第9話 暗い部屋



 ジェフリーは呆然とした。

 5日?・・・5日も経っている?

 まさか・・・そんな・・・。


「・・・新聞。今日の新聞を持って来てくれ」


 程なくして差し出された新聞の日付欄を、ジェフリーは食い入るように見つめる。

 確かに5日後の日付だった。

 新聞を手にしたまま、ジェフリーは崩れるように椅子に座る。


 5日間も眠っていたのか?

 目が覚めたのは今日だ。だから一晩しか経っていないと思っていた。

 5日もの間、飲まず食わずでずっと眠っている事なんて、できるのだろうか?

 それとも、5日間の記憶が無くなってしまったのか?

 訳が分からず、ジェフリーは頭を抱え込んだ。


 「君はまだヴァンパイアとして固まっていない、半熟者はんじゅくしゃなのだよ」

 スウェイの声が蘇る。


「あの・・・ジェフリー様」

 そんなジェフリーに、マーチンがおずおずと言葉をかける。

「お体の具合がお悪いのですか?お医者様をお呼び致しましょうか?」

 ビクリと、ジェフリーの身体が震えた。

「医者なんか呼ばなくていい!」

 居間に響き渡る大声に、マーチンも、言ったジェフリーも驚く。


「・・・あ・・・」

 我に返って、ジェフリーは頭を振った。

「すまない・・・大丈夫だ、医者は必要無い」

 そうは言ったが、マーチンは心配そうな・・・いや、不審な視線を向けたままだ。

「悪かった、マーチン。俺はどうも頭が混乱しているようだ。・・・パットナムが死んだなんて知らなかったから。家で待っているとばかり思っていたから・・・」

 言いながら、ジェフリーはかすかな罪悪感を覚える。

 動揺している理由は・・・別の事だ。


 だがその言葉で、マーチンの視線は憐憫れんびんのそれと変わる。

「さようでございましょうとも・・・ご無理も無い事でございます・・・」

 うんうんと何度も頷くマーチンを、視界の端に入れながら、嘘では無いと、ジェフリーは自分に言い聞かせる。


 とにかく落ちついて、頭の中を整理しないと・・・。

 ジェフリーはそう思いながら、手にした新聞に書かれた自分の名前に目を留めた。

『馬車で襲われたジェフリー・L=ウィルトン氏は、いまだ消息不明。犯人側からの身代金要求も無く、警察は誘拐と死亡の両面で捜索を行っているが、有力な情報は得られていない』

 記事はそう書かれていた。


 あの夜から5日も経過していれば、警察も動いているはずだ。

 馬車で襲われた、とあるが、崖から馬車が落下した事故とは見なかったのか?

 確かに襲撃されているのだが、それを知っているのは自分だけでは無いのか?

 それに、行方不明の自分がこうして家に帰って来たとなれば、警察の聴取を受けなければならないだろう。

 5日もどこで何をしていたのか、話さなければならなくなる・・・。

 ジェフリーは少し考えてから、顔を上げた。


「マーチン、俺は部屋で休む。今夜は誰が来ても取り次がないでくれ。全て明日以降に改めるよう伝えてほしい」

「かしこまりました。お食事はいかがなさいますか?」

「食事はいらないから、お茶を部屋に。その時、俺が留守中に届いた新聞と手紙、来客のリストも一緒に持って来てくれ」

 冷静さを取り戻した主人に、安堵の表情を見せたマーチンは、

「かしこまりました」

 と、頭を下げてきびすを返す。


「・・・あ、マーチン」

 それをジェフリーが呼び止めた。

「この裏の祖父さんの山に、屋敷なんか建っていたかな?」

「屋敷・・・で、ございますか?」

 マーチンは軽く首を傾げる。そして、

「大旦那様ご所有の土地は広うございますから・・・土地の借主たちの台帳ならございますが、ご覧になられますか?」

 と、言った。ジェフリーが頷くと、

「では後ほど、お申し付けの品と一緒にお持ち致します」

 マーチンは丁寧にお辞儀をして、居間を出て行った。



 その夜、ジェフリーは波の音を聞きながら、数々の書類に目を走らせていた。

 新聞に事件の記事が載っていたのは、土曜日からだ。


 破壊された馬車と、パットナムの遺体、そして身元不明の若い男の遺体が崖下で発見されたのは、金曜日の早朝だった。

 山中に関わらず発見が早かった理由は、週末強盗を警戒した別荘番たちが自警団を立ち上げ、翌日の金曜日から開始する見回りの手順を確認していた時、銃声と暴走する馬車の音を聞いていたからだ。


 週末強盗とは、ここ頻発ひんぱつしている馬車強盗の事だ。週末を別荘で過ごす金持ちの馬車ばかりを狙うので、そんなあだ名が付いたようだ。

 自警団の者が警察に届けた後、ジェフリーの家からも、帰らない馬車の捜索願いが出される。

 夜通しの捜索の結果、金曜日の夜明け頃、現場の発見に至った。


 ジェフリーはため息をつく。

 確かにあの時、人の話し声と向かってくる足音を聞いている。

 それから逃れるために、馬車は山へと走ったのだから。


 もし・・・あの木曜の夜が、新月の闇夜でなかったら。月明かりのある夜だったなら、結果は違っていたのだろうか・・・。

 ついそんな事を考えて・・・唇を噛んだ。


 次の日、日曜日の新聞には、パットナムの死因が銃弾によるものである事、同乗していたジェフリーが行方不明である事、海岸の河口付近で、御者ぎょしゃの遺体が発見された事が書かれていた。


「ご無事でしたか・・・坊ちゃま・・・」

 そう言って穏やかに微笑んだ老執事。

 あれが最期だったか・・・と、ジェフリーは涙を拭った。

 そうならば良かったと思う。

 恐怖も痛みもさほど感じる間もなく、命を終われたはずだ。

 拭っても拭っても溢れる涙が、新聞にいくつも染みを作っていた。


 反して、パットナムと同時に発見された身元不明の若い男の遺体は、崖から馬車が落ちた事によって、全身を骨折し死亡した、と書かれていた。

 この男は強盗の一味ではないかと、警察が推察しているという一文も添えられていた。


 そして河口で発見された御者の遺体には、やはり銃弾の跡があった。

 間違いなくジェフリーの家の御者であり、木曜の夜にパットナムを乗せて、ジェフリーの大学に向かった馬車の手綱を引いていたのは彼であると、家人が証言していると書かれていた。


 この御者は、臨時で使っていた男だった。

 長く務めていた御者が、年老いて仕事をするのが難しくなったため、新しい住み込みの御者が見つかるまで、通いで来てもらっていた男だった。

 途中で襲われて手綱を奪われたのか、それとも犯人たちと関連があったのかは、捜査中とされていた。


 昨日の月曜日の新聞には、ジェフリーの実家、ウィルトン家が数々の会社を経営する富豪である事や、ジェフリーが2年前、亡き両親の遺産を相続した事などが書かれあり、頻発している週末強盗とは別の、誘拐目的の犯行ではないか、という記事が載っていた。


「どっちも違うな。あいつは最初から、俺を殺す気だった」

 ひとりごとを呟く。

 狙われたのは自分の命だ。

 そしてそれは、自分が金持ち大学生だったからでは無く、ただジェフリー=ウィルトンであったがために狙われたのだ。


 誰の計略であるのか、ジェフリーには心当たりがあった。

 だが、それを告発できるだけの証拠が無い。


「クソッ!」

 新聞を乱暴にテーブルに叩きつけると、ジェフリーは立ち上がって、バルコニーへと通じるガラス戸を開けた。

 波の音が一層大きくなる。

 バルコニーの先に、真っ黒な海原が広がっていた。

 新月だったあの夜から数日、空には細い三日月が浮かんでいる。


 山を借りている者たちの名が載っている台帳に、スウェイの名は無かった。

 思った通りと言うべきか・・・。

 他人の土地に無断で、あれほどの屋敷を構える事などできはしない。

 広大な山ではあるが、きちんと管理はされているのだ。


「全てが現実だよ」

 スウェイの言葉が頭から離れない。


 潮風に当たったせいか、ジェフリーは喉の渇きを覚える。

 ポットにたっぷりと入っていたお茶も、全部飲んでしまった。

 部屋に戻ったジェフリーは、水差しの水をグラスに注ぐ。


 水を飲みながら、ふと自分の書斎机が目に入った。

 机の上には、書きかけの論文と、積み上げられた資料。

 壁に貼られたカレンダーには、先々の予定まで書き込まれている。


「デイジア・・・」

 恋人の名を呟く。

 大学の図書館で別れたままの彼女は、土曜日にこの家を訪れていた。


 金曜日の夜は、デイジアと過ごす約束だった。

 現れなかった恋人が、翌朝の新聞で行方不明と知ったら、どれほど心配しただろう。


 デイジアに会いたい。

 会って、彼女の笑顔を見て、彼女を抱きしめれば、きっとこの、訳の分からない不安から解放されるはずだ。

 彼女の温もりはきっと、この薄ら寒い身体を温めてくれる。

 あの全身の血が凍る感じを、溶かして消してくれる。


 会いたい。

 会って、5日間の空白を埋めてしまいたい。

 あの図書館の夜と、今とが何の変わりも無く繋がっているのだと・・・確かに感じたい。


 気づけば、水差しの水も空になっていた。

 口元を手の甲で拭いながら、横になるために、ジェフリーは寝室へ向かう。


 暗い部屋に、波の音だけが響いていた。


To be continued.

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