第13話 新しい服

 その夜のうちに、ジェフリーはシャラとあのスウェイの屋敷へと戻った。

「やあ、お帰り」

 相変わらずの美麗な微笑みで、スウェイが二人を出迎える。

「とりあえず着替えておいで。それからお茶でも飲みながら、話を聞こうか」

 促されるまま、ジェフリーは昨日使っていた部屋へと入った。


 半信半疑でクロゼットを開けると、昨日は入っていなかった新品の服が掛かっていた。

 着てみると、袖丈も裾もぴったりとジェフリーに合っている。

 部屋の外ではシャラが待っていて、案内をしてくれた。


 小さめのダイニングルームに、スウェイが居た。

 服を着替えたジェフリーに何を言う事もなく、ただ穏やかに微笑んで、向かい合わせの席を勧める。

 ジェフリーが席に座ると、シャラが手際良く茶器を並べ始めた。


「あんた、俺が帰って来るって思ってたのか?」

 ジェフリーの問いに、スウェイはお茶を一口飲んでから答えた。

「君の居場所はここしか無いからね」

 フルーツケーキが載った菓子皿が、ジェフリーの前に置かれる。


「俺は見捨てられたのかと思った・・・」

 目の前の菓子皿を見つめながら、ジェフリーが呟いた。

 スウェイが少し驚いたような顔をしてから、その視線をシャラへと移す。

「欠格者どもと遭遇致しました」

 シャラの返答にスウェイはうなずいて、ジェフリーへと向き直った。


「君を黙って家に帰したのは、その方が変化を自覚しやすいと考えたからだよ。だからずっと、シャラに監視をさせていた」

「え・・・」

 ジェフリーは固い声を返して、テーブルの脇に控えるシャラを見る。


「・・・まさかこんなに早く変化するとはね・・・。目覚めてわずか2日足らずで人を狩れる程になるとは予想外だったよ」

 スウェイの言葉に、ジェフリーはシャラを見据えたまま、椅子から立ち上がった。

 シャラがゆっくりとジェフリーを見上げる。


「・・・安心しろ、あの娘と老人は物盗りに殺されたように細工をした。貴様があの部屋に来たのを知る者は・・・」

 シャラの胸倉を、ジェフリーが掴んだ。

「・・・どうして・・・」

 声を絞り出す。

 胸倉を掴まれたシャラの身体が浮き上がった。

「見ていたのなら、何で止めなかったんだよっ!デイジアが死んで行くのを、お前はただ見ていたのかっ!」

 怒りにふるえて、ジェフリーが叫ぶ。

 それを受け止めて、シャラは表情を変えずに静かに言った。


「変化が早かった。本来なら人を狩れる段階では無かったはずだった。貴様とて狩ろうと思って狩った訳ではあるまい?・・・もし、私が止めに入ったとして、あの場をどうするのだ?あの娘にヴァンパイアである事を知られたら、どっちにしろ生かしておけはしなかった。貴様が狩らなければ私が狩った。・・・そういう事だ」


 あ・・・。

 忘れたくても忘れられない感覚が、ジェフリーの中に蘇る。


 柔らかいデイジアの耳元に口付けた時、何かが・・・温かくて心地よい何かが自分の身体に流れ込むのを感じた。

 それは渇ききった喉に流し込む清水のような、甘露かんろとも言うべき潤い。

 止められなかった。

 止めたく・・・なかった・・・。


 胸倉を掴んでいたジェフリーの手が緩んで、宙に浮いていたシャラの足が床に着いた。

 力が抜けたように、ジェフリーはシャラから手を離す。

「・・・あの老人って、親父さんか?・・・殺したのか?」

 アパート兼ホテルの家主の老爺ろうやだ。

 ジェフリーは親しみを込めて、「親父さん」と呼んでいた。


「親父さんは何も悪くなかった!俺と話をしていただけなのに!」

「悪かったのは運だ。あの老人では無い」

「お前っ!」

 たまらずに、ジェフリーはシャラの顔めがけて拳を振り上げる。

 だがそれは、小さな少女の手のひらに、いとも簡単に遮られた。


「あの部屋を出てから何人狩った?自分の姿を見た者らを片っ端から狩っていただろう?あの者らとて、何の罪もありはしない。たまさか、貴様というヴァンパイアに行き会ってしまっただけだ」

 夜の闇よりも黒い瞳が、まっすぐにジェフリーを見上げる。

「狩って渇きが癒えただろう?身体が軽くなっただろう?・・・もう貴様はれっきとしたヴァンパイアだ」


 避けられた拳を震えるほど握り締めて、ジェフリーは唇を噛んだ。

 どこにも持って行きようの無い気持ちが、身体の中に渦巻いているのを感じる。

 けれど・・・。


「・・・なあ、俺がもし、あんたらに頼らずに一人で何とかする・・・って言ったらどうなる?」

 ジェフリーは自分の拳を見つめたまま、静かに問う。

 シャラが口を開きかけたのを、スウェイが軽く手を振って止めた。


「今のままで君を放したら、君は欠格者となってしまうね」

「欠格者って、あの男たちの事か?」

 ジェフリーはスウェイを見た。スウェイが頷く。

「欠格者とは、半熟者はんじゅくしゃのまま盟主めいしゅの元を離れた者たちの成れの果てだ。盟約者めいやくしゃになりきれず、処分もされずに放り出された、もしくは自分から出て行った者たちだよ」

 訳が分からないという表情を満面に貼り付けているジェフリーを、スウェイはクスリと笑った。


「見てごらん」

 スウェイはテーブルにあったケーキを切るナイフを取ると、自分の手のひらに刃を滑らせる。

「な、何するんだよ!」

 驚くジェフリーをよそに、スウェイは手のひらから滴る血を、床に落とした。

 すると血が濃い赤に輝き、落ちた床に大きな紋様を描き出す。

 浮かび上がった、炎のように燃える鳥は、あの崖で見たものと同じだ。

 よく見ると、その大きな鳥の周囲の複雑な模様は、花のようだ。

 そう言えばシャラも、花と鳥の紋様を夜空に浮かばせていた。


不死鳥フェニックス

「え・・・」

「私の紋章だよ。紋章はヴァンパイアの個体にひとつ。紋章を見れば何者かが分かる」

 不死鳥フェニックスは炎の中で何度も蘇る、永遠の命を持つと言う火の鳥だ。

 それは大きく華麗で、スウェイらしいとジェフリーは思った。


「紋章は盟約者、もしくは盟主である証だ。正統なヴァンパイアたる証でもある」

「正統なヴァンパイアって、何だよ?」

「人を狩り、人をかてとするヴァンパイアだ」

 スウェイの返答に、ジェフリーは目を丸くする。


「じゃあ・・・あの男たちは・・・」

「欠格者は人を狩らずに・・・ヴァンパイアを狩る。奴らはヴァンパイアの血でのみ、渇きを癒す事ができるのだ」

 ゾクリとジェフリーの背中を寒気が走った。

「てめぇを狩って、そこのガキをもらって行くさ」

 あの男たちの言葉を思い出す。

 自分を連れ去って・・・あの欠格者たちはどうするつもりだったのか・・・。


 スウェイが紋章の上に手をかざすと、紋章は手のひらに吸い込まれるように消えた。

 さっき切った傷はすでに出血も無く、彼の手のひらに一筋の跡を残すのみだ。

 その手をテーブルの上で組んで、スウェイはジェフリーを見る。


「・・・選択は君に任せるよ。欠格者となる道を選ぶなら、それも君の道だ」

 その言葉により驚いたのは、ジェフリーよりもシャラのようだった。

「ご、ご主人様・・・!」

 恐らく、めったにスウェイに口出ししないだろうシャラが、うろたえているのが分かる。

「ただし、欠格者となって私の前に現れた時は・・・全力で狩るよ」

 スウェイの整った顔に笑みが浮かぶ。

 それは火の鳥の紋章とは裏腹の、見る者を凍らせる微笑。


 全力で狩る。

 スウェイが・・・このヴァンパイアが狩ると言うというのなら、自分など一瞬で消えるのだろう。

 シャラが、あの男たちに対してそうであったように、一片の情けをかける事もなく。


 ジェフリーはスウェイから視線を外した。

「・・・少し考えさせてくれ」

 シャラがこっちを見ているのを知っていたが、ジェフリーは出されたお茶に手も付けずに、部屋を出て行った。


 閉じられた扉に向かって、スウェイが呟く。

「なかなか面白いねぇ・・・」

 シャラは黙って、スウェイのカップにお茶を注いだ。

「・・・シャラ、かまわないから言ってごらん」

 威儀を正したシャラは、

「ご主人様のおぼし召しに、私が何か申し上げようはずはございません」

 いつもの平坦な表情のまま、抑揚無く言う。


 だがスウェイはそれに頷かず、じっとシャラを見ている。

 根負けしたように、シャラが息をついた。

「それが私の、700年変わらぬまことでございます。・・・ですから今、動揺している自分に驚愕きょうがく致しております」

 表情も口調も変えずに答えるシャラに、スウェイは声を上げて笑った。

「お前を動揺させるなんて、ジェフリーも大したものだね」


 ひとしきり笑って、スウェイはまた、ジェフリーが出て行った扉を見た。

「大したものだよ・・・」

 確かめるように言葉を重ねて、スウェイはカップを口に運ぶ。

 シャラは主人のその様子をチラリと見たが、それだけで、静かにワゴンの脇に控えていた。



 翌朝、シャラはジェフリーの部屋へ行った。

 ノックしても返事の無い扉を開く。


 部屋はガランとして、誰も居ない。

 ベッドも整えた時のままで、使われていなかった。


 シャラはひとつ、大きく溜め息をつく。

 だが、表情ひとつ変える事もなく、扉を閉めた。



 そしていつもの通り、朝のお茶の準備をして、スウェイが待つダイニングルームへ向かう。

「おはようございます。お茶をお持ち致しました」

 扉を開けて、頭を下げた。


「あ、俺、朝はシナモン入りのミルクティにして」


 その声に、ハッとシャラは顔を上げる。

 スウェイの向かい側に座ったジェフリーが、椅子の背もたれに手をかけて、こっちを振り向いていた。


「それとさ、昨日出してくれたフルーツケーキ残ってないの?」

「・・・黙れクソガキ。貴様は庭の噴水でも飲んでいやがれ、この阿呆が」

 シャラは平坦な表情で、抑揚無く言い捨てる。


 いつもと変わらない美麗な微笑みを浮かべて、スウェイがふたりを見ていた。



To be continued.

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