第8話 社畜探偵 after
真夜中にも関わらず、ノックしてすぐに扉が開き、魔界探偵は快く招き入れてくれた。
掃除の行き届いた廊下を抜け、リビングへと入り、促されるままテーブルへと座る。
麦畑とミステリー・サークルを模した絨毯には埃ひとつ見られず、彼の見た目に似合わない几帳面な性格がよく表れている。
「鮮血のごとく赤いワインか、豊穣神の加護を受けた麦酒か、どちらがいい?」
テーブルの奥のキッチンへと向かい、こちらに訊ねた魔界探偵。
彼特有の言い回しに苦笑しつつ、質問に答える。
「では、ワインをいただいてもいいですか? ビールは仕事柄、いつも飲んでいるので」
「フッ、流石は社畜探偵だな。では、まじないをかけるから、少し待っているといい」
魔界探偵は床下の保管庫からワインの瓶を取り出すと、キッチン棚のグラスを手に取り、軽くテイスティング。
その後、グラスから『デキャンタ』と呼ばれる大きなガラス容器へと持ち替え、そのグラスの内面を伝わせるように、静かに、丁寧にワインを注いでいく。
彼が普段から着ている改造
「相変わらず、見事なデキャンタージュですね」
「ワインは事件と似ている。手の込んだ年代物ほど、本当の姿を知るのが難しい……だが、だからこそ、向き合う価値がある」
デキャンタから二人分のグラスにワインを注ぎ、チーズの盛り合わせが乗った皿をテーブルへと置くと、魔界探偵は私と向かい合って座る。
「今日も遅くまで仕事だったのだろう? 取り敢えず、飲みながら話すとしよう」
「……はい。では、言葉に甘えて」
「乾杯」
グラスを手にして小さく会釈し合い、ワインを飲み始めた。
それから小一時間が経ち、デキャンタの中身が空になった頃。
私は少し顔の火照りを感じながらも、本題を口にする。
「魔界さん……実は、一緒になりたい女性と出会ったんです」
「それは僥倖だな。何をそこまで思い詰めている?」
「……家族を作るのが怖いんですよ」
僅かに残ったグラスの中の赤ワインへ視線を落とし、自分の過去を思い返す。
それだけで、胸が締め付けられたように、グッと痛んでしまう。
「私の過去は知っているでしょう?」
「ああ、鬼畜探偵時代だろう? よく知っているとも」
「私は、両の手で数え切れないほど人を殺してきました。そんな私が家族を得るなど、間違いだと思うんですよ」
「何故だ?」
「何故だ、って……」
言葉を返せず、黙り込む。
しかし、魔界探偵と目を合わせるように顔を上げて、ハッキリと語る。
「私は、多くの家庭の幸せを壊してきたんです。自分が家庭を持とうだなんて、思えるワケがありません」
「なら、私も同じだな」
「え?」
魔界探偵がワインを一口飲み、苦笑する。
「私も探偵として、多くの者を地獄の底に突き落とし、得られるはずの幸せを奪ってきた。お前が罪だというなら、私も当然裁かれるべきだろう」
「ま、魔界さんは違いますよ。だって、探偵として、正しい行いをしているだけじゃないですか」
「正しさとは何だ? 鬼畜探偵として、お前がなそうとしていたのも、当時のお前にとっては正しいことなのではないか?」
「それは、そうですけど……」
当時の私は、指導者である博士探偵の『探偵撲滅プロジェクト』に傾倒し、自分の行動が世界の平和になると、本気で信じていた。
多くの人死にを出した『明けぬ夜事件』の再来だけは防がなければならない。
それが、かつては国家の護衛役であった死崎の末裔としての、使命だと考えていたんだ。。
「結局、私は間違えていました。生きれば生きるほど、普通になろうとすればなろうとするほど、自分の身体には呪われた血が流れているんだと、そう実感してしまうんです」
「血のせいにするな、社畜探偵」
魔界探偵が鋭い眼光を私に向ける。
「私の友人にも、血に踊らされたと言って罪を犯した者がいる。だが、血液程度に踊らされるほど、人間は弱くないぞ。罪を犯すのは血液ではなく、血液を免罪符として理性を捨てる、その者の心だ」
「心……はは、一番自信がない部分ですね」
自嘲的に笑って、ワインを一気に飲み干した。
死崎の血は、アルコールのような毒素をほとんど殺してしまうから、相当な量を飲まないと酔っ払えないものの、多少思考はぼやつく。
自己嫌悪で眠れない時は、何も考えられないほど泥酔し、無理やり眠ることも少なくない。
こうした自分の弱さも、私は大嫌いだ。
「不安なんですよ。またいつか、自分の弱さに負けて罪を犯してしまわないか。その時に、身近な人たちに迷惑をかけてしまわないか。また家族を失ってしまわないか……不安で仕方ないんです」
「私も家族を失った身だ、その気持は分かる。だが、恐れてばかりいても、何も変わらない」
魔界探偵も小さく笑って、テーブルに飾られた写真立てを指差した。
その中の写真には、千葉ニーランドのマスコット『ネズミールさん』のカチューシャをつけた魔界探偵とおかっぱ髪の幼い女の子が、二人並んで写っている。
「最近、新たな家族を得て実感したのだ。ヒトは、一人では生きられない者だとな」
「怖く、ないんですか? また、家族を失ってしまわないか、って」
「怖いさ。だからこそ、強くあれる」
「怖いからこそ、強く?」
魔界探偵が強張った表情を和らげて、言葉を続ける。
「この国では妖怪が信じられ、恐れられていた。だが文明開化と共に、その存在が否定されただろう?」
「ええ。この国に限りませんが、未開拓の地を発展させていく上で、非科学的なオカルトはどんどん否定されていきましたよね」
「そうだ。確かに、恐怖は足を竦ませるかもしれん。だが、ヒトが怪異の恐怖に立ち向かって文化を発展させてきたように、恐怖は勇気を与えてくれるものでもある」
先ほど指差した写真立てを手にとり、穏やかな視線を向ける魔界探偵。
以前までの彼には、探偵業に疲れたのか、厭世的な面があった。
しかし、今では気力を取り戻し、目に輝きが戻っている。
「失いたくないから努力し、恐ろしいから戦える……そういうものだ。お前も、家族を作ってみれば、きっと分かる。まだ若いのだから、取り敢えずぶつかってみろ」
そう言って魔界探偵が、いつになく明るく破顔してみせた。
一度家族を失い、もう一度家族を得た彼の言葉だからこそ、強く胸を打つ。
『鬼畜探偵』と呼ばれた私でも、家族を得ていいのだろうか。
家族を守るために、もっと強くなれるのだろうか。
答えは分からないけれど――前に進み出そうと思う。
この呪われた血に、負けないために。
「ありがとうございます、魔界さん……最大限、努力します。とは言え、私はこんな暗い性格でモテないから、望んでも家族など得られないかもしれませんけどね」
「ふむ。ならば女性が喜ぶ酒と料理について、私なりに手ほどきしよう。グルメは人たらしの基本だからな」
「…………」
「何だ、その呆けた面は」
「いや、その……魔界さんがそういった分野の知識を語ることが、少し意外で」
「舐めてもらっては困るな。これでも若い頃は『トランシルヴァニアの金狼』などと、持て囃されていたんだぞ? 可愛い後輩のために、今一度だけ、狼へ戻ろう。まずは、初デートのディナーにピッタリな、ワインのレクチャーからだ」
そう言って、魔界探偵は一晩中、私に多くのアドバイスをしてくれた。
ずっと暗殺の技術を学び続けてきた。
裏稼業から足を洗い、表社会で働き始め、社会人としての生き方を学んだ。
そして今ようやく、一人の男としての生き方を学ぼうとしている。
魔界探偵のアドバイスを一字一句聞き漏らさないようメモを取りつつ、決心した。
私を“人間”にしてくれた、愛する彼女と、全力で向き合おう――と。
◆
「ボーッとして、どうしたの? 無能ちゃん」
美食さんに声をかけられてハッと我に返った。
周囲は、洋室風にデザインされたカフェの店内で、目の前には四人がけのテーブル、隣の席には美食さん。
昨日、社畜さんの家で見た残留思念の光景が、フラッシュバックしていたんだ。
最近多いから気をつけないといけない。
能力の成長は喜ばしいことだけど、振り回されては最悪だ。
「ごめんなさい、ちょっと船をこいでいました」
「最近がんばり過ぎなのだから、無理しちゃダメよン? 紅茶を飲んで、目を覚ますといいわ」
「そうします」
紅茶に砂糖を入れて混ぜていると、僕たちの席に幼い女の子が、しゃなりしゃなりと歩いてきた。
童話の世界から飛び出してきたような、フリフリの青いワンピースに、銀色の髪。
ブンちゃんよりも更に幼い顔立ち。
それに反して、どこか余裕のある、優雅な佇まい。
ウワサには聞いていたものの、本人を前にすると驚きを隠せない。
「あなたが『童話探偵』ですか?」
「察しがいい子だねぇ。アンタが理想探偵だろう? 会えて光栄だよ、ヒッヒッ」
可愛い声に似合わない老婆のような笑い方をしつつ、童話探偵が向かいの席へと座った。
童話探偵。
世界探偵組織『WORLD』の一員で、探偵序列は『ハートの
この外見で齢七十を超えているという、僕ら理想探偵と同じ『Q案件指定』の人物だ。
傍目には幼い少女にしか見えず、相手を油断させて何でも情報を聞き出してしまうという評判は、伊達じゃないと感じた。
「童話ちゃん、久しぶりね。飲み物を頼むけど、何がいいかしら?」
「流石は美食の嬢ちゃん、気が利くねぇ。じゃあイチゴオレを頼むよ、ミルクたっぷりでね」
童話探偵に警戒の色は見られない。
周囲に仲間の気配もなし。
約束通り、一人で来てくれたようだ。
「で、話ってのは何だい? とっとと本題に入っとくれよ」
「あなたたち『WORLD』への、社畜探偵の遺体の引き渡しについてです」
「あぁ、はいはい。悪いが譲歩するつもりはないよ」
すぐに届いたイチゴオレのカップに、大量の砂糖を入れつつ、童話探偵は続ける。
「私らからすれば、アンタたち探偵同盟は八ツ裂き公の情報を抱え込み過ぎている。八ツ裂き公の被害は、世界にも広がっているんだ。事件の元凶の一人とも言える社畜の坊やの遺体くらいは、譲ってもらわないとね」
「童話ちゃん、『明けぬ夜』の関係者のカマラスの身柄を引き渡すだけじゃダメなの? 手柄も情報も、全てあなたたちに譲るわ」
「カマラスの奴だって、アンタたちが情報を引き出したあとじゃないか。まぁ要するに、だ……アンタら探偵同盟は信頼できないんだよ」
童話探偵の黒い瞳が僕を見つめる。
まるで色んな絵の具を混ぜすぎて濁ったみたいなその瞳は、有無を言わせない力強さがあった。
「社畜の坊やは、生命力の強い死崎一門の出身だろう? 感電による心肺停止程度なら、のちに蘇生する可能性も否定できない。アンタたちが死を偽装し、追及を逃れていることだって考えられるさね」
「…………」
つい喉から出かけた反論を飲み込み、ゆっくりと息を吸う。
そんな僕を、美食さんが優しく見守ってくれている。
挑発が目的なのはミエミエだ。
ここで、交渉を破綻させてはいけない。
とっておきの情報を武器に、切り返す。
「……返す言葉もありませんよ。僕自身、探偵同盟は信頼に値しない組織だと考えていますからね」
「ヒッヒッヒッ、言うじゃないか! なら、どうするんだい? どう私たちを納得させるつもりだよ?」
「あなたたち『WORLD』に潜んだ、危険人物に関する情報を提供します」
「……ほう?」
興味深そうな顔で、イチゴオレを飲む童話探偵。
興味を引けたらしい。
ここから慎重に、こちらのペースへと乗せていく。
「華族探偵からお聞きだと思いますが、僕らは『探偵同盟』の前身である『機密警察』の調査をしています。その情報を追う内に、ひとつの可能性にたどり着いたんです」
「それはね、あなたたち『WORLD』の中に、『機密警察』のリーダーにして、八ツ裂き公を生んだ元凶とも言える存在、『博士探偵』が潜んでいるってことなの。童話ちゃんも、名前は聞いたことあるでしょう?」
「そりゃあ知っているさ。『WORLD』で使用されている機器にも、ヤツの技術提供があったって話だからね。だけど、何だってソイツがWORLDに?」
「これは、今まで調査してきた結果からの推測ですが、あの男は恐らく、まだ『探偵撲滅プロジェクト』を諦めてないんですよ」
初めて童話探偵の表情がピクリと僅かに強張った。
「……ほう? こちらが把握している情報では、博士探偵は最高の探偵を生み出そうとした結果、暴走して、計画は頓挫したはず……まだ何かするつもりなのかい?」
「博士探偵は昔から、世界を導けるほど至高の探偵を、人の手で作り出すことに執着しているようです。その野望が尽きることはないでしょう」
「まったく……しつこい男はモテないっていうのに、困った奴だねぇ」
童話探偵がヒッヒと笑って、イチゴオレを飲む。
しばらく無言の時間だけが過ぎていった。
それから童話探偵は、値踏みするような目を向けながら、再び口を開いた。
「……私らのメリットは分かった。で、本音はどうなのさね」
「本音、ですか?」
思いも寄らない質問に、つい呆気にとられてしまう。
ここまで、交渉のための言葉選びをしてきてはいるけれど、真実の偽装はしていない。
どういう意味だろうか。
「組織としての建前は分かった。でもアンタたちが動いているのは、それだけじゃないんだろう? アンタたち自身が公表した情報じゃないのさ……アンタたちは社畜の坊やの凶行の被害者だ、って。一度罪を告発した人間を、今度は守ろうとする意味は何だって言うのさ」
「……それは」
返事をしようとした僕を、美食さんが手で制して、代わりに答える。
「本音を言うと、私個人としては、社畜ちゃんのことは今でも許せていないわ。どんな事情があろうとも、私の大切なあの子の命を奪った相手なのだからね。でも、探偵同盟の『美食探偵』としては、話は別よ」
「はて? 美食探偵としては、とは?」
「今の探偵同盟の理念は、『協力』と『信頼』。たとえ罪を犯したとしても、『社畜探偵』は『探偵同盟』の仲間なの」
「そうは言うけど、社畜の坊やの罪を暴いたじゃないのさ」
「探偵の仕事は真実の追求なのだから、当然でしょう? 罪を暴いたことで、既に十分な裁きを受けたわ。これ以上制裁を加えようとする者がいるなら、私たちが守らなきゃね」
そう答える美食さんの目は真っ直ぐで、迷いがない。
その目を見つめて、童話探偵は満足げな微笑を返した。
「ヒッヒッヒッ、青いねぇ。まぶしすぎて、年寄りにはちょいと身体に毒だ。仲間同士の『信頼』……その気持ちを決して忘れるんじゃないよ」
一気にイチゴオレを飲み干すと、童話探偵が立ち上がり、会計用のレシートを手に取った。
「貸し一つだ、坊やたち。私にデータを送ってくれたら、WORLDのトップ『ジョーカー』に口添えしてあげるよ。その代わり、今度この国に来た時は、一等美味しいイチゴパフェを奢っとくれ」
「あ、ありがとうございます!!」
ついパッと立ち上がり、深々と頭を下げた。
そんな僕を見て、童話探偵が声を上げて笑う。
「ずっと冷静を装っていたのに、最後の最後で台無しじゃないか」
「あ……」
「いいさ、いいさ。社畜の坊やは知らない顔じゃないからね。アンタたちが心の根っこに熱いものを持っていると分かって、安心したよ」
手をヒラヒラさせながら、去っていく童話探偵。
その背中には、幼い少女の外見にはとても釣り合わない、不思議な貫禄がある。
世界には、まだまだスゴい探偵がいることを、改めて実感した。
「ふぅー……童話ちゃんとのお話は、流石に緊張するわン。味方になってくれそうで、よかったわね」
僕の隣で美食さんが深い溜め息をついた。
彼女がここまで疲れた様子を隠さないのは珍しい。
よほど緊張していたのだろう。
「これで、社畜さんとその家族が狙われることが、少なくなればいいんですけど」
「死崎一門の血の謎を紐解く貴重な手がかりだものね。今後も、理由をつけて狙われる可能性は拭えないわ」
「……これ以上、あのヒトたちに苦労はかけたくはありません」
社畜さんの家族に会いに行った時のことを思い出す。
首都圏から離れた閑静な住宅街の一角に建った、小さな二階建ての家。
そこで、社畜さんの奥さんは、3歳にもなっていない娘と共に暮らしていた。
奥さんの開口一番の言葉は、今でも忘れられない。
「社畜さんの奥さんは『夫の罪は全て公表してください』『離婚などもするつもりはありませんから、早急に』と言っていたんです」
「強いヒトよね。社畜ちゃんは何も伝えていなかったけど、察していたんだと思うわ」
――私は『四崎宗也』の妻です。
彼が罪を犯したなら、一緒に償っていくと決めていました。
それが、家族というものでしょう?
そんな力強い言葉に後押しされ、僕らは社畜さんの罪を全て公表した。
ただ同時に、罪を公表したことで遺された社畜さんの家族に被害がもたらされないよう、努力を続けている。
同じ『探偵同盟』の、仲間として。
「帰りに寄りたい場所があるんですけど、付き合ってもらってもですか?」
「あら? 寄り道なんて珍しいわね。何か欲しいものでもあるの?」
「ええ、実はワインをひとつ」
今日は社畜さんの誕生日だから、奥さんへプレゼントを贈ろうと思う。
贈るのは、社畜さんと奥さんが初めてデートした時の、思い出のワインだ。
そのワインの愛称は『マ・ビアン・ネメ』。
日本語に訳すと――『最愛の人』を意味する名前だった。
――美食探偵 afterへと続く。
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