第6話 被虐探偵 after

 部屋全体が真っ白なビニール製のクッション材で覆われた部屋。

 扉は溶接済みで、大人の膝くらいの高さに設けられた、新聞受けよりはマシだと思える小さな小窓しか、外界との繋がりがない。


 両手両足は突起が一切ないゴム製の拘束具で包まれ、できることと言えば、芋虫みたいに這って歩くことくらいだ。


 初めは退屈しのぎに這い回ったりしてみたものの、今は体力の無駄だと理解し、日がな一日思索に耽り続けている。


 考えることはいつも同じ。

 過去の自分の行いについて。


 今から十年以上も前。

 三つ目の家族を失った僕は、気付けばカビくさい牢獄の中にいた。

 そこでは、毎日のように命懸けの試練に挑まされ、一緒に牢獄内にいた人々は次々と姿を消し、毎日生きるので精一杯で。


 減っていく仲間と、増えていく傷痕に苦しみながらも、脅威を感知可能な自分の体質に気付けたおかげで、何とか生きながらえ続けた。


 そんな中、親友と呼べるような子が四人できた。

 試練から生還し続けていた僕らの間には友情が芽生え、五人で協力して施設から脱出しようと考えていた。


 仲間の内の一人は、僕を『お兄ちゃん』と呼んでくれる子もいて……本当の妹を亡くしていた僕は、その子を命懸けで守ろうとしたことをよく覚えている。


「……まぁその子は僕をかばって、首を斬り落とされちゃったんだけどさ」


 バリウムみたいに真っ白な天井を見上げて、ぼそりとつぶやく。

 もはや誰も僕の言葉に耳など傾けないというのに――


「――その子って、誰? 詳しく聞かせてくれないかな」


 聞き慣れた声がして、小窓へと視線を移した。


 ああ、そうだ。

 まだ一人だけ、僕と向き合おうとする変な奴がいる。


「こっそり盗み聞きだなんて、すっかり探偵だね。無能探偵って呼ばれていた頃が懐かしいよ、理想探偵」


「偶然聞いちゃっただけだから許してよ。もちろん、話したくないなら話さなくていいしさ」


 コンコンとノック音がして、小窓が開く。

 小窓にいつも通り、ペースト状の料理の入ったトレーが置かれた。


 壁にもたれかかるようにして、何とか膝立ちの状態になり、口でトレーを引き寄せ、腕に乗せる。


 本当ならわざとひっくり返して台無しにしてやりたい。

 でもそうなると、この探偵は料理がもう一度できるまで退散せず、多忙のくせして小窓の前に居座り続けることは、何度も経験済み。


 結局、関わりを最低限にしたいなら、大人しく料理を受け取るしかないんだ。


「相変わらず、侘しい料理でごめんね。一応、改善は頼んでいるんだけどさ」


「固形物は自殺を図れるし、脱走にも利用できるから、仕方ないでしょ? むしろ僕みたいな凶悪犯に、毎日食事が出ることの方が意外だよ」


「人権は守られるべきだ。例えばキミが、八ツ裂き公であってもね」


「ひひひ……本当に、お人好しだなぁ」


 反吐が出る。

 思えば、初めて出会った時から、この男はずっとそうだ。


 自分が疑われている状況で、周囲を信じるから自分を疑うよう言ったり。

 毒ガスの充満した部屋で、犬美さんに手を差し伸べたり。


 誰かを救うために自分を顧みない。

 まさしく『理想探偵』という役を演じるのに相応しい人物。


 だからこそ気に入らず。だからこそ……まぶしい。


「料理は受け取ったよ。早く仕事に戻ったら?」


「キミが食べるのを見届けるよ。餓死してしまったら、大変だからね」


「僕なら餓死しそうになっても平気だって、前に話したでしょ? 3番目の家族に監禁されたけど、1ヶ月は平気だったかな。細胞が休眠状態に入って自衛するんだ……困っちゃうよね」


「そんな状態、見たくない」


「はいはい、冗談だってば。僕だって、意識がない状態でキミたちに身を委ねるほど、バカじゃないよ」


 小窓の横の壁に背中を預けて座り、トレーを膝の上に置き、ペースト状の料理の注がれたくぼみに口をつける。


 真っ赤なペーストは、トマトとミルクの味がして、今までの残飯と比べたら多少マシな味がした。


 犬みたいな食べ方にも大分慣れて、口元が汚れなくなったし、昔味わった数々の地獄と比べれば天国だ。


「食べながらでいいから聞いてくれない?」


 壁越しに声が聞こえてきた。

 声の大きさからして、壁の向こうの彼も僕と同じように、背中合わせになっているのかもしれない。


 いつも通り僕が返事をしないのも無視で、彼は話を続ける。


「僕しか顔を見せられなくてごめんよ。今の立場も、キミの能力をダシに『僕が運ぶのが最も安全』って主張して、何とか押し通したものだから」


 勝手なことを言う。

 僕と顔を合わせたい物好きなんて、キミくらいなものじゃないか。


 僕を信じてくれていたヒトたちに、どんな顔をして会えって言うんだよ。


「今世界は、凄まじい勢いで変わりつつある。キミの処遇を全世界が注目しているんだ。キミとその能力を手に入れようと、様々な組織の思惑が交錯しているよ」


 笑みがこぼれかけた。予想していた通りの事態だ。


 八ツ裂き公事件の目的は、『探偵同盟』という抑止力の排除と、世界規模の混乱を生むこと。

 理想探偵の後継者が現れたことで前者は失敗に終わったものの、後者は十分に達成できた。


 あとは、僕の意志を継ぐ者たちが、きっと世界を変えていってくれる。


「でも安心してよ。キミのことは僕たち探偵で守るから。誰にもキミの能力を悪用なんてさせないし、これ以上キミに八ツ裂き公を演じさせたりしない」


 何様のつもりだよ。

 僕がどれほどの悲劇を味わったかも知らないで、勝手なことばかり言う。


 八ツ裂き公は演じたワケじゃない。

 八ツ裂き公は、僕自身。僕という悲劇そのものなんだ。


「……キミの心に最も大きな傷痕を残したのは、脱走時に女の子を守り切れなかったことだろう?」


「……は?」


 思わず声が出てしまった。

 すぐにカマをかけられたかと思って、口をつぐむ。


 あの子の死自体は、どこかの記録に残っているかもしれない。

 でも、僕があの子を妹のように大切にしていたことも、僕がかばい切れなかったことも、知りようのない話だ。


「誤魔化さなくていいよ。改めてあの島の地下を調べた時に、理想探偵としての能力で見えたんだ。キミの過去の、ほんの一部だけだけどね」


「バカげてる。理想探偵が予知じみた能力を持つことは僕だって知っているけど、過去まで見通せるなんてありえない」


「でも事実だ。その女の子は、よほど強い想いを遺して亡くなったみたいだからね……僕にはハッキリと見えたよ。死んでいった女の子が、息絶える瞬間まで、キミに感謝し続ける光景が」


「ウソだ……」


 かぶりを振りながらつぶやく。

 死んだヒトの想いを知ることができる能力なんて、ありえない。


「キミは罪悪感を抱き続けているかもしれない。でもあの子が死の間際に願ったのは、キミの幸せだったよ」


「嘘を付くな……! 僕は信じない……! 信じないぞ! そんな夢みたいな能力、あってたまるか!」


「キミがそれを言うかな……僕がキミの主張に負けずにいられたのも、このチカラのおかげだよ。僕にはハッキリと、息絶える間際の感情が観てとれるんだ」


「やめろってば!!!!」


 たまらず叫んだ。

 耳をふさいで、言葉を拒絶する。


 今までずっと、死にたがっているヒトたちを救ってきた。

 もしかしたら死んでいった彼ら、彼女たちが、今際の際に後悔したんじゃないかと思ったことは、当然ある。


 それでも、僕は自分の主張を信じ続けた。

 これからも信じ続ける。信じ続ける他にない。


「ひひ……ひひひっ! 僕に能力のことをバラしちゃってよかったのかなァ? 僕が外部との連絡手段を持ってるって思わないのかい? キミの能力を仲間に伝えて、対策を練らせることだってできるんだよ!?」


「やってみればいいさ。『トリックがある』という事実をいくら知られたところで、肝心な種さえ未解明なら、どうということはないからね」


 即答とは。

 この半年ほどで、随分と口達者になった。


 いや、度胸がついたと言うべきかな。

 どんどん理想探偵に近づいてきている印象で、危機感は強まる一方だ。


 彼なら本当に、世界を変えていってくれるかもしれない。


「ひひ、それにしても皮肉だよねぇ……『無能』を自称していたキミは、その実、『理想探偵』の後継者になるほど才能にあふれていたんだからさ」


「キミの言う通り、僕には才能があったかもしれない。でもキミも知っての通り、才能は生き方を縛るものでもある。僕は理想探偵として生きる道を選んだ代わりに、無能探偵として自由に生きる道を閉ざしてしまった」


「知らない方が幸せだった……なんてことは、いくらでもあるよ。だから僕は、無遠慮に真実を暴く探偵を嫌悪するんだ」


 もしかしたら僕だって、探偵同盟の裏側を知らず、探偵に憧れたままでいられたら、八ツ裂き公にならずに済んだかもしれない。


 好奇心は猫を殺すとは、よく言ったものだ。


「理想探偵。キミには同情するよ、嫌み抜きでさ」


 壁越しに苦笑する声が聞こえてきた。

 それから、僅かな沈黙のあと、言葉が続く。


「キミが社畜さんを死に追い込んだのも、彼の過去の罪を知ったからなんだろう?」


 ドキリとした。

 そこまで把握しているとは。

 過去が観られるというのは、本当なのかもしれない。


 でも、できる限り反応は示さずに、平然とした声で答える。


「いいや? あのヒトは、あのままじゃ悲劇へ一直線だと思ったから、ひとつの道筋を示してあげただけだよ」


 そうさ。関係ない。

 確かに、僕が探偵を目指すきっかけになったヒトだし、尊敬していた。彼が僕の人生を狂わせた張本人だと知って、それなりに恨んだりもした。でも彼を導いたのは、八ツ裂き公として必要な行為だったからだ。


 私情で動いたりしていない。

 僕は彼を殺してなど、いないんだ。


「……そうか。僕が観た光景は、あくまで僕しか知り得ない幻影みたいなものだから、追及はしない。でも、これだけは読んでみてくれないかな」


 小窓からヒラヒラと、僕の頭の上に一枚の紙が舞い降りた。


 腕の上に落として内容を確認してみると、それは――


「社畜さんの遺書……!? ビリビリに破れていたはずじゃ!?」


 間違いなく、僕が見つけて即座に破り捨てた遺書だった。

 復元不可能なくらい破り捨てたはずなのに、どうしてここに?


「すべての紙片がようやく見つかってね。科学くんとブンちゃんが修復してくれたもののコピーだよ。キミに向けた言葉もあるから、読んでみて欲しい」


「社畜さんが、僕に……?」


 言われて文章を読み進めていく。

 ほとんどは、よく自慢していた奥さんや娘への言葉で占められている。


 しかし後半から、探偵同盟のメンバーに向けた謝罪が始まり、その最後は『被虐探偵くんへ』という言葉に始まる、メッセージが綴られていた。


 ――被虐探偵くんへ。


 何を書いても、キミは私を許さないだろう。

 許してもらえるとも思っていない。

 許しを乞えるほど、私の罪は軽くない。


 でも、これだけは、言わせて欲しいんだ。


 どうか生きてくれ。

 そして探偵として、もっと多くのヒトを救って欲しい。


 かつて死を望んで生きていたキミの姿に、私は自分を重ねた。

 だから放っておけず、キミを探偵の道に引きずり込んだ。

 その無責任な行動が、新たな悲劇を生んだのかもしれない。


 でも私は確かに、キミの中に夜明けを観た。

 キミに救われた一人として、キミには生き続けて欲しいんだ。


 ……って、このような遺書を残して逝く者の言葉では、説得力がないよね。

 最期まで情けない先輩でごめんよ。


 僅かな時間でも、探偵として同じ道を歩めたことを、誇りに思う。


 さようなら。

 どうかキミに、夜明けがあらんことを――


「……何だよ、それ」


 読み終えたと同時に、手紙を破り捨てようと思った。

 でもバカらしくなって、空になったトレーの上に乗せ、小窓へと突き返す。


 その瞬間、窓の向こうの探偵と目が合った。

 以前と変わらず、濁りのない水晶のような瞳に見つめられ、つい動けなくなった。


「少しは心が揺らいだかな?」


「キミ……先代の理想探偵みたいに、どんどん性格が悪くなってきているね」


「いい探偵になってきた証拠だって思っておくよ」


 以前のままの優しげな微笑をたたえて、探偵は言葉を続ける。


「キミがいくら拒絶したとしても、僕はキミの元を訪れる。あの日キミに語った通り、無能だった僕だからこそ分かるんだ。人は誰にだって輝けるものがある。信じ続ければ、きっと道は開くって」


「何度来たって、僕の心は揺れ動かない。何度でも否定するよ。信じ続けられるヒトばかりじゃない。キミの理想は、ヒトを壊してしまうってね」


「自らを壊すよりはずっと良いさ。何度壊れたって、人間は立ち上がれるんだから」


「いいや。立ち上がっても苦しむなら、倒れ続けた方がいいね。キミが思っているより、ずっとずっとヒトは弱いんだよ」


「そうかもしれない。でも、諦めたくない。信じたいんだ。キミが思っているよりも少しだけ、人は強くて、悲劇を覆せるんだって」


 小窓越しにしばらく見つめ合ったあと、僕はトレーを無理矢理に押し付けて、再び壁へともたれかかった。


「ハァ……キミと話していると話が平行線で疲れるよ。僕らは真逆の立ち位置にいる。一生噛み合わないんだから、早くトレーを持ってどこかへ行ってくれ」


「……僕はそうは思わないよ。より多くの人が幸せになる道を追い求めている点じゃ、同じじゃないか」


 カチャカチャとトレーを片付ける音が聞こえたあと、小窓越しにそっと――


「じゃあね、くん。また明日」


 半年ぶりに探偵としての名前を呼ばれた。


 音を消しきれていない、半端な足音が遠のいていく。

 気配が完全に途絶えると同時に、青雲のような天井を見上げながら、僕は一人つぶやいた。


「僕にとって最大の悲劇は……キミとの出会いだよ、無能くん」


 ――『魔界探偵 after』へ続く

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