第7話 半熟者



「スウェイ、教えてくれ。俺はどうなったんだ?どこからどこまでが夢なんだ?」

 まっすぐにスウェイを見つめて、ジェフリーは真剣に問うた。

 スウェイはその端麗な笑顔のままで、

「全てが現実だよ、ジェフリー」

 と、答えた。


 全てが現実。

 そう言われても、簡単には納得できない。

 それほど昨夜の出来事は、奇妙極まりない。

 今、この瞬間すらも夢の中だと言われた方が、納得できるかもしれない。


 ジェフリーの戸惑いにかまう事無く、スウェイは話を続けた。

「瀕死の君の要望に沿って、私は君と盟約を交わした。君は私の盟約者めいやくしゃとなったのだ」

「盟約・・・者?」

 聞きなれない言葉に、ジェフリーは眉をしかめる。


 音も無く扉が開いて、シャラが茶器の乗ったワゴンを押して入って来た。

 切り分けられるサンドケーキを見て、そういえば昨夜は何も食べていなかったと、ジェフリーは思い出す。


 差し出されたお茶は香りが良く、熱さも程よい加減になっていた。

 ひと口飲んで、ジェフリーは深く息をつく。

 身体の染みこむ温かさに、やっと人心地がついた気がした。


 乳白色のクリームと、赤いラズベリーのジャムを挟んだ、美しい断面のサンドケーキも、食べ始めると止まらなくて、あっと言う間にたいらげる。

 それを見てシャラは何も言わずに、さっきよりも分厚く切ったケーキをジェフリーの皿に載せ、お茶を注いでくれた。


「ジェフリー、君は我らの眷属けんぞくとなった。ヴァンパイアとなったのだよ」

 スウェイの言葉に、ジェフリーは危うく口の中のものを吹き出しそうになる。

 何とかとどめて、お茶で流し込んだ。


「ヴァンパイアだって!?」

 出した声が裏返っていた。

「ヴァンパイアって・・・人間の生き血を吸う吸血鬼だろ?・・・若い娘の血を好んで、夜に徘徊はいかいする、不死の魔物・・・」

 ジェフリーの言葉に、スウェイは苦笑を洩らす。

「若干の修正を要するが・・・まあ大筋では違い無いとしておこうか」


 ジェフリーはもう一度、自分の首筋に手をあてた。

 昨夜あの崖で、スウェイは深紅の眼を光らせて・・・そして・・・

「・・・スウェイあんた・・・俺の血を吸ったのか・・・?」


 途端、シャラが厳しい目つきをジェフリーへ向ける。

 あるじであるスウェイに対して、気安い呼びかけが気に入らなかったようだ。

「いいよシャラ。私が許した」

 当のスウェイから言われて、シャラはそれ以上の不満を出さずに引き下がる。


「ジェフリー、その首筋から君の血を採ったのでは無く、私の血を君の中へと流した。盟主である私の血を受け入れて、君は少しづつヴァンパイアへ変化して行く過程にあるんだ。それを我々は半熟者はんじゅくしゃと呼んでいる」

 スウェイに言われて、ジェフリーは首筋から下ろした手のひらを見つめた。

 全身が凍りつくような感覚を思い出す。

 あれが・・・そうなのか・・・?


「待てよ・・・俺、今、腹が減ってケーキを食べたぞ。人の血が欲しいなんて思わない」

 ケーキは甘くて美味しかった。

 クリームもジャムもスポンジも、きちんとした材料で作られた真っ当な味がした。

 温かいお茶を飲んで、生きているのを実感した。

 昨日までの自分と、何ひとつ違ってはいないじゃないか。


 だがスウェイは、さも当然と頷いて、

「・・・今、君は変化して行く過程だと言っただろう。空腹を食物で満たす事ができるのも、呼吸を遮られて苦しいのも、人としての部分が残っているからだよ。・・・本当に、半熟者はんじゅくしゃとは上手く言ったものだ。まだヴァンパイアとして固まりきっていない、それが今の君だよ、ジェフリー」

 そう淡々と語った。


「・・・言ってる事が分から無ぇよ・・・」

 呆然と呟くジェフリーに、スウェイはあっさりと、

「だろうね」

 と、同意した。

 そして、自分のカップに残ったお茶を飲み干すと、

「あわてる事は無い。身体が変化して行けば、否が応でも理解するさ。君の人としての生命は、あの崖で終わっている。君が選び取った、『安らかならぬ永遠とわの命』は始まってしまったのだよ。・・・もう、引き返せない」

 スウェイは静かにそう言った。


 ジェフリーはふと、薄いカーテンの下がった窓へと目を移した。

 目覚めた時と変わらずに、明るい陽射しが透けて見える。

 そういえば、今何時なんだろう。

 立派な調度が揃った部屋なのに、時計が無い。


 ため息をつく。

 こうして落ち着いてよく考えてみれば、全くおかしな話だと思う。

 ヴァンパイアだの、盟約だの、半熟者だの・・・。

 こんな明るい陽の光が降り注ぐ部屋で、ケーキを食べながらする話じゃない。


 ジェフリーは横目でスウェイを見た。

 もしかしたらこの男は、こういうオカルトめいた話に傾倒けいとうしているのかもしれない。

 魔術だの降霊術だのと言って、妖しげな集会サロンを開くのが、昨今の貴族や資本家階級ブルジョアたちの隠れた流行はやりなのだという噂は知っている。

 そこで起こされる神秘現象オカルトは、実は種も仕掛けもある奇術のようなものだったり、幻覚を引き起こす薬物を使ったりしているのだとも聞いている。


 「全てが現実だ」と、スウェイは言った。

 いや、本当は「全てが幻覚」なのかもしれない。


「・・・分かったよ、スウェイ」

 スウェイへと顔を向けて、ジェフリーは言った。

「あんたが俺を助けてくれたのは分かった。感謝するよ。・・・それで、改めてきちんと礼に来るから、一度自分の家に帰りたいんだ。家の者も心配しているはずだから・・・」

 だが、スウェイは少し困ったような表情をする。

「家には・・・もう帰らない方が良いと思うよ。きっと面倒な事になる」


 ジェフリーは湧き出る悪態を飲み込んで、

「・・・そうか・・・」

 と、肩を落として見せた。



 お茶の時間が終わって、ジェフリーは一度ベッドに戻ったが、出て行ったスウェイとシャラが充分に部屋から遠のいたのを確かめて、起き上がる。


 何としてでも家に帰ろうと思った。

 とにかくここから出てスウェイの支配下から脱出しないと、頭がおかしくなる。

 「面倒な事になる」なんて言って、それは自分の奇行を世間にバラされたくないためだ。

 もしかしたら、さっき口にしたお茶やケーキに、非合法の薬物が仕込まれていたかもしれない。

 頭がはっきりして身体が動くうちに、ここから出ようと決意していた。


 外に出るのに、今着ている寝間着では都合が悪い。

 自分が着ていた服と靴は無いだろうかと、部屋に備え付けられたクロゼットを開けてみた。

 そこにそれらを見つけて、ジェフリーはホッと息をつく。

 だが手に取って、その安堵が消し飛んだ。


 服は汚れが落とされ、きちんと整えられていた。

 しかし白かったシャツは、まるで染めたかのように、身頃のほとんどが茶色に変色している。

 上着の内側にも同じように染みがあり、シャツにも上着にも、背中側のわき腹あたりに、丸く焼け焦げた小さな穴があった。


 ジェフリーは無意識に、自分のわき腹を押さえる。

 そこは確かに、銃撃を受けた場所。

 その染みは、自分が流した大量の血の跡だった。


 頭を振る。

 いや、でも今、自分はこうして生きているんだ。

 だとするなら、同乗していた執事のパットナムも助けられているかもしれない。


「だったら、一刻も早く帰ってやらないと・・・」

 パットナムは自分を庇って銃撃を受けていた。

 彼は幼い頃から仕えてくれた爺やなのだ。

 傷を負った身で、自分の事を心配してくれているはずだ。


 ジェフリーは上着の袖に手を通す。

 家に帰りさえすれば、すべて元に戻る。

 そうジェフリーは疑わなかった。


 ・・・この時は、まだ。


To be continued.

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