第7話 魔界探偵 after

 月明かりが差さない夜闇の中、セーラー服の少女がゴミだらけの路地を走っていた。


 息を切らして走り続ける少女は、汗も涙も鼻水も垂れ流しで、今にも倒れかねない。


 何かによほど恐怖している様子で、時折後ろを振り返ながら、懸命に走り続けている。


 それも当然。

 振り返ったすぐ先では、黒いコートに中折れ帽――全身を漆黒に染めた大男が迫ってきているからだ。


 少女が地面を蹴る度に、砂利やガラス片が後方に飛び散る。

 後方に迫る大男は、それらを身に受けても痛みを知らないかのごとく、怯む様子がない。


 中折れ帽の下の男の顔に息を切らす様子はなく、釣り上がった口元からは、獲物を前にした野獣のようにヨダレが垂れていた。


 まさに醜悪の一言。

 少女の中にかつてない恐怖と不快感が湧き上がる。


 少女は塾に遅刻しそうなので路地裏で近道を図ったところ、狙われただけ。

 なぜ自分が追われているかなど知る由もない。


 それでも、男に追いつかれたら助からないだろうことは、本能的に理解していた。


「……見つけましたよ」


 前方から声が聞こえて、ハッと顔を上げる。

 するとすぐ前方、路地の真ん中に、自分と同じようにセーラー服を着た女の子が立っていることに気付いた。


「逃げて!!」


 反射的に叫んだ。

 自分と同じような格好の女の子がいれば、餌食になってしまうことは想像にかたくない。


 自分と同じ恐怖を抱いて欲しくない。

 そんな想いが、死の恐怖を僅かに上回ったのだ。


 しかし、前方の女の子は顔色ひとつ変えず、後方を指差して語る。


「この先に私の仲間がいるので、合流してください」


 意味が分からない。

 ただ、女の子からは不思議な自信が感じられ、自然と指示に従おうと思えた。


 女の子の隣を過ぎ去りながらも、様子を気にしつつ走る。

 通さないと言わんばかりに、大男の前に立ち塞がる女の子。


 少女より一回り小さく、小学生にも思える体躯にも関わらず、その背中はやけに大きく見えた。


 そして遂に、女の子と大男が衝突する。

 少女は直視できず、つい目を背けてしまった。


 暗がりの通路に響く――肉が地面に叩きつけられる音。


 つい足を止めてしまった少女は、恐る恐る後ろを振り返る。

 視界に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。


「かっ……ぁ……」


 帽子を失った大男が、路地を挟む壁面に顔をぶつけ、両膝をついている。

 男の顔がぶつかった箇所の周りには、大量の血飛沫。


 対して女の子はケロリとしており、少女と目が合うと、掌をしっしっと振って早く行くよう促した。


「伊草流逮捕術『煉獄水仙』……衝撃を相手にそっくりお返しする技です。

 自分の殺意を噛み締めた気分はどうですか?

 


 女の子の言葉に大男がビクリと反応する。

 それから壁に手を着いて立ち上がり、地面に落ちていた帽子をひろって、浅黒いスキンヘッドへとかぶせた。


 その鼻からは未だに血が垂れ続けているものの、気にする様子はない。


「その名前で呼ばれるのは久しぶりですよ、お嬢さん。十年以上前に捨てた名前なのですが……どこかでお会いしましたか?」


「身内が世話になりましてね。お礼参りに伺わなければと思って、探し続けていたんです」


「ほぅ、その方の名前を伺っても?」


「エヴァンス=ヘルシング……私の父です」


「ヘルシング……? カカ、カカカカカ! あの男の娘ぇ? 皆殺しにしたはずでしたが、生き残りがいたんですかァ? 素晴らしいィ!」


 少女はルゴシと呼ばれた男の異変に気付いた。

 大笑いして肌を紅潮させるに従って、ルゴシの鼻から垂れていた血が、ピタリと止まったのだ。


 出血量に対して不可解な回復の速さ。

 笑い声の不気味さも相まって、少女は全身が鳥肌立った。


 一方でルゴシと相対する女の子は、冷たい顔のまま指でチョイチョイと「かかってこい」と挑発する。


「御託はいいので早くかかってきてください。私が何者でも、あなたは襲ってくるでしょう?」


「当然……!」


 ルゴシは女の子にジワジワにじり寄っていく。

 先ほど衝撃を利用されたことを警戒し、力でねじ伏せようという魂胆だろう。


 狂気的なようでいて、冷静で狡猾。

 ただの狂人ではないことを思い知り、少女は息を呑んだ。


「ワタシをこの狭い国に追いやった男の忘れ形見……アア、その血はどれほど甘美な味わいでしょう。早く吸わせてください。喉が渇いて渇いて渇いて渇いて仕方ありませんよ」


 女の子は徐々に距離を縮めてくるルゴシと睨み合いつつ、ツマラナイと言った様子で溜め息をつく。


「死崎一族に近い血液を持ち、お父さんが逃したほどの大犯罪者。どんな策を講じてくるかと思ったら……予想通りすぎて退屈ですね。老いとは怖いものです」


「強がりですか? 華奢なあなたは、組み伏せられれば終わりでしょう。さぁ、どうするんです?」


「……私もあなたのように、特殊な体質を持っていましてね。一度観たものを決して忘れないんですよ」


 女の子は左手と左足を前に出して、武道らしい構えをとった。

 途端に、それまでゆるやかだった彼女のまとう空気が、肌がひりつくほど険しく変化する。


 ハッタリではない、確かな“武人”の空気である。


「その私が半年間、本気で武道の技を“観”て覚えました。その意味が分からないほど、バカじゃないでしょう?」


「……ふふ、ハッタリを」


 言いつつルゴシが僅かに後じさった。

 その瞬間、女の子が一歩でルゴシの懐に潜り込む。


「なっ――」


 ルゴシが反応する隙もなく、女の子は竜巻のごとく一転。


落葉らくよう


 巨体が回転に巻き込まれ、竜巻の外へ弾き飛ばされた。

 ルゴシは先ほどと同様に、壁面に顔から突っ込んでいく。


 路地裏に響く、肉が壁面に叩きつけられる音。

 ルゴシは再び鼻血をあふれさせながらも、立ち上がろうと壁に手をつけた。


 常人なら身動きがとれない重症だが、この男には関係がない。


「高濃度の血液による超回復、予想通りですね。ビリビリくんを借りてきて、正解でしたよ」


 しかし、女の子が懐からウサギ型の拳銃を取り出して、注射針のようなものを発射した。


 針を背中に受けた途端、ルゴシの全身がビクンと痙攣。

 ルゴシの手は力なく、垂れ下がることとなった。


「さて、ヘブン=A=ヘルシングの私事はお終い。ここからは、文学探偵の仕事として対処します」


 女の子は立ち尽くしていた少女へと向き直り、お辞儀をひとつして微笑みかける。


「『もう大丈夫ですよ。この文学探偵が、あなたを守ります』と、少女は柔和に微笑みかけた」


    ◆


 その後、駆けつけた華族探偵に説教を受けながらも、文学探偵は反省の色ひとつ見せずにいた。


 路地裏に華族探偵の子犬じみた声がキャンキャン響き渡る。


「カマラスの居場所が分かったからと言って先走らないようにと、何度も言ったじゃありませんの!? 本当に、馬の耳にゲンコツなんですから!」


「『それを言うなら念仏です。いきなり動物虐待を始めないでください』と、少女は冷静にツッコんだ」


「何でもよろしいですわ! 本当に、心配したんですのよ!」


 がなり立てる華族探偵の前に武装探偵が割って入って、落ち着くよう促した。

 この三人で行動した際には、よく見られる光景である。


「まぁまぁ。因縁の相手と一人で決着をつけたい……その想いは我にも分かるのだ。許してやってくれ」


「死んでしまったら許すも何もありませんわ! これ以上仲間を失うなんて、ワタクシは絶対にイヤですからね……!」


「あ……」


 華族探偵の目に涙が浮かんでいることに気付き、文学探偵は茶化すのをやめ、真剣に頭を下げた。

 仲間を失いたくないという気持ちは、彼女もよく分かるからだ。


「『……ごめんなさい。心配してくれて、ありがとうございます』と、少女は素直に謝罪と感謝を述べた」


「もう……分かればよろしいのですわ。ともかく、ようやっと『明けぬ夜』のメンバーを捕まえられたのですしね」


「うむ! この半年間で、最も大きな一歩なのだ!」


 地面に突っ伏し、後ろ手に手錠をかけられた状態のルゴシ=カマラス。


 既に意識を取り戻していて、周囲をキョロキョロと観察し、明らかに逃走の隙を伺っている。

 しかし、そのすぐそばに武装探偵が立ち、儚い希望を打ち砕いた。


「カマラスどの、観念するのだ。おぬしは十分に逃げ続けたであろう……罪を償う時がきたのである」


「カカカカ……! 罪を償えですって? イヤですねぇ!」


「である!?」


 思いもよらぬ言葉に仰天した武装探偵をよそに、ルゴシは愉しげに言葉を続ける。


「ワタシには生まれつき、吸血衝動がありました……必死に耐えてきましたが、ある日気付いたのです! 我慢なんてしちゃダメだと! 生まれついてのこの体質は、天命! 他人の血を吸ってでも生きなくてはならないと、吹っ切れられたのです!」


「『吹っ切れたから悪いのですよ』と、少女は言った」


 武装探偵の隣に立つ文学探偵が、ルゴシの言葉を遮った。


「『あなたに似た特殊体質の持ち主も、あなた以上に過酷な運命の担い手も、友達を守るために殺人鬼となった女性も、私は知っています。彼らもあなたのように、自身の運命に苦しみ、罪を犯しました。ですが……』ですが!」


 拳を固く握りしめて、文学探偵は彼女自らの言葉で続ける。


「彼らは罪に悩み、苦しみながらも、必死に生きていました! ルゴシ=カマラス、あなたには罪と向き合ってもらいます! 天国のお父さんも、そう望んでいるはずです!」


 そんな文学探偵の言葉を受けても、ルゴシに響いた様子はなかった。

 怪訝そうに首をかしげ、文学探偵を見つめて舌なめずりをする。


「おバカさんですねぇ……悩むくらいなら罪なんて犯さなければいいんですよ。ワタシは後悔しません。今のワタシが望むのは贖罪ではなく、新たな食材グルメ! そう、アナタですよ、文学探偵!」


「庶民らしい浅はかな考えですわね。そのようなザ・庶民だから、『明けぬ夜』のお仲間からも見放されるのですわ」


「何……? まさか、ワタシの潜伏先をバラしたのは……」


「『八ツ裂き公ですよ。よほど、嫌われていたようですね』と、少女は半分嫌がらせで告げた」


 ルゴシの表情に影が差す。

 徐々にその顔が赤みを帯びて、コメカミに太い血管が浮かび上がった。


「『組織内での呼び名は〈再血リローデッド〉。明けぬ夜事件の折に組織へ転がり込んで以来、暗殺の仕事を請け負うものの、命令違反の殺人を繰り返した結果、昨年とうとう組織を更迭される。現在は外国人労働者に扮し、潜伏中……』」


「『征福者グッドラック』の小僧め……これだから、たかが殺しに美学を語るガキは嫌いなんですよ」


 一瞬苦々しい表情を浮かべたルゴシであったが、すぐにニヤつき顔に戻って、観念した様子で語る。


「まぁよいでしょう。潜伏生活も疲れてきたところですし、監獄暮らしも悪くありません。この国の監獄ならば、悪いようにはされませんしねぇ」


「何を呑気なことをおっしゃっていますの? 国際指名手配犯のあなたが、この国の監獄に入れると思いまして?」


 華族探偵はニヤリと笑って、懐から一枚の書類を取り出した。

 そこには、細かな文面が印字され、仰々しい組織印が捺されている。


「あなたの身柄を確保した場合は引き渡すよう、国際探偵組織『WORLD』と契約を交わしておりますわ。然るべき場所で、然るべき裁きを受けなさい」


 華族探偵の言葉で、ルゴシの顔が青ざめた。

 『理想探偵』という抑止力がいない国外では、『明けぬ夜』の関係者がどのような扱いを受けるか、想像もつかない。


 ただ少なくとも、彼の罪に相応の報いを受けることは間違いないだろう。


「『これで、WORLDと交わしたも果たされます。社畜探偵の奥さんたちも安心ですね』と、少女は安堵する」


「ええ。『明けぬ夜』の関係者を引き渡すのは痛手ですが、幾分か優位に立ち回りやすくなるでしょう。まだまだ課題は山積みですけどね」


 その時、月明かりが路地裏へと差し込んだ。

 いつの間にか、夜空の雲は晴れて、キレイな三日月が浮かんでいる。

 もう一人の父が眠る異国の地にも、この月明かりは届いているだろうか。


 きっと彼が生きていたら「魔女が小躍りしそうな月だ」なんて言うなと考えて、文学探偵は一人笑いをこらえた。


「……仇は討ったよ、お父さん」


 「明けない夜はない」などとクサいセリフを吐く気はない。

 ただ、いくら光を見失ったとしても、こうして顔を上げている限り、新たな光を見つけられるかもしれないことは確かだ。


 ――私は生きていくんだ。

 この新しい“かぞく”たちと共に。


「さて、狙われた女性はツナオが自宅へ送り届けましたし、あとは本部の到着を待つだけですわね。もうお腹がポコポコですわ」


「『それを言うならペコペコ……あの、わざとやっていますか?』と、少女はツッコミ待ちと思しき女性を睨みつけた」


「ハァ!? ポコポコはペコペコの強調系だと、ツナオが言っておりましたわよ!?」


「ハッハッハッ! 我も腹がポンポコポンである! 本部に寄って、無能どのと美食どのの料理をご馳走になろう!」


 仲間たちと会話する文学探偵の顔には――彼女自身も気付かない内に、自然と笑顔が浮かんでいた。


 家族を二度失った彼女は、今三度、大切な家族を得たのだ。


 ――社畜探偵 afterへと続く。

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