第10話 理想探偵 after
――夢を見た。
それは、黒髪に白のグラデーションがかかった幼い女の子が、書斎机に座った壮年の男性と向き合う夢。
男性の顔に刻まれたシワは深く、後ろでまとめられた髪は真っ白で、金色の瞳で女の子を見つめている。
「鎧井彩華くん。博士探偵の愚かな計画に巻き込まれたあなたには、心から同情します。できることなら、すぐにでも普通の身分と生活を取り戻してあげたいところです」
女の子は首を横に振り、微笑んだ。
「気にしないでくれ。機密警察の創設に国家も絡んでいた以上、秘密を公にはできない。社会的には死者扱いの私が、普通の生活を送るなど不可能だろう」
まだ齢二桁に届いていないであろうにも関わらず、女の子は淀みなくそう語った。
その語り口は不遜なほど自信に満ちあふれ、男性が腰の低い口調であることも相まって、会話だけを聞いていると、どちらが歳上か分からなくなりそうであった。
「……力及ばず、申し訳ありません。ですが、我々は国家のアキレス腱を握った状態とも言えます。現状を活かし、機密警察を正義の組織に転換させれば、国家は我々に手出しできないでしょう」
「国家の弱みを抹消せず、取り込んでしまうワケか。あなたもなかなかの食わせ者だな、始祖探偵」
「今後、明けぬ夜事件の影響は徐々に広がるはず。不本意ではありますが、機密警察が残した技術や人材は不可欠ですからね」
「なら、探偵の探偵による探偵のための組織を作るのはどうだ?」
女の子の提案に白髪の男性は目を丸くする。
「それは、どういう組織ですか?」
「要するに、依頼に応じて最適な探偵を派遣する、探偵の派遣組織だ。所属する探偵には、実績に応じた序列と、序列に応じた報酬を与えていく」
「実に会社的ですね。探偵ビジネスでも始めるつもりですか?」
「いいや。運営には国家に“協力”を仰ぎ、活動は完全に秘匿とする。目的はあくまで、ビジネスではなく優秀な探偵を揃え、育成することだ」
「ふむ。国家に縛られない探偵を多く抱えることは、確かに強みとなりますね」
男性はあごに手を当てたまま、しばらく考え込んだあと、女の子へと視線を戻した。
「あなたの提案に乗りましょう。私の命ももう長くありませんからね、後進の育成に励みたいと考えていたところです」
女の子の顔がパアっと明るくなる。
しかし、ハッと目を見開き、すぐさま元の冷静な表情に戻った。
男性は訝しむように、女の子の顔をじっと見つめた。
「ただ、ひとつ教えてください。
鎧井彩華くん、キミは探偵だけの組織を作り上げて何をなすつもりなのですか?」
「初歩的なことだよ、始祖探偵」
女の子が悪戯っぽく笑い、即答してみせる。
「人を生かすのは金と理想だ。たとえ貧しくとも、苦しくとも、恐ろしくとも、心を満たす理想さえあれば、人は生きていける。
私たち探偵が、この先に起こるであろう悲劇における理想となりたい。ただ、それだけのことだよ」
そう語る女の子の紫陽花色の瞳に、迷いの色は一切滲んでいない。
女の子の瞳をしばらく見つめたのち、男性は自らの白い頭を掻きつつフッと息を吐き出した。
「理想ですか。汚れきった私とは縁遠い話です。でもあなたなら、本当に人々の理想となれるかもしれませんね」
「かもではない。人々の理想となってみせると誓おう。
始祖探偵、これはあなたと私の盟約だ」
「信じていますよ、理想探偵。
私たちは今日より、志を共にする仲間……『探偵同盟』です」
男性が差し出したシワだらけの手を、女の子の紅葉のように小さな手が握る。
祖父と孫ほど歳が離れているにも関わらず、二人の関係は対等で。
肉親よりも固い確かな絆が感じられた――。
◆
朝、目覚めてベッドから身体を起こすと、必ず彼女を探してしまう。
テレビとPCデスク、手洗い場へと続く扉しかない、ビジネスホテルのような室内に、彼女の姿は見えない。
今日も彼女がそばにいますように。
また、笑顔を見られますように。
そう願いながら部屋中を見渡すと、思考を読んだように――いや、僕の思考を本当に読んだ上で、彼女はベッドの下から僕の前へと飛び出してくる。
「おはよう、和都くん。今日も私の顔を見ることができて、安心したかな?」
「……おはよう、彩華ちゃん。答えが分かっている質問はよしてよ」
「ふふ、すまない。キミが私の笑顔を好むように、私はキミの困った顔を見るのが好きなんだ」
そう言って、いつも通り彩華ちゃんは笑う。
生前の彼女と変わらないその表情を見るたび、僕は安堵すると同時に、少し不安になる。
目の前の彩華ちゃんが、僕の記憶を元に再現された幻覚に過ぎないのではないか――と。
「ネガティブな思考回路だけは、いつまでも変わらないな」
そんな僕の思考も読み取れる彩華ちゃんは、わざとらしく肩を落としてみせた。
「私が本物の残留思念であれ、キミが作り出した幻覚であれ、今こうして私たちは会話できている。その事実を喜びたいと言ったのは、キミ自身だろう?」
「ごめんね。分かってはいても、目が覚めるたびに考えてしまうんだ。今見えている彩華ちゃんは本物の彩華ちゃんなのかな、って」
もしかしたら、昨日までは本物の残留思念でも、今日からは幻覚かもしれない。八ツ裂き公事件を解明したあの日、再び姿を現してからは幻覚かもしれない。そもそも、初めから全て幻覚かもしれない。
そんな不安に苛まされることがたまにある。
あれから随分と時間が経って、少しは成長したつもりでいるけど、この弱気な性分ばかりはなかなか直せずにいた。
「さぁ、弱気はここまでだ。そろそろ食堂に行く時間だぞ?」
「うん……よし、今日も頑張るぞ」
「その意気だよ、和都くん」
両手を握ってグッと気合を入れ、ベッドから下りた。
手洗い場へと向かい、顔を洗って、歯を磨く。壁に埋め込まれたクローゼットから、いつもの学生服を取り出し、寝間着から
宿泊用の部屋が連なる真っ白な通路に出て、すぐ隣の部屋の扉をノックする。
少し待つと、中学校のセーラ服を着たブンちゃんが出てきて、いつも通り二人で一緒に食堂へと向かい出した。
真っ直ぐに伸びた白い通路を進みつつ、いつも通りの、取り留めのない会話が始まる。
「ブンちゃんは本部での生活に慣れた?」
「『そこそこ。書庫が充実しているので退屈はしません』と、少女は返答した」
「そっか、僕も悪くないと思えてきたよ。華族さんや美食さんのおかげである程度自由も認められてきたし、ブンちゃんと一緒にいられるしね」
「……そういうこと、サラッと言わないでください」
「ん? 何か言った?」
「『何にもありません』と返し、少女はラブコメ主人公じみた男に冷たい目を向ける」
一緒に暮らせなくなったジイちゃんや、僕がいないと生活が破綻する群青寺先生のことが気がかりだったけど、今は定期的に顔を見せに行ける。
職員の多くも僕に好意的で、生活に不自由は感じない。
食堂方面から歩いてきた職員も、にこやかに挨拶を返してくれた。
そして通路を抜けて、学校の教室をふたつ並べた程度の広さの、食堂に到着。
整然と並んだ長机には、チラホラと知っている事務員の姿が見える。
僕ら以外にも、この本部で暮らしている人は多くいるんだ。
クリーム色の壁に沿って進んで、入り口で購入した食券をカウンター奥のスタッフへ。すると1分ほどで、ブンちゃんの頼んだフルーツサンドと、僕の頼んだ小倉トースト、そしてサービスのミニサラダが乗ったトレーを手渡された。
「『サラダあげましょうか?』と、少女は慈悲の心を見せた」
「ちゃんと食べなきゃダメ」
「ちぇっ」
ブンちゃんと向き合うようにして机に座り、トレーの上の料理を食べ始める。
うん、今日も美味しい。
一時期、美食さんが指導員になったこともあって、この本部の食堂の料理はとてもレベルが高くて、僕らの毎朝の楽しみになっていた。
「『今日はWORLDの無情探偵が、あなたに会いに来るのでしょう? 一人で大丈夫ですか?』と、少女は冬期講習を休む心構えをしつつ訊ねた」
サラダをちびちび口に運びつつ、ブンちゃんが僕に訊ねた。
心配してくれているんだろう。
安心してもらえるよう、落ち着いた声音で返答する。
「大丈夫、安心して。WORLDでトップクラスの探偵だって言うし、緊張するけどね」
「『悲劇を愛する真性の奇人だそうですから、気をつけてくださいね。あなたと探偵ネームがかぶっていますし』と、少女は忠告する」
「あはは……確かに、無能探偵のままだったらややこしかったかな。それにしても、WORLDの探偵序列はトランプみたいで面白いよね。何だっけ……クラブはパワーが強いんだったかな?」
「『身体能力や戦闘能力に優れた
精神分析などの人証に優れた
現場検証などの物証に優れた
探偵としての総合力に長けた
以上の4つのカテゴリに分けられています』と、少女は記憶力がよわよわなリーダーに解説してあげた」
「たはは、ごめんごめん……確か、無情探偵の探偵序列は『
「『ええ。
「ブンちゃんがそばにいるし、僕は無理に覚えなくても良かったりして……」
「少女はジロリと抗議の眼差しを向ける」
「じょ、冗談だよ、冗談」
でも半分は本気。
僕の能力は視覚特化で、記憶力は良いとは言えない。
理想探偵としては、誰にも漏らせない本音のひとつだ。
僕のそんな弱気な考えがおかしいのか、僕の隣でプカプカ浮いている彩華ちゃんは、口元を手で隠し、笑いをこらえていた。
それから僕らは、食器とトレーをカウンターに返して、食堂をあとにした。
食堂のあとに向かうのは、食堂を出てすぐの資料室がお決まりとなっている。
毎朝資料が更新されるので、外に出る機会が少ない僕らにとって、貴重な情報源だからだ。
ブンちゃんと並んで白い通路を進み、『資料室』と書かれたプレートの貼られた部屋へ向かう。
朝食の時からずっと続いていた、ブンちゃんから僕への忠告も、遂に終わりを迎えようとしていた。
「『まったく……本当に用心はしてくださいね? 無情探偵は八ツ裂き公の信奉者だというウワサもあるのですから』と、少女は危機感のないリーダーを戒める」
「ありがとう、頼りないリーダーでごめんね。でも、相手が世界最高峰の探偵でも負けないよ。僕は仲間に恵まれた無能探偵にして、みんなを導くリーダー『理想探偵』だから」
「……分かってるならいいんです」
ブンちゃんは安堵した様子で微笑んでくれた。
その刹那――ゾワッと鳥肌が立って前方を見た。
資料室の扉が開き、純白の和装で全身を包み、目元以外の容姿を確認できない人物が出てきた。
そしてそのあとに続いて、白のスーツにサングラスで統一された、十五人の奇妙な集団も姿を現す。
探偵の名門『祝井家』と、祝井家の当主『機密探偵』だ。
「…………」
視界に入った僕らを気にも留めない様子で、機密探偵は無言のまま、僕らの横を通り過ぎていく。
機密探偵と行き交う間、ブンちゃんも僕も、一言も言葉を発せず、張り詰めた空気に息が詰まりそうだった。
「さしものキミも機密探偵の前ではたじろぐか」
彩華ちゃんの声で幾分か余裕を取り戻し、心の中で返事をする。
(僕と対立する『始祖探偵』派の筆頭ですからね。やはり、緊張しますよ)
探偵同盟は八ツ裂き公事件以来、八ツ裂き公事件の真相究明に励む僕ら『理想探偵』派と、社会全体の秩序を重視する『始祖探偵』派とで、完全に二分してしまった。
始祖探偵も、機密探偵も、八ツ裂き公事件を引き起こした“彼”に対するスタンスは同じ。
『事件の終息の象徴として、死なせなければならない。
――そのためなら“実験”も余儀なし』だ。
かつての社畜さんと同じ、迷いのない主張。
僕はその主張に、断固ノーを叩きつけ続けている。
八ツ裂き公事件は僕にとって、悲劇に囚われた“彼”を救えるかどうかの戦いになっているから。
彼らの主張を受け入れることなんて、絶対にできない。
「……行こう、ブンちゃん」
まだ強張ったままのブンちゃんの手をそっと握って、再び歩き出す。
昨夜の夢――手を繋いだ始祖探偵と彩華ちゃんの姿が頭をよぎり、胸が痛んだ。
あの夢の中では、確かに始祖探偵と『理想探偵』は盟友で。
二人の盟約は永遠に途切れないものと感じられた。
でも僕が誤ったのか、もっと以前からすれ違っていたのか、今では完全に道を違ってしまっている。
八ツ裂き公事件で繋がった僕らの絆も、いずれは途絶えてしまうのだろうか。
「キミなら大丈夫だよ、和都くん」
ブンちゃんと僕の手に、彩華ちゃんが自分の手を重ねた。
「キミは私たちにとって、理想そのものだ。キミが手を引いてくれている限り、私たちはその背中を追いかけ続けられる」
そうやって、また僕が一番聞きたかった言葉を語ってくれる彩華ちゃん。
あまりに都合が良すぎて、今目の前にいる彼女は僕自身が生み出した、自己愛が高じた幻覚なのではないかと思ってしまう。
「やれやれ……今日のキミのネガティブ坊やぶりには、流石の私も腹に据えかねるよ」
そんな僕の考えを読み取ったのか、彩華ちゃんはムッとした表情を浮かべ、鼻先が触れ合うほど僕に顔を近づけた。
「なら私からもひとつ、聞きたい言葉のリクエストをしよう。
キミが知るはずのない情報だ。今日が何の日か調べて、私に答えを聞かせてくれ」
それだけ言うと、彩華ちゃんはパッと姿を消してしまった。
残された僕は、資料室でブンちゃんと本を探しながら、今日が何の日かを考える。
「『1月6日と言えば、シャーロック・ホームズの誕生日ですが、それが何か?』と、少女は気に入った資料を手に取りつつ答えた」
「あ……」
そこで可能性に思い至り、すぐに探偵デバイスで武装さんに連絡をとった。
「武装さん、突然ごめんね。
今日ってもしかして、武装さんの妹の――」
そして僕は、家族以外が知るはずのない情報を得ることになった。
人と人との繋がりの多くは、擦れ違い、摩耗し、いずれ失われる。
それでも僕は信じたい。
死を持ってしても分かつことのできない絆もあるんだ、って。
――渋谷探偵 afterへと続く。
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