第9話 美食探偵 after

◆美食探偵 after


 夕闇の高速道路をバイクで走っていると、後ろに朱金ちゃんを乗せていた日々を思い出す。


 あの子もバイクが好きだから、よくドライブへ連れていくようせがんだ。


「山のてっぺんからよぅ、バイクでこう! ガーって駆け下りたら、スッゲー気持ちいいと思うんだよなぁ!」


 そう無邪気に語る朱金ちゃんを「それは危ないわ」と諭したっけ。


 正面から吹きつける強風も、今では思い出の呼び水。

 昨年のこの日、一緒に過ごした朱金ちゃんは、もう後ろにいない。


 いつまでも、過去の悲劇に引っ張られていけないのは分かってる。

 でも、せめて自分の誕生日くらいは、よく熟れたトマトみたいに甘酸っぱい思い出の中に浸りたかった。


 ――約束の時間までの、短い間だけ。


 夜闇を切り裂き続けること数時間、人気の少ない小規模のサービスエリアへと入った。


 駐車場を見渡し、約束通りの場所に停められた黒色の高級車を発見。

 その運転席側の隣にバイクを乗り付け、ヘルメットを取り、運転席を覗き込む。


 そこには今日の話し合いの相手――老紳士風の男、探偵紳士が座っていた。


 特徴的なナマズ髭を指で整えながら、探偵紳士は私に向けてウインクをする。


「グッド・イブニング、ミス・美食探偵。この場所は少々エレガントさに欠けるが、レディからのお誘いはいつでも歓迎だよ」


 そう言って探偵紳士が、棘のない薔薇を一輪差し出してきた。

 それを受け取って懐にしまい、微笑を返す。

 相変わらず、キザな人だわ。


「こんばんわ、紳士ちゃん。こんな場所でごめんなさいね、お互い他人の目が気になる立場でしょうから」


「ふふ、紳士は衆目など気にしないさ。まぁ不肖の弟子、科学探偵はまだ紳士レベルが低いから、適当にあしらってやっているが」


「科学ちゃんをかばってくれて助かるわ。何も知らないあの子が責任を問われる筋合いはないもの……いくら『博士探偵』の息子だからと言ってね」


 私の言葉を聞き、探偵紳士はナマズ髭をイジるのを止め、灰色の髪を掻きつつ溜め息を吐いた。


「まったく……愚かしさは父親譲りだよ。八ツ裂き公事件が、あの男が過去に残した禍根を元に生じたことなど、分かり切っていた。わざわざ関係者が足を運んだところで、悲劇を生むのは必然だろうに」


「そこまで分かっていながら、どうして科学ちゃんの参加を認めたの?」


「アイツの頑固ぶりは知っているだろう? 父親と同じだ、一度言い出したらテコでも動かない」


「それもそうね」


 探偵紳士と苦笑し合う。

 確かに、科学ちゃんの頑固さは私たちの中でも随一。

 いくら師匠の言うことでも、聞かなかったでしょうね。


「最近はまた『探偵同盟』本部に入り浸っているが、科学の奴は元気にしているか?」


「ええ、元気よ。博士探偵の潜伏地で見つけた新型のSPXの設計図を元に、新たな試作機を作っているわ」


「相変わらずの機械オタクっぷりだな。今度顔を出してやるかね」


「きっと喜ぶわよ。ずいぶんと心配していたから」


「心配?」


「『僕がいないと、失恋のたびに深酒する』って」


「あの小僧……顔を出す理由がひとつ増えたわ」


 そこで自然と会話が途切れた。


 探偵紳士は助手席側の窓を開くと、パイプを取り出し、中に煙草の葉を詰めて、ライターで火をつける。


 パイプと、探偵紳士の口から吹き出す白い煙が、吹き抜ける風に乗って、助手席側へと抜けていく。


「手間がかかる趣味を持っているのね」


「この歳になると、この手間が愛おしくなってくるんだ。キミも吸ってみるかい?」


「お誘いは嬉しいけど、煙草の味はあまり好きじゃないの」


 探偵紳士が助手席側の窓へと、煙草の煙を吐き出す。

 煙草の香りの中に混ざるのは、憐憫と、後悔の感情ニオイ


 煙草の香りで鼻がよく利かない中、風で乱れた髪を軽く整えつつ、本題を切り出した。


「ねぇ、紳士ちゃん。私たちはこれから、本気で博士探偵の行方を探っていくわ。あなたにも、その捜査の協力をお願いできないかしら?」


「レディからの頼みは、紳士としては無下にしたくないものだ」


 パイプを吹かしつつ、キザな笑みを浮かべる探偵紳士。

 でも、その目は笑ってはいない。


「だが、すまないね。私は探偵である前に、紳士なんだ。紳士は、常に優雅で、自由で、中立でなくてはならない……キミたちに肩入れはできないよ」


「たとえ博士探偵が、八ツ裂き公事件を引き起こした元凶の一人でも?」


「それでも、だ。もちろん、紳士の私はヤツの価値観など一切認めない。だが、ヤツもヤツなりに、世界を救おうと必死なんだろう」


 そう語る探偵紳士の表情からは、色んな感情が見て取れて、ウソをついているかどうか判断できない。


 彼と博士探偵が兄弟弟子だという情報は掴めた。

 でも、それ以上の情報は不自然なほどゼロ。


 恐らく、息子である科学ちゃんに対して行ったのと同様の、情報工作を施したのでしょうね。

 それだけ、隠したい何かがあるはずだわ。


「紳士ちゃんの信念は理解できたわ。でもどうして、そこまで紳士であろうとするの?」


「じゃあキミは、何故そこまで探偵として生きようとする?」


「それは……」


「生き方とは。信念とは。アイデンティティとは、言葉にしがたいものだよ。ただの狂人に思える博士探偵とて、それは同じさ。この世界は白と黒で切り分けられるほど、単純じゃない」


 探偵紳士がパイプの中の煙草を針状の道具でほぐし、運転席の灰皿の上で、パイプの底を指でトントン叩いた。


 するとパラパラと、灰がパイプから落ちていく。


「燃え尽きたあとの灰のように、世界は白とも、黒とも、言い難い色をしている。見る者によって、白だとも、黒だとも言えるんだ。いくら博士探偵が憎くとも、どちらか一方の色だと、決めてかかってはいけないよ」


「……ぐうの音も出ないわ」


 探偵紳士の主張を聞いて、少し反省する。

 確かに私たちは、博士探偵を悪だと決めつけ、断罪しようとしていた。


 まだ彼のことを、断片的にしか知らないというのにね。


「ごめんなさい、紳士ちゃん。少し視野が狭くなっていたのかもしれないわね」


「ふふ、感情的になったレディを受け止めるのも紳士の役目さ」


「だから……私に知る権利をくれないかしら」


 言っている意味がわからなかったのか、探偵紳士がキョトンとした顔をする。


「正しい判断を下すためには、まず知ることが寛容でしょう? 視野を広げるために、博士探偵の昔の話を知りたいの」


「やれやれ……結局、私から情報を引き出したいんじゃないか」


 呆れた様子の探偵紳士に、今度はこちらがウインクをした。


 悪だと決めてかかることがいけないのは、分かる。

 でも、だからって、ここで何も情報を得ないワケにはいかない。


 『理想探偵』の仲間として、多少強引な主張でも、探偵紳士を口説き落とさないとね。


「大丈夫。博士探偵だって私たちの情報は掴んでいるはず。中立でありたいと考えるなら、むしろ私たちにも情報を提供して然りのはずよ」


「めちゃくちゃな理論だ。ミス・美食探偵はもう少し大人だと思っていたが……案外子どもっぽい面もあるのだね」


「八ツ裂き公のおかげよ」


 正義に殉じようとして、八ツ裂き公に嗤われたことを思い出す。

 皮肉にもあの経験のおかげで、私はずっと自分を縛り付けていた使命感から開放されたんだって、今では感じている。


「紳士ちゃんの言う通り、主観に踊らされちゃダメだという意見は分かるわ。でも、やっぱり一番大切なのは……私自身の気持ち。私はどうしても、博士探偵に会って、過去の行いを問い詰めたいの」


「…………」


 探偵紳士はしばらく無言で私の顔を見つめると、ナマズ髭をイジりつつ、破顔した。


「私の負けだ。のちほどキミのデバイスに、私の知る博士探偵の過去を送るとしよう」


「ありがとう、紳士ちゃん。今度は中華街あたりでデートしましょうね」


「ふふ、今度と言わず、今夜はいかがかな? 実は、とっておきのお店を予約していてね」


「遠慮しておくわ。今日は、その……一人で過ごしたい気分なの」


「オーマイ……今宵も寂しく一人酒か。でも泣きはしないよ、私は紳士だからね」


 探偵紳士が探偵デバイスを取り出して、何やら操作した。


 本当に、どこかで食事の予約でもしていたのかしら?

 だとしたら少し申し訳ないわね。


 今度ちゃんと正式に、埋め合わせをしてあげようと思うわ、


「では、そろそろ行くとするよ。ただ最後に、私からのプレゼントだけでも、ぜひ受け取って欲しい」


「プレゼントって、何の?」


「もちろん、キミへの誕生日プレゼントさ。

 レディの誕生日は忘れない性分なんでね」


 そう言うと探偵紳士は、私の後方を指差し、車のエンジンをかけ始めた。


 指差された方を振り返って、呆気にとられてしまう。


「え……? どうして、ここに……?」


 サービスエリアから歩いてくる複数人の影。

 それは遠目からでも、私のよく知る“みんな”だと分かった。


 今日の話し合いのことは、誰にも言っていないのに。


「ミス・美食探偵。私は女性のウソを見抜くのが得意でね……一人で過ごしたいだなんて、ウソをついてはいけないよ。記念日はやはり、愛する者たちに囲まれて過ごすべきさ」


 それだけ言い残し、探偵紳士の車が去っていく。


 残された私は、駆け寄ってくる“みんな”を前にして、どうすることもできず、ただ呆けてしまっていた。


「オーホッホッホ、美食さん! 誕生日をワタクシたちに隠すなんて、お水くさいですわよ!」


「『水くさいの頭に〈お〉をつけないでください』と、少女はツッコミを入れた」


「アレ、師匠はどこに? たった今、美食さんとの会話が終わったって、デバイスで教えてくれたばかりなのに」


「美食どの! 今日くらい仕事のことは忘れて、みんなで楽しむのである!」


「ちゃんと僕たち全員、お休みをもらってきたので、安心してくださいね」


「みんな……」


 自然と涙が頬を伝っていた。


 朱金ちゃんのいない誕生日なんて、寂しくないはずがない。

 だけど、そんな未練がましい気持ち、誰にも打ち明けられなくて。


 自分に素直に生きると決めたのに、まだまだ私は、無理に大人ぶっていたみたい。


「朱金ちゃん……私はまだまだ、あなたのようにはなれそうにないわ」


 そうボソリとつぶやいた、次の瞬間――


「ほら。行ってこいよ、姐さん」


 夜風に混じって、そんな声が聞こえた気がした。

 夜風のせいか、背中を押されるような感覚を覚えつつ、バイクを降りてみんなの元へ向かう。


 確かに世界は、白と黒とで分けられるほど、単純ではないかもしれない。


 でも今の私には目の前にいる仲間たちが、夜闇を切り裂く朝日のように、白く輝いて見えるのだった。



 ――理想探偵 afterへと続く。


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