?」
「確かに老いましたな、始祖探偵。いや、マスター・ヴィドック」
食い気味に反論し、言葉を遮った。
「つまり、私に新月を殺せと言いたいのでしょう? 昔のあなたが今のセリフを聞いたなら、間違いなく鉄拳制裁が待っていますよ」
この知る者の限られた施設に呼び出された時点で、用件は何となく察していた。
私の答えは決まっている。
「当然、答えはノーです。私が中立でいることに誇りを持っていることは、あなたもよくご存知でしょう」
「本当に中立だと言えるのか? キミは博士探偵……いや、新月の息子を弟子に取り、あの子に父親と同じ道を歩ませている。“あちら”側の人間だと疑われても、文句など言えない立場だぞ」
珍しく語気をやや荒げながらヴィドックが言った。
そう言われるだろうことも、予想はついていたことだ。
「私だって、あの子が探偵になるべく私の元を訪れた時は、拒絶しましたとも。
探偵など好んでなるものではない。新月の息子なら……尚更だ」
「わかっているのならば、なぜ新月を止めない? あの男ならば、“例の技術”を用いて、息子を自分の次なる器とすることも辞さないぞ。そうなれば……」
「だから『最小限の犠牲に抑える』。それがあなたの、今の方針でしたね」
八ツ裂き公事件に対しても同じスタンスであったと聞いている。
以前までの高潔さを今は感じられない。
明けぬ夜事件と、その後の新月の暴走を経て、ずいぶんと歪んでしまったものだ。
丁寧に加工された花でも、いずれは枯れゆくように。
どれほど優れた人物であっても、寄る年波には勝てない、ということか。
「誰が正義で、誰が悪かに答えなどない。
私は証拠を得て、新月の真意を知るまで、中立を貫きます」
◆
月の見えない夜闇の中、施設を出て駐車場の愛車へと戻り、パイプを吹かす。
煙草の香りが漂う中で、思い出すのは博士探偵――新月との記憶。
科学探偵――巴月が生まれたばかりの頃、こうして車の中で新月と会話したのを覚えている。
「――探偵紳士、煙草はやめてくれないか。このあと新生児の元へ行く用事があってな」
窓から差し込む月明かりに表情が隠れたまま、新月は言った、
「オーマイ、紳士らしからぬ配慮不足だな。すまない、博士探偵」
「もっとも、いくら乳児とて、衣服に付着した成分で体調を崩すことはないと思うのだが、実際に実験したケースはない。過去にケースがない以上は、当然ケアすべきことだと思うんだ。煙草が要因となった乳幼児突然死症候群は非常に多く、親ならば注意すべきことだそうでね」
「ふふ、まるで父親ではなく、研究者のような言い回しだぞ。やはり、実子を得ても性根は変わらないか」
「ああ、私も自分に失望しているよ。結局、私はどこまでいっても研究者気質の人間だ。正直に言って、父親らしい感情はまるで湧いてこない。やはり私には、家族を持つことなど不可能だったのだろうか」
月明かりで顔が見えないものの、そう語る新月はどこか悲しげで。
家族に恵まれなかった彼の経歴を思うと、「奇人」だと一言で切り捨てることなどできない。
普通の人間になりきれぬ新月も、彼なりに人間になろうと努力をしているんだ。
「博士探偵、我々は何かをきっかけに突然『探偵』になったのか? 違うだろう? ヒトとは、一つのきっかけで転身するのではなく、意志を持つものだ」
「意志? 法律用語における『意志』とは異なるのだろうな。キミの言葉はいつも精神論が多く、私には理解が難しい。もっと仔細に説明をしてもらえると助かる」
「くっくっ……相変わらず頭が固いな。そんな難しい話ではない。人間に何かに足らしめるのは、その何かになろうとする意志だと言いたいのだ」
ポケット灰皿へとパイプの灰を落としつつ、怪訝そうに首をかしげる新月の方を見た。
「私が『紳士』であることを心がけているように、お前は『父親』になろうとしている。その意志こそが重要なのだ。心配しなくとも、お前ならいずれ、父親になれるとも。親友として、私が保証しよう」
月明かりの中で、新月の口元が僅かにほころんだ気がした。
今にして思えば――アレが私の最後に見た、新月の笑顔だったかもしれない。
「ありがとう、探偵紳士。
自分のことは信頼できないが、キミの言葉なら信頼できる。
こんな私にも、父親としての意志があることを信じてみよう」
新月が『探偵撲滅プロジェクト』なる実験を本格的に始動させたのは、それから間もなくのことだったという。
――今は空っぽの助手席を眺めながら、パイプをくゆらせる。
十数年が経った今でも、私は彼の言葉の真意について、考え続けている。
あの日、私に語った一児の父となったことへの不安と、私への信頼にウソはなかったはず。
たとえ肉体も思想も、花のように枯れゆくとしても、変わらないものがあると信じたい。
新月の真意を理解するまで、紳士として、中立であり続けるのだ。
それができるのは、ヤツと最も言葉を交わしてきた、私にしかできないことだから。
プライベート用の携帯電話が振動した。
通知を見れば、弟子の科学探偵――新月の息子、巴月からの連絡。
恐らくこのあとの食事の件だろう。
今日はあの子の誕生日だから、流石にレディとの約束は入れていない(自信はあまりないが)。
「なぜ……新月の息子の弟子入りを許したか、か」
物心つく頃には組織の保護下にいて、父親譲りの才能で『探偵同盟』でも随一の科学者に成長した巴月が、探偵を志すのは自然の道理だった。
科学の道を志したのも、八ツ裂き公事件に強い執着を見せたのも、無意識に父親の背中を追いかけているが故だろう。
あまりにも
紳士としてはヴィドックの言う通り、私情に流されず、無理矢理にでも探偵になるのを止めるべきだったと、分かってはいる。
しかし、あの子が見せた『探偵になりたい』という強い意志に、私はかつての自分や新月を重ねた。
だからこそ、中立を崩さざるを得なかったのだ。
「それに……巴月の女装が美しかったからな」
弟子の女装に騙された苦い思い出を自嘲しつつ、巴月からの連絡を確認する。
届いていたのは、一枚の写真と、短い一文。
写真の中の巴月は満面の笑顔で、特殊な境遇のせいで、『友達』と呼べる存在が自分の発明品以外にいなかった頃とはまるで違う。
仲間たちと共に大きく成長し、探偵として花開いた。
我々のように枯れゆく花がある一方で、新たに芽吹く花々もあるということだ。
この先ヴィドックが憂慮する通り、父親が原因で苦しめられることになろうとも、仲間たちと一緒ならば問題ない。
私は紳士として、若者たちとは別の線から新月を追っていこう。
「もし、本当にお前が凶気に支配されたのなら、私が止めてみせる。
紳士ではなく、友として」
月のない夜空にパイプを掲げて、自分の意志を口にした。
――老師探偵 afterへと続く。
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