第12話 欠格者

夜の町、明かりの届かない暗がりを、ジェフリーが駆ける。

 道を走っているのか、屋根を跳んでいるのか・・・。

 ただ、ただ、逃げ出したかった。


「抱きしめているわ、ずっと・・・」


 彼女の声が耳から離れない。

 愛していた。

 大切だった。

 人生を共にしたいと思っていた。


 それを・・・

 それを・・・


 俺ガ・・・殺シタ


「違う!違う!違う!」

 狂ったように首を振る。

 途端、足がもつれて屋根から落ちる。

 派手な音を立てて、身体が石畳の路地へと叩き付けられた。

 衝撃に息がつまって、身体が痺れるが、不思議と痛みはそれほど感じない。


 裏路地だったとはいえ、音を聞きつけて人が出て来た。

「おい、人が倒れているぞ」

「ちょっとお兄さん、大丈夫?」

 心配する女の声に、ジェフリーは顔を上げた。


 途端「ひいっ!」と、女が息を飲む。

「あ、あんた、眼!・・・眼がっ!」

 女が悲鳴を上げた瞬間、ジェフリーはその喉元に歯を立てた。

 驚いた顔を貼り付けたまま、どこの誰とも知らない女が崩れ落ちる。


「うわあああっ!化け物っ!」

 見ていた男が叫んだ。

 それも追いすがって、狩る。

 その場に居た者全てを狩り取って、ジェフリーはまた走った。


 自分が何をしているのか、分からない。

 それでも、身体が軽くなったのが分かる。

 さっきよりも早く走れるのが分かる。


 でも

 でも

 どうすればいい?

 どこへ行けばいい?


 助けて!

 助けて!

 助けて!!



 屋根から屋根へ、がむしゃらに跳んでいたジェフリーの真正面に、ふいに何かが出現した。

 え・・・人?

 と、思った時、思いっきり腹を蹴飛ばされる。


「がっ!」

 身体を折り曲げた格好のまま吹っ飛んだジェフリーは、どこかの屋上らしき場所へと落下した。

「がはっ!」

 ジェフリーの口から、血の塊が吐き出される。

 蹴られた腹がひどく痛んだ。さっき、屋根から地面に落ちた時は、さほど痛みを感じなかったのに・・・。


「よぉ、ずいぶんと派手に狩ってるじゃねぇか、兄ちゃん」

 荒々しい声に、ジェフリーは倒れたまま、うっすらと目を開く。

 若い男が三人ほど立っていた。揃って労働者風のなりをしている。

 だが、その三人の顔を見た時、ジェフリーは息を呑んだ。

 眼が朱色に光っていたのだ。


「ヴァン・・・パイア」

 ジェフリーの呟きに、男たちが笑い出した。

「ああ?てめぇもそうだろうが、何言って・・・」

 ジェフリーを蹴った男が、ふと笑いを止めて、ジイッと凝視してくる。

 その視線に嫌なものを感じたジェフリーは、何とか半身を起こして、後ずさる。


「・・・はぁん、てめぇ半熟者はんじゅくしゃだな」

 半熟者。

 聞き覚えのある言葉に、ジェフリーは男たちを見上げた。

 三人の男たちのリーダー格なのだろう、その男は、さっきとは違う種類の笑みを浮かべて、ジェフリーとの間をつめる。


「半熟者なのに一人たぁ・・・もしかしてお前も見捨てられたクチか?」

 見捨てられた?

 ハッとジェフリーは目を大きく見開く。


 見捨てられた?

 俺は・・・見捨てられたのか?

 だからあんなにも簡単に、スウェイの屋敷を脱出できたのか?

「面倒な事になると思うよ」

 スウェイの言葉が、胸に蘇る。

 身体がガクガクと震えだす。


 俺は・・・この先も・・・ずっと一人なのか・・・?


「・・・おい、お前、大丈夫か?」

 真っ青になって震えるジェフリーに、男が手を差し出そうとした、その時。

 男とジェフリーの間に、飛び込んだ黒い影があった。

「チッ!」

 舌打ちと共に、男は後ろへ跳んで距離を取る。



「・・・変化が早すぎるぞ貴様。手のかかるクソガキめ・・・」

 辛辣しんらつな少女の声が、ジェフリーの耳に届いた。


 弱々しい月明かりも届かない、建物の影のなか、かせ糸のように結った黒い髪、襟の詰まった黒い服、黒タイツに黒ブーツ。

 腰に下げたエプロンの紐の蝶結びだけが、目に刺さるように白い。

 その小さな後姿が、少しだけ振り返る。

 切れ長の眼が、朱色に光っていた。


「・・・シャラ!」

 呼ばれて、少女は軽く頷くと、ジェフリーを庇うように立って、三人の男を見据えた。

 そうしてゆっくりと腰をかがめて、片膝を付き頭を下げる。

 男たちが、たじろぐ気配がした。

 シャラがおもむろに口を開く。


「・・・いずれのご盟主めいしゅにお仕えされる方々かは存じませぬが、私はこれなる半熟者の先達せんだつにございます。無謀な狩りにてご身辺をお騒がせ致したる愚行ぐこう、まことに申し訳なき事ではございますが、どうかこの私に免じて、ご容赦を頂ければ幸甚こうじんに存じ上げます・・・」


 丁重ていちょうな謝罪に、三人の男は面食らった様子を見せたが、下手したてに出ていると分かって、小馬鹿にするような態度を取り始める。

「ご容赦だとよ」

「さぁて、どうするかねぇ・・・許せって言われてもなぁ・・・」

「あんたのご盟主とやらに来てもらって、一緒に膝付いてくれりゃぁ、幸甚ってやつじゃぁねぇの?」

 男たちがいっせいに笑った。


 平伏したまま嘲笑を浴びていたシャラの手が、ゆっくりと動く。

 結い上げた髪に差してある銀のかんざしに、そっと触れた。


「儀は通した。・・・それにかなわなかった己の愚劣を呪いやがれ、このクソ野郎ども」

 冷静な口調はそのままだが、慇懃いんぎんだった言葉とは打って変わっての悪態に、男たちの笑いがピタリと止まった。

 簪の先端に触れたシャラの指から、赤い血が流れる。

 それを高く空へと振り上げると、散った血が朱色に輝き、ひとつの紋様を描き出す。


 ジェフリーは目を見張った。

 あの崖で、スウェイが見せたものと同じだった。

 スウェイが描いたのが、炎のような鳥だったのに対し、シャラは小さい鳥と花を描く。

 五弁の花びらのある花は、シャラの簪に付いている花の細工と同じようだ。


 あかく光る花と小鳥の紋様から、長い棒のようなものが現れ、シャラの手の中へと落ちた。

 立ち上がった少女よりも、はるかに長いその棒の先には刃物が光っている。

「槍・・・か?」

 いや、それとは少し違うようだと、ジェフリーは思った。

 それを目にした男たちの顔色が変わる。


「は、雑魚ざこじゃ無ぇって事かよ・・・!」

 言いながら、リーダー格の男が力強く拳を握り込んだ。

 その手の中にあった何かを、シャラに向かって投げつける。

 いくつもの小さな朱い光の玉が、弾丸のように飛んでくるのが見えた。


「うわっ!」

 思わずジェフリーは、両腕を上げて頭を庇う。

 しかしそれは、ジェフリーの身体を貫く前に、シャラの手にあった柄の長い武器によって振り落とされる。

 落ちた弾は、屋上の煉瓦れんがに赤黒い染みを作った。


「え?血・・・か?」

 点々と作られた染みを見て、ジェフリーが言う。

 シャラの顔が、みるみると嫌悪のそれに変わった。

「紋章が出ない。・・・欠格者か!」

 リーダー格の男が、口が裂けるかと思うような笑みを浮かべる。

 ジェフリーは全身が総毛立つのを感じた。


「貴様、そこを動くなよ」

 振り返ったシャラが、ジェフリーに言う。

 いや、動けと言われても無理だから・・・と、ジェフリーは胸のうちで返事をする。

 身体がすくんでしまって、ここから逃げ出したくても、足ひとつ動かせない。


「だったらどーだって言うんだよ、姉ちゃん」

「武器を持ってるったって、こっちは三人だぜ?」

「てめぇを狩って、そこのガキをもらって行くさ」

 男たちはそう威勢を張りながら、シャラとジェフリーを囲むような位置へと動いた。


「・・・ほざけ、クズ共が・・・」

 呟いたシャラの眼が、一段と朱く光輝く。

 次の瞬間、彼女の武器を持っていない左手から、朱い光が筋を引いて飛び出し、左側に立っていた男を絡め取る。

 それは細い鎖だった。

「うわっ!」

 男はたちまち朱い鎖に身体を巻かれて、身動きが取れなくなる。


 残りの男二人が、絡め取られて倒れこんだ仲間に気を取られた刹那、シャラは右側に立っていた男の間合いへと跳び込み、その柄の長い武器で男の胴をいだ。

 男の胴体はまっ二つに分かれて、声を上げる間も無くかき消える。


「てめぇっ!」

 残った正面のリーダー格の男が、声と共に再び拳を握る。

 だが、その拳が開かれる前に、男の胸にシャラの武器が突き刺さった。

 右側の男を斬ったその位置から、シャラが武器を投じたのだ。

「がっ・・・!」

 シャラの武器は、男の胸を貫いて串刺したまま、刃先は屋上の床に刺さっていて、男は倒れる事もできない。

 男は口から血を吐き出しながら、自分の胸から突き出る柄を握って。抜こうとこころみているようだが、それも時間の問題だった。

 やがて男の身体が、足元から蒸発するように消えて行く。

「くそおぉぉぉっ!」

 断末魔の叫びだけを残して、リーダー格の男の身体は消え失せた。


 シャラは顔色ひとつ変えずに、ゆっくりとした足取りで、刺さったままの自分の武器を取りに行く。

 そして、朱色の鎖に巻かれて転がっている。最後の一人に近づいた。

 身動きのできない男は、仲間二人がまたたく間に消えるのを目の当たりにして、恐怖で全身を震わせていた。


「た、助けてくれ・・・見逃してくれ・・・頼む・・・」

 自分の身体の半分ほどしかない小さな少女に、男は必死で命乞いをする。

「もう、もうこの町には来ない、遠くへ行く。だっ、だからっ、お願・・・」

 言葉の終わりを待たず、シャラは抵抗できない男に武器を突き立てた。

 必死の表情を貼り付けたまま、男の身体は霧散する。


 三人の男と対峙して、ほんの数分。

 その場には彼らの何ひとつ残されず、霧か煙のように消えて無くなっていた。

 ジェフリーは座り込んだまま、呆然として黒い少女を見上げる。


 結い上げた髪を一筋も乱さず、シャラは事も無げに膝の汚れを軽くはたいていた。

「・・・帰るぞ、クソガキ」

 言われてジェフリーは、小さな後ろ姿を見つめた。

 帰る・・・?

 帰るって・・・?

 振り向いた少女の眼は、真っ黒に戻っていた。


「貴様が居るべき場所へ帰るぞ」

 シャラがジェフリーへ手を差し出す。

 ジェフリーは目を見開いて、その小さな手を取った。

 すると、ギュッと強く握り返される。

 ジェフリーの目から涙が一筋、まっすぐに頬を伝った。


 涙と共に、感情がこぼれ落ちる。

「う・・・っ」

 ジェフリーは声を上げて泣いた。

 シャラはただ黙って、その手を握り続けていた。


To be continued.

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