第11話 渋谷探偵 after
「理想探偵さまですね、お部屋へご案内いたします。
渋谷探偵さまがお待ちです」
着物姿の女性が深々とお辞儀をし、理想探偵と呼ばれた黒髪の青年を案内する。
青年は導かれるまま、木目の美しい廊下を進み、星空を模した
部屋に置かれた二人がけの座卓。
その手前の先には、先客が既に座っている。
先客は切れ長の目と、腰まで伸びた黒髪が特徴的な、制服姿の少女だった。
「呼び出して悪かったな、理想探偵。
ああ……本名は『北條和都』って言うんだったか」
正座したまま少女が冷笑する。
青年――和都は『理想探偵』として活動して以来、その素性をできる限り隠してきた。
本名を告げる行為は、少女から和都に対する、明確な宣戦布告。
だが和都に動揺はない。
「はじめまして、
いえ、『ナッツ』と呼んだ方が、良いんでしたよね?
あなた……いえ、あなたたちが『渋谷探偵』を名乗って、探偵同盟に無断で探偵活動を行っているのは、分かっていましたよ」
「……へぇ、よく調べてるじゃん」
冷静なのは、和都も同様に、目の前の少女のことを十分に調査済みだからだ。
少女の本名のみならず、彼女が八ツ裂き公事件で死んだ渋谷探偵の親友であることや『ナッツ』と呼ばれることを好むこと、そして渋谷探偵の築いた情報ネットワークを引き継いだことも、和都は全て知っている。
分からないのは彼女、夏野くるみが自分に対して、どのような感情を抱いているかどうかだけだった。
「アタシみたいな凡人のことも調査済みとは、流石だな」
「渋谷さんの情報ネットワークを引き継いだ人は、凡人とは言えませんよ。それに、あなたの協力者は6大企業グループ『七星』の御令嬢……できることなら、敵に回したくない相手です」
「はは、アタシはともかく、チョッパーの実家は厄介だろうな。アタシが密会を開きたいって言うだけで、この店を貸してもらえるくらいだし」
そこで、和服の女性が二人分の料理と共に入室し、座卓に料理を並べていく。
その様子に、くるみは目を爛々と輝かせ、年相応の表情を浮かべてみせた。
「せっかくだし料理を食べながら話すべ。理想探偵さんも庶民だって言うし、これほどのご馳走は食べ慣れてないだろ?」
「……ですね。いただきます」
和都はさり気なく懐から、カメレオン型の機械を取り出し、その顔から飛び出た舌を料理へと当てていく。
それは、舌に触れた対象を科学的に分析する器具『ペロペロくん』。
毒の反応を感知すると、目玉に変化が生じる作りだが、特に反応は見られない。
素直に食べて問題なさそうだ。
「アンタ、見かけによらず疑り深いんだな」
小鉢に乗った煮物を食べながら、くるみが語る。
「ミユキに似た雰囲気だと思ったら、ワンコっぽい暗さもある……何というか、やりづらい相手だよ」
「ワンコ……渋谷さんのことですか」
「そう、佐奈江犬美。犬美だからワンコ。
アンタが罪を告発した相手のことだよ」
煮物を食べ終えると、くるみは漬物の小鉢に箸を伸ばした。
一方の和都は、まだ料理にひと口も手をつけてはいない。
和室にパリポリと、漬物をかじる音が響く。
「アンタの目から見て、ワンコの姿はどう見えた?」
しばらく逡巡したあと、和都は答える。
「……強い人でした。彼女がいなければ、きっと僕は本当の探偵にはなれなかったと思います」
「強い、か。アンタが告白した内容じゃ、八ツ裂き公事件の犯人の一人として、最後は自殺したんだろ? どこが強いんだよ」
「強い彼女が追い込まれるほど、降り掛かった悲劇が残酷だったということです」
和都の言葉に押し黙るくるみ。
彼女の返答を待たずに、和都は続ける。
「事件のあと、僕は渋谷さんの身に起きたことを調べました……調べれば調べるほど、彼女が島で語っていた言葉の重さを知って、自分の無力さを思い知るばかりで。自分が同じ立場になったら、同じ選択をとらないとは言えません。だから――」
「はい、ストップ。涙を拭いてよ、理想探偵さん」
くるみに言われて、和都はハンカチを取り出し、涙を拭った。
自分でも無自覚の涙。
渋谷探偵の身に起きた親友の死とその真相は、同情せずにはいられないほど凄惨で、無力感に苛まれるばかりだった。
「アンタを恨んでいるだろう相手が目の前にいるのに、普通泣くか? 国内最高峰の探偵なんだろ?」
「……まだ全然ですよ。
自分の選択が正しいと断言できるほど、強くもありません」
和都は渋谷探偵が犯した罪の真相を明かした。
渋谷探偵の功績も合わせて発表したが、その悲劇的な生涯ばかりが取り上げられて、残された遺族にも影響が出ていると聞く。
もちろん組織をあげて、被害は最小限に留めているものの、彼女の家族や友人に恨まれたとしても、仕方がない。
「でも、ひとつ決めていることがあります」
「へえ、何だよ?」
「それは、八ツ裂き公事件を完全に解決することです。渋谷さんは最期に、八ツ裂き公の正体を暴くヒントを残してくれました……彼女も心の底では、八ツ裂き公事件の解決を願っていたと思うんです」
「……都合が良い解釈だな」
くるみが花型の皿に乗った刺し身に箸を伸ばして、醤油皿を経由して、口へと運ぶ。
その表情が、苦虫を噛み潰したように歪んだ。
「ただ八ツ裂き公が気に喰わなかっただけかもしれないだろ……どうして、死んだあとまで貶められなきゃなんないんだよ……ああ、気に入らねぇ……」
言いつつ、くるみが頭をガリガリと掻きむしる。
その表情は、ここに来て初めて見せる彼女の本音のように、和都には思えた。
「気に入らないんだよ。アンタも、探偵同盟も、八ツ裂き公も、世間の奴らも。どうしてワンコは死ななきゃいけなかったんだ? どうしてどいつもこいつも、ろくにワンコのことを知りもしないで騒ぐんだよ……どうしてだよ……どう、して……!」
「どうして助けられなかったんだ――って、何より自分自身に腹が立つんでしょう?」
和都はくるみの目を真っ直ぐに見つめて言った。
感情的になっていたくるみは、憑き物が落ちたように呆けた表情となる。
「僕も同じです。だからこそ、同じ悲劇を繰り返さないために、探偵を続けることにしました。夏野さんが『渋谷探偵』の名を引き継いだのも、同じ理由からですよね?」
「アタシは、――」
くるみは途中で口を閉ざし、うつむいたあと、意を決したように顔を上げた。
「最初は、アンタらへの嫌がらせのためだったんだ。世間を賑わす『渋谷探偵』が復活したとなったら、探偵同盟も対応に追われるだろ? 実際こうして、怪しい呼び出しにも応じてくれているしさ」
「今は、どうなんですか?」
くるみは箸を置き、透き通った目を和都に向けた。
その姿に和都は、落ち込んだ自分を励ましてくれた際の、渋谷探偵を重ねた。
「今は純粋に、楽しいんだよ。ワンコが進んできた道を、代わりに歩いているみたいで……ワンコやミユキがそばにいてくれるみたいで、前に進もうって思えるんだ」
「そうだと信じていましたよ。新たに現れた『渋谷探偵』は、亡くなった彼女の生き方をなぞるようでしたからね。探偵同盟への嫌がらせにしては、良い人過ぎます」
「……そこまで分かってるのに、出された料理は疑うのな」
「それとこれとは話が別です。
まず疑うのは、探偵の基本ですから」
声を出して笑い合う和都とくるみ。
張り詰めていた空気はすっかり緩み、ようやく和都も本題へと入ることができる。
「夏野くるみさん。
『渋谷探偵』として、正式に探偵同盟に入りませんか?
既に根回しは済ませているから、今日からでもメンバー入りできますよ」
「本当に、良いのか……? アンタらにとって渋谷探偵は、仲間を大勢殺した殺人鬼だろ? 反対する奴だって少なくないだろうに」
「否定はしません。でも……失った仲間の一人でもあります。
彼女の意志を継ぐなら、僕は理想探偵として、全力であなたを守りますよ」
そう語る和都の目に迷いはない。
先ほど感極まって涙を流した青年と同一人物だとは思えないほど、凄みをまとっている。
その圧に流されるようにして、くるみは首肯を返した。
「一つお願いがある。実は、ワンコの弟の奴も探偵になりたいらしいから……面倒を看てやってくれないか?」
「ああ、
「……アンタ、知れば知るほど有能で怖いわ。未来でも見えてるのかよ?」
こうして、あまりにもあっさりと、くるみの探偵同盟への参加が決まった。
それから和都は、目の前に置かれた料理に次々と箸を伸ばし出す。
「じゃあ食事を終えたら早速、探偵同盟の本部へ案内しますね。渡したいものもありますから」
料理を大急ぎで口いっぱい詰めていく和都。
その姿に先ほどまでの凄みは皆無で、もはや年相応の青年にしか見えない。
そのギャップに気が抜けたのか、くるみはつい吹き出してしまった。
「ハァ……ワンコが気を許したのもよくわかる。
アンタは何というか、変な奴だよ」
「流石、渋谷さんのお友達……手厳しいですね。
夏野さんも僕のことは気にせず、料理を食べてください」
「ナッツで良い」
くるみは和都に対して手を差し出し、語る。
「ワンコが名付けてくれたんだよ……このアダ名。
だから、アンタには『ナッツ』って呼んでほしい」
差し出された手を握り、和都は微笑んだ。
「じゃあ……ナッツさん。
僕のことは『無能探偵』と呼んでください。
それが渋谷さんが名付けてくれた、僕の探偵としての名前ですから」
渋谷探偵の武器は『
受け手がいる以上、一方的に切断することなどできない。
一度
――文学探偵 afterへと続く。
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