第8話 家路



「ジェフリー様!・・・何と、よくぞご無事で!」

 突然戻って来た主人ジェフリーを、使用人たちは一様に驚きで出迎えた。

 スウェイの屋敷を脱出したジェフリーが、岬にある自分の館に帰り着いたのは、その日の夕方になった頃だった。



 「帰せない」などとスウェイに言われたので、屋敷を抜け出すのは簡単では無いと、ジェフリーは思っていた。

 しかし意外な事に、自分が寝かされていた部屋から玄関にたどり着くまで、シャラにもスウェイにも見つからなかった。

 まるで誰もいないような静けさで、鍵すらかかっていない玄関の扉を開けて外に出ても、人の声ひとつしなかった。


 それでもジェフリーは、一気に門へと走る。

 ここで気を抜いて、人が出て来て連れ戻されてしまったら、元も子もない。

 豪奢ごうしゃな鉄の門にも鍵は無く、相応の重さがあったものの、難なく開いて、ジェフリーは屋敷の敷地外へと脱出したのだ。


 思わずジェフリーは屋敷を振り返る。

 玄関を中央にして、両翼に広がる三階建ての屋敷は、決して小さいものではない。

 自分が居た部屋の窓から、整備された中庭が見えた。

 ちょうどこの裏側になるのだろう。


 これだけの屋敷に、シャラとスウェイのふたりで住んでいるのだろうか?

 庭も屋敷の中も、玄関から門に続く短いアプローチも、きちんと手入れされている。

 けれど・・・何と言うか、まるで建築模型を実物大で見せられているような・・・生きた人が居るような感じが無い。

 昼間だというのに、ジェフリーはなぜか寒気を覚えて、屋敷に背中を向けた。


 屋敷の四方は森に囲まれている。

 門から森の中へと向かう細い道を、ジェフリーは全力で走り出した。

 とにかくここから遠ざかりたかった。

 醒めない夢の中に囚われたような場所から、早く現実へと戻りたかった。


 森の道は傾斜になっていて、ジェフリーはひたすらその道を駆け下る。

 山の中なのだろうが、ここがどこであるのかは見当が付かない。

 けれど道が作られているという事は、どこか人の居る所へ通じるはずだ。

 それを信じて、ジェフリーは走った。


 息が上がってきた頃、突然整備された大きな道へと突き当たった。

 さらにその道を下って行くと、木々の向こうに水平線がきらめくのが見えた。

 海だ。

 山から海が見えるのならば、とんでもなく遠くに運ばれた訳では無いのかもしれない。

 そう思うと疲れた足も軽くなる。


 波の音が耳に届き、目の前に海が広がり始めた。

 じきに夕日になろうという太陽が、今日最後のきらめきを海に落としている。

「・・・ここは・・・」

 走り続けた道は、海岸線に沿った道と合流していた。

 そこから見える海の風景は、ジェフリーにとって見慣れたものだった。

 まさかと思って振り返る。


「え・・・?」

 海岸線の道から枝分かれした小道が、海に突き出た岬を登っている。

 その小道は、二階建ての小ぶりな館へと繋がっていた。

 間違いなく自分の家だ。

 もうあと一走りで到着できる距離にそれはあった。


「・・・嘘だろ?」

 ジェフリーは信じられない思いで、自分が必死に駆け下りた山を見上げた。

 なぜならその山は、ジェフリーの家、ウィルトン家が所有する山だったからだ。

 あのスウェイの屋敷は、ウィルトン家の所有地内に建っている事になる。

 そんな事があるはずが無い。


 頭をひとつ振って、ジェフリーは考えるのを止めた。

 今はとにかく家に帰るのが先だ。

 額の汗を袖で拭って、ジェフリーは家を目指した。



 自分の家の居間で、冷たい水を喉に流し込む。

 使い慣れた椅子に腰を落ち着けて、ああ、やっと帰って来たのだと、ジェフリーは心底から安堵した。

 たった一晩帰らなかっただけなのに、長い留守をしたような気がする。

 それだけ大変だったのだと、自分ながらに思った。


「本当に、よくご無事でお帰り下さいました」

 嬉しげにそう言ったのは、マーチンという中年の使用人だ。

 高齢となった執事のパットナムを補佐する役割で、最初に玄関でジェフリーを出迎えたのもこの男だった。


「マーチン、パットナムはどうした?部屋で休んでいるのか?」

 自分の部屋着に着替えながら、ジェフリーがたずねる。

 マーチンは大きく目を見開いて、唇を歪めた。

 その表情を見て、ジェフリーは顔を曇らせる。


「もしかして病院に入っているのか?怪我の具合が悪いのか?」

「・・・ジェフリー様」

 マーチンは眼に涙を滲ませながら、力無く首を振った。

「パットナムさんはお亡くなりになられました。すでに埋葬も済ませました・・・」

「・・・えっ?」

 固い声を返して、ジェフリーはマーチンを見た。

 老執事を支えてきた男は、唇をかみしめて涙をこらえている。


 自分が生きているのだから、パットナムも助かったのだと、ジェフリーは信じていた。

 そう信じたかった。

 でも・・・。


「亡くなったって・・・死んだって事か?」

 マーチンが頷く。

「埋葬したって・・・墓に埋めたのか?」

 さらにマーチンが頷いた。

 その上着の襟を、ジェフリーが掴む。

「なぜだ!なぜ俺を待たなかった!なぜそんな勝手をしたんだ!」

「お、おゆるし下さいませ」

 若い主人の激高に、マーチンは声を震わせた。


「ジェ、ジェフリー様をお待ちしておりました。パットナムさんとて、大切な坊ちゃまのお顔をご覧になるまでは、天国へ旅立つ事などできないだろうと、私どもは皆そう思っておりました。・・・ですが、日にちが経ちすぎてしまいました。これ以上、亡骸なきがらをここにとどめておくのは無理だったのでございます。・・・パットナムさんのお身内がいらっしゃった日に、町の墓地に仮埋葬させて頂きました。おとといの事でございます」

「おととい・・・だって?」

「はい、おとといの日曜日に。パットナムさんを知る町の方々も多数ご参列下さいました・・・」

 ジェフリーは、マーチンの襟から手を離した。

「今日は・・・何曜日だ?」

「火曜日でございますが・・・」


 ジェフリーは呆然とした。

 5日?・・・5日も経っている?

 まさか・・・そんな・・・。


To be continued.

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