第10話 眩暈(めまい)


 翌日の午後、ジェフリーは家に訪れた警察から事情聴取を受けた。


 5日間どこに居たのか、という質問には、

「記憶が曖昧だが、誰かの屋敷で養生させてもらっていた」

 と、だけ答えた。


 そして、馬車が襲われた当日の夜の事を聞かれる。

 これにもジェフリーは「記憶が無い」と繰り返しながらも、自分とパットナムを拳銃で撃った男の特徴だけははっきりと答える。

「顔に大きな切り傷のある若い男」と。


 その言葉に、長椅子に浅く腰掛けていた若い私服刑事は、脇に立つ年嵩としかさの制服警官と視線を交わした。

 それをジェフリーが見逃さずに、

「この男がどうかしたんですか?」

 と、逆に質問する。


「いえ何でもありません。・・・他に何か思い出す事はありませんか?」

 私服刑事は、質問には答えない。

 だろうな・・・と、ジェフリーは心の内で呟く。

 だから、

「刑事さん、週末強盗とは違うんですか?木曜日だったのに、私の馬車は襲われた」

 と、問いを重ねる。

「週末強盗というのは、あくまで新聞が書きたてている事ですから・・・」

 刑事はそう言って、再び警官と目を合わせる。警官がたしなめるように首を振った。

 出されていたお茶を口にしながら、ジェフリーは目の端でそのやり取りを見ていた。


「ジェフリーさん、お体の具合が悪い時にお邪魔しました。とにかくご無事で良かった」

 これ以上は情報が取れないと察したか、年若い刑事はにこやかに長椅子から立ち上がる。

「いえ、こちらこそ・・・大してお役に立てず申し訳ありません」

 刑事と握手を交わしながら、ジェフリーは恐縮する素振りをした。



 部屋を出て行く刑事たちを見送って、ジェフリーは椅子に身体を投げ出した。

 襟元をゆるめて息をつく。


 事件の夜の記憶は、鮮明に残っている。

 それを全て話さなかったのは、この5日間の事を詳しく聞かれたくなかったからだ。

 事件のショックで記憶が曖昧になっているというていを通せば、こちらが被害者である以上、無理強いはされないと考えたのだ。


 あの屋敷の事は忘れてしまいたい。

 スウェイの奇行を黙殺する代わりに、二度と関わりたくない。

 そう思っていた。


 椅子の背もたれに首を預けて、天井を見上げる。

 あくまで新聞が書きたてている事だと、あの刑事は言った。

 だからそれは、週末では無かったのに週末強盗が出た、という事だ。

 つまり・・・顔に刃物傷がある若い男が、週末強盗なのだ。


 馬車が崖に落ちた現場で、若い男の死体が見つかっている。

 それが、あの刃物傷の男ではないかと思ったが、どうやら違うようだ。

「おいっ!やべぇぞ、誰か来る!」

 あの時、そう言った仲間らしき男が居た。

 恐らく、そう叫んだ男が馬車を操っていて、暗い山道を駆け上がるのに手綱をさばき損ねて、崖を落ちたのだろう。

 刃物傷の男は、飛び降りたかどうかして難を逃れ、きっと今も生きているのだ。


「頭撃た無ぇと、やっぱ一発でるのは難しいよなぁ。あと何発で死ねるかなぁ?」

 男が発した言葉を思い出す。


 ふと、おかしいと気づく。

 頭を避けて撃っていた・・・のか?

 なぜ?殺すのならば、頭を狙うのが確実だ。

 それができる状況だったのに、どうして?


「・・・そうか。顔を傷つけないためか・・・」

 その答えに行き当たって、ジェフリーは背筋にゾクリとする寒気を感じた。

 頭を撃てば、場合によっては顔を激しく損傷する。それを避けたのだ。

 その死体がジェフリー=ウィルトンに間違い無いと、誰の目にも明らかにしたい、という意図だ。

 恐らくそれは、この計略を謀った者からの指示。

 週末強盗がジェフリーを殺そうとしたのではなく、ジェフリーを殺すために週末強盗が起きていたのだ。


 だとするのなら・・・自分がこうして生きている事を知れば、あの男はまたきっと命を狙いに来る。

「は・・・だったら殺される前に殺すだけだ」

 言って、ジェフリーは口を押さえる。

「俺は・・・何を?」

 殺すと言った?

 命を狙われるのは怖い。けれど自分から殺すだなんて・・・。


「お茶のお代わりをお持ちしました」

 その声に、ジェフリーはビクッと全身を震わせて、振り返った。

 茶器を持ったマーチンが、ジェフリーを見て驚いた顔をする。


「ジェフリー様・・・目が・・・随分と赤く・・・」

「えっ・・・」

 マーチンの言葉に固い声を返して、ジェフリーは壁に掛かっている鏡に飛びついた。


 映っている自分の目は、いつもと変わらない深みのある緑色。

 ただ、かなり充血して赤くはなっていたが。


「目薬をご用意致しましょうか?」

 マーチンの申し出に、力が抜けたように首を振って、

「・・・いや、大丈夫だ」

 と、答える。そして、

「昨夜、ずっと字を見ていたせいだろう。心配は無い」

 と、付け加えた。

 また、「医者を呼ぶ」などと言われたく無い。


 すると、なぜかマーチンは申し訳無さそうに、頭を下げた。

「これは・・・ご不自由をおかけ致しました。ランプの油が足りなかったのではありませんか?」

「油?」

「はい。ジェフリー様が夜遅くまでお勉強される時は、いつもランプの換えをお持ち致しておりましたのに、昨夜は行き届きませず、大変申し訳ございませんでした・・・」

 マーチンのびは、ジェフリーの耳を通り過ぎる。


 ランプの・・・油?

 そう言えば昨夜、ランプを点けただろうか・・・?

 いやまさか・・・あんな細い月明かりだけで、字が読めるはずが・・・。


 マーチンは、用意した新しいカップにお茶を注ぐ。

 その脇に、大きめに切られたサンドケーキが置かれた。

「そろそろ午後のお茶の時間でございますので・・・」

 ジェフリーの視線に気づいて、マーチンが口を開く。

「よろしければホールでお持ち致します。他にもスコーン、サンドイッチなどご用意してございますので、お申し付け下されば・・・」

「あ、いや。さっき昼食を食べたばかりだし・・・」

 ジェフリーが言うと、マーチンは表情を曇らせる。


「そうはおっしゃいましてもジェフリー様、昨夜は何も召し上がらず、ご朝食もご昼食も、ほとんど手をお付けになられなかったではありませんか。・・・差し出がましいとは存じますが、もう少しお召し上がりになりませんと・・・」

 目を見開く。

 食べて無い?・・・いや、でも腹は減ってない。

 喉だけはいやに渇くが、空腹では無い。


 だが、言われてジェフリーは思い返す。

 確か朝食は、オートミールと果物をひと口、ふた口。

 昼食は・・・何をどれだけ口に入れたのかさえ、覚えていない。


 心配顔のマーチンに、ジェフリーは笑顔を作った。

「どうにも食欲が出なくて・・・。そうだな、甘いものなら食べられるかもしれない」

 椅子に座り直す若い主人を、マーチンは少し表情を緩めて頷いた。

「さようでございますとも。少しずつでもお身体を戻して行かれなければ・・・」

 言いながらマーチンは、ジェフリーから視線を外さない。

 ちゃんと食べるかどうかを、見届けるつもりのようだ。

 仕方なくジェフリーは、ケーキを口に運ぶ。


 ラズベリージャムの香りと酸味、クリームの甘味、美味しいと感じる。

 けれどなぜだろう・・・これ以上欲しいとは思わない。

 満腹のあとに、無理やり食べるデザートのようだ。


 ・・・あの、スウェイの屋敷で食べたサンドケーキは、ふた切れも食べた。

 空腹が満たされる満足感が、確かにあった。

 なのに・・・なぜ?


 ひと口食べただけでは、マーチンを下がらせるには至らないらしい。

 ジェフリーは無理やり、次のひと欠けを口に入れる。

 皿のケーキが残り半分になった頃、マーチンはやっと部屋を出て行った。

 その後もジェフリーは何とか頑張って、大きなケーキを食べ終わらせる。

 最期はお茶で流し込んで、やっと皿を空にした。


 深いため息をつく。

 こんな事が続くのかと思うと、気が狂いそうになる。

 いっそ医者に診せて、病気とでも言われた方が楽になるかもしれない。


 けれど、それが怖い。

 怖くてたまらない。

 医者が自分を診察して・・・どういう反応をするかと・・思うだけで・・・。


「ぐ・・・」

 涙が出る。

 怖い・・・怖い・・・怖い・・・。


 大丈夫だと背中をさすってほしい。

 心配無いと手を握ってほしい。

 ただ、何も聞かずに抱きしめてほしい。


 家に帰って来たのに・・・

 自分の場所に戻って来たのに・・・

 ジェフリーは両手で顔を押さえて、声を殺して泣いた。


 孤独だった。

 どうしようもなく、孤独だった。


To be continued.

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