第12話 文学探偵 after


 起きてリビングへ行くと、台所にエプロンをつけた金髪の男性が立っていた。


 男性は眼帯をつけている上に、岩礁で波にでも揉まれたのかと思いたくなるようなボロ着姿。

 その上から赤いエプロンを着けているのだから、不審者感が凄まじい。

 彼の素性を知らなければ、迷わずに警察へ通報していたと思う。


 男性は私に気付くと、柔和に微笑みかけてきた。


「おはよう、ブン。

 もうすぐ朝食ができるから、テーブルで待っていなさい」


 外見に似合わず真っ当なことを語る男性。

 言われるがまま、私はすぐそばのテーブルに着き、台所で包丁を振るう男性の背中を見つめる。


 ――エヴァンス=ヘルシング。通称『魔界探偵』。

 私の両親の仇をとってくれたヒトであり、今の養父。


 普段は仕事で忙しく、日中は家を空けがち。

 朝から家にいることなど滅多にないので、一瞬思考がフリーズしてしまった。


 トン、トン、トンと、まな板の上で包丁がステップを踏む音が聴こえてくる。

 温かな朝日が差し込む中、台所に響くその音色によって、懐かしい気持ちが湧き上がってきた。


 ママが生きていた頃の朝は、いつもこんな感じだったっけ……。


「――さぁ、できたぞ。魔界流フルーツサンドだ」


 魔界探偵がテーブルへ向き直ると、その手に持つ皿の上に、色とりどりのフルーツを挟んだサンドイッチが置かれていた。


 皿を私の前へと起いたあと、冷蔵庫から取り出した瓶からオレンジジュースをコップへと注ぎ、皿の横へと添える。

 朝はあまり食欲が出ない私でもお腹が鳴るほど、彩りも良く、食欲をそそる料理だ。


「それから、この子も今渡しておこう」


 そう言うと、魔界探偵は懐からお腹に赤いリボンの巻かれた、全身紫色の人形を取り出した。


 人形は繊維で作られてて、目にはボタンがついている。

 元々は呪術用のアイテムとして知られる『ブードゥー人形』だ。


「誕生日おめでとう、ブン。私手製のブードゥー人形だ。

 私がそばに居ない時も、きっとこの子がお前を守ってくれるだろう」


「誕生日……?」


 ああ――今さら気付いた。今日は、私の誕生日か。


 両親が死んで以来、考えないようにしてきた。

 だって、私の誕生日を祝ってくれるヒトたちは、もうこの世に居ないのだから。


 そんな私の思考を読んだかのように、魔界探偵が語りかける。


「今日は仕事がないから、二人でどこかへ出かけよう。

 夜には二人でケーキも作らなければな」


 多忙の彼が朝から家にいる理由を悟った。

 魔界探偵は、家族として私を祝おうとしてくれていたんだ。

 探偵の仕事も多忙のはずなのに、本当にバカな人。心底呆れてしまう。


「……誕生日に呪いの人形を渡すって、あなたはバカですか?」


「むっ? ブン、それは違うぞ。確かにブードゥー人形は、呪術用の人形をそのルーツとしているが、魔除けとしての役割も持っていてな――」


 真面目な顔でマニアックな知識を語る魔界探偵。

 その様子は、娘の私にいつも妙な知識な吹き込んでいたパパを想い起こさせた。


 知れば知るほど変な人。

 だけど、親しくなればなるほど、パパとママを失った悲しみを癒してくれる。


 私の、大切なお父さん。


「……来年も、祝ってくれますか?」


 うつむいて、ついぼそりと漏らしてしまった言葉。

 すぐに「聞かれませんでしたように」と願うものの、その願いは儚く散ってしまう。


 ポンポンと、大きな手に頭を叩かれて。

 それから、優しげな声で語りかけられた――


「もちろん祝うとも。

 これからは龍太郎たちの分まで、私が毎年祝おう」


「……お父さん――」


 顔を上げると、そこには誰も居なかった。


 何の音も、誰の声もしない空っぽの台所の上に、取り残された包丁とまな板。

 テーブルの上のフルーツサンドを手にとって頬張ると、果物の酸味と腐臭が広がり、涙が込み上げてきた。


 その涙も拭かずに、フルーツサンドを食べ続けながら、つぶやく。


「……嘘つき」


 そして腐ったフルーツサンドの味と共に、また家族を失った現実を噛み締めるのだった――。


    ◆


 ――目が覚めた。

 真っ白な天井を見つめ、身体を起こしてベッドから降りる。


 8畳ほどの空間に、本棚とクローゼット、文机など、最低限の家具が置かれた部屋。


 お父さんと暮らしていたアパートからこの部屋に引っ越してきて、もうすぐ1年か。


 特に不便なこともなく、ゆるりゆるりと時間が過ぎていく。

 あの島で負った身体の傷も、今ではすっかり完治して、傷跡も残っていない。


 だけど、記憶に深く深く刻まれた傷は、まるで消えてくれなくて―――

 いくら普段考えないようにしても不意に想い起こされる。


 一度見た映像を忘れられない病気『非常に優れた自伝的記憶HSAM』。


 これから先も私は、お父さんと暮らした日々と、その喪失を思い出し続けるしかないんだ。


「記憶も果物のように、腐って、消えてしまえばいいのに……」


 一人きりの部屋の真ん中で、私は誰にでもなく、つぶやいた。


 コンコンとドアがノックされた。

 壁に掛けられたフクロウ型の時計を見ると、時刻は7時半。

 一緒の施設で暮らす和都が、私を朝食に誘いに来たようだ。


「『少し待っててください』と、少女はせっかちな男を咎めた」


 扉の向こうの彼に言葉をかけて、クローゼットから服を取り出し、パジャマから普段の服へと着替える。


 髪はあとで結べばいい。

 枕元に置かれたリボンとブードゥー人形を手にとって、早足で扉へと向かい、外に踏み出た。


 同時に――パァン! と火薬のハジケた音が響く。


「ひゃ!」


 思わず悲鳴を漏らして、床に尻もちを着いてしまう。

 それから、徐々に平静を取り戻して、大勢の人々に覗き込まれていることを理解していった。


「ブ、ブンちゃん、驚かせてごめんね! 大丈夫!?」


 そう言って、心配そうに手を差し出す和都。

 もう片方の手には、クラッカーが握られている。


 自分の髪に細い紙テープがくっついていることに気付き、私はようやく、先ほどの音がクラッカーの破裂音だと気付いた。


「ごめんねぇ、文学ちゃん。華族ちゃんがどうしても、あなたを驚かせたいって言うものだから~」


「ちょっと美食さん!? ワタクシのせいにするのは卑怯ですわよ!?

 ここまで驚くなんて予想外でしたわ!」


 バイクスーツの胸が豊満な女性と、ちんちくりんな容姿の女性がキーキーと騒いでいる。


「文学どの、責めるなら我を責めよ! 文学どのが驚かぬよう、火薬の音に対して我が盾になるべきだったのだ……!」


「落ち着いてください、武装さん。突然あなたが間に割り込んだとしても、それはそれで文学さんが驚いていたと思います」


 その横では、土下座しようとする甲冑姿の男性を、車椅子の男の子が宥めていて――


 要するに、私の仲間の探偵たちが勢揃いしていた。


「……『朝から集まって、どうかしたんですか?』と、少女は騒がしいコメディ集団に問い掛けた」


 今や全員、多忙の身。

 朝から全員が揃うことなんて、まずありえない。

 よほどの特別なことがあったんだろう。


 私の質問に対して、和都は普段より一層柔らかく微笑んだ。


「……わからない?

 今日僕たちが集まる理由なんて、1つしかないでしょ?」


 胸が高鳴った。本当は分かってる。

 今日このお人好したちが集まる理由なんて、決まっているんだ。


 だって今日は私の……誕生日だから。


「……あ……その……」


 不意打ちすぎて、言葉が出てこない。

 素直にお礼を言うのは私のキャラじゃないし、驚かされて既に情けない姿を見せてしまっているから、これ以上弱い部分を見えるのはイヤ。


 ドヤ顔で私のことを見つめている華族探偵が、憎らしくて仕方がなかった。


 そのままうつむいて、言葉を返さずにいると――


「ンもう……! 時間が勿体ないですわ!」


「ひゃっ!?」


 華族探偵が尻もちを付いたままの私に触れて、お姫様抱っこのような姿勢で抱え上げた。

 この人、本当にキライ。


「は、離して――『離してください、セクハラおばさんとして訴えますよ』と少女は全力で抗議した」


「離しません。せっかく早起きしてご馳走を用意したのですから、すぐに食堂へ連行いたしますわ」


「みんなで文学ちゃんのためにケーキを作ったのよ~。

 もちろん、大好物のフルーツサンドもたっくさん用意したわ」


「去年は大変な状況で、ブンちゃんが誕生日を迎えていたことにも気付けなかったからね。

 2年分お祝いしないと! って前々から準備してたんだ」


「ふふん。電子書籍否定派の文学さんのために、紙の書籍のページめくりの感覚を可能な限り再現した電子書籍リーダーを開発しましたよ。

 今日こそは、電子書籍の良さを知ってもらいます!」


「文学どのの探偵序列が10位に上がったお祝いも一緒にするのだ!

 我も負けてはいられん! 20位以内に昇格できるよう、努力せねば……!」


 私の訴えも聞かずに、みんな嬉しそうに好き勝手なことを話し続ける。

 本当に騒がしい人たちだ。


 先ほどまで沈み切っていた心が、無理やり盛り上げられてしまった。


「そう言えば文学さん、

 先日の事件で助けた渋谷さんの弟に、随分懐かれていましたわよね?

 弟子入りを志願されていましたけど、アレからどうなりましたの?」


「犬心くんなら先週から本部で雑用をしていますよ。

 ブンちゃんが、『弟子入りしたいなら、まずは雑用を完璧にこなすように』って」


「文学さん、平気ですか?

 彼は八ツ裂き公事件の真相を詳しく知らないとは言え、事情が事情ですし……」


「『渋谷探偵の弟であることは気になりませんが、私とほぼ同い年の人を弟子にするのはイヤなので、適当に理由をつけて断ります』と、少女は本音を語る」


 以前なら口にしづらかった渋谷探偵の名前も、今では自然と話題にできるようになった。


 私の記憶に刻まれた傷は確かに消えない。

 でも少しずつ、楽しい思い出カサブタが覆ってくれる。


 私をずっと苦しめてきた病気は、悲しみを忘れられないと同時に、喜びをずっと覚えていられる身体でもあるんだ。


「文学ちゃん、その手のリボンを貸して。お姉さんが髪を結ってあげるわン♪」


「文学どののために、護身用の合金製の本を作ったのである! あとで使い心地を試してみて欲しいのだ!」


「武装さん……護身用の本って何?」


「ふふっ……」


 手に握ったままだったブードゥー人形を胸に当てる。


 お父さんはまだ、見守ってくれているのかな?

 見守ってくれているなら伝えたい。


 今の私には、お父さんの代わりに守ってくれる仲間が、たくさんいるよ――と。


「……皆さん、ありがとうございます」


 周囲の家族たちに聞こえないよう、お礼を口にするのだった。


 ――科学探偵 afterへと続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る