第6話  目覚め



 陽の光のまぶしさに、ジェフリーは目を開く。

 窓から薄いカーテン越しに、明るい陽が差し込んでいる。

 その窓も見上げている天井も、初めて見るものだ。

 今、自分が横になっているベッドも。


「ここは・・・どこだ?」

 ジェフリーは身体を起こして、部屋内を見渡した。


 知らない部屋だ。

 内装も調度も立派なもので、壁や窓枠には金箔が施され、家具には豪奢な浮彫レリーフりがなされている。

 少々古めかしくはあるが、高級なホテルか金持ちの屋敷だと思われた。

 だが、そこになぜ自分が居るのか思い出せない。


「昨夜俺は・・・大学を出て馬車に乗って・・・」

 頭を抱えて、ジェフリーは記憶を辿る。


 馬車の中でパットナムと話しをした。

 祖父じいさんの事、デイジアとの事、そして・・・


 ハッとして、ジェフリーは自分のわき腹を見る。

 いつの間に着替えたのか、白いリネンの寝間着は、やはり自分が持っているものでは無い。

 ジェフリーは裾をたくし上げて、素肌を見た。


「えっ・・・」

 銃で撃ちぬかれたはずの場所に、それらしい傷はあった。

 だがそれはすでに塞がって、出血も痛みも無く、すっかり治っているようだ。


「夢だった・・・のか?」

 あの銃撃も、崖での出来事も・・・?


 ジェフリーは自分の手のひらを見つめた。

 あの男が言った言葉が蘇る。


 「安らかならぬ永遠の生・・・」


 ズキンと、頭の奥が痛んだ。


 その時、ノックも無く部屋の扉が開かれる。

「パットナムか?」

 ジェフリーは顔を上げて、自分の執事の名を呼んだ。



 だが、入って来たのは老執事ではなく、背の小さい少女だった。

 黒い髪に黒い服。

 腰から下がるエプロンだけが白く、やけにはっきりと目に刺さる。


 メイド・・・か?

 しかしそれにしては、年齢がおさないようだ。

 せいぜい10代前半くらいか。

 もしこの屋敷の使用人としても、まだ見習いだろう。


 けれど少女は全く臆する様子も無く、ジェフリーが座っているベッドへと歩いて来る。

 少女の様子がはっきりと見えてくるにつれ、メイドかどうか怪しく思えてきた。


 着ているものが使用人らしく無いのだ。

 たいがいメイドが着ているのは、黒無地のワンピースで、スカートは膨らみの無い足首丈だ。

 だが、少女のスカートは膝丈くらいで、たっぷりと膨らんでいる。

 そこから見える細い脚は、黒タイツと黒の編み上げブーツに包まれていた。


 それに、肩から袖山に被るように大きなレースのフリルが付けられている。

 黒地の服に黒いレースで見にくいが、繊細な模様が編まれているようだ。

 首を詰める立襟スタンドカラーを縁取るのも、黒いレース。

 いや、よく見ればスカートの裾、袖口など、服のいたるところに身生地と同じ黒色のレースが施されている。

 どう考えても、使用人の格好では無い。


 少女はジェフリーのベッドを見上げて、笑顔を見せるでもなく、

「目覚めたのか」

 と、言った。

 横柄とも思える口調は、客に対する遠慮も、年上の者に対する敬意も感じ取る事はできない。


「・・・お前は誰だ」

 ジェフリーはムッとした感情を隠しもせず、少女へ問う。

 少女は、ほんの少しだけ口元を上げた。

「・・・なるほど、ご主人様のご慧眼けいがんには感服する。目覚めてすぐにこの反応とはな・・・」


 見上げてくる少女の、細い切れ長の眼にある瞳は、闇よりも黒い。

 その眼の上に、まっすぐに切られた黒い前髪があった。


 不思議な髪型だと、ジェフリーは思った。

 顔の両脇の髪は、頬の高さに揃えたのと胸の前まで長く垂らしたのと二段にしていて、蝋引きした絹糸みたいに真っ直ぐで艶やかだ。

 後ろ髪は、頭のてっぺんで結ってある。それはまるで、かせ糸を乗せたような形で、少女の髪型としてはかなり特異だった。


 その髪束に、細い串のような髪飾りが一本差さっていた。銀製と思われるそれは、精巧に細工された花がひとつ付けられている。

 似たような品を、町の宝飾店で見かけたのを思い出す。

 近年人気の東洋からの舶来品で、かんざしと言うのだと、店主がさかんに自慢していた。

 富豪の令嬢でもなければ手にできない高価な品だが、目の前の少女がそうだとも思えない。


「・・・何者なんだ、お前は・・・」

「私の名はシャラ。貴様のみちびき役、先達せんだつだ」

「貴様だと!?」

 明らかに年下の、子供のような少女にそう呼ばれて、ジェフリーは声を荒げた。

 だが、シャラと名乗った少女は驚く様子すら見せず、

「貴様など貴様で充分だ、クソガキめ」

 と、抑揚の無い声で言う。


「はっ!クソガキはてめぇだろうが!」

 さすがに腹を立てたジェフリーは、威圧を込めて怒鳴りつける。

 瞬間、シャラの姿が視界から消えた。


 えっ・・・?

 我が眼を疑っていると、

「目覚めてすぐだというのに、それだけ自然に動けるのはめてやろう。だがな・・・」

 シャラの声がすぐ耳元で聞こえて、ハッとジェフリーは顔を向ける。

 そして、息を呑んだ。


「半熟の分際をわきまえないクソガキは、導く事なく処分する。それを忘れるな」

 目の前にあったシャラの瞳が、朱色に光っていた。

 この眼・・・どこかで・・・。



「シャラ、ジェフリーの目覚めはどうだい?」

 扉の方から、穏やかな男の声がした。

 ジェフリーのベッドに乗っていたシャラは、サッと振り向いて、

「はい、ご主人様。この通り、申し分無いと存じます」

 と、それは丁寧な口調で答える。


 ご主人様?

 ジェフリーも扉へと目を向ける。

 そこに立っていた若い男の姿に、ピキリと全身の血が凍りつく感じがよみがえった。


「お前は・・・」

 そう呟いた瞬間、ジェフリーはバキッという鈍い音と共に、ベッドに倒れこむ。

 横っ面に、シャラが拳を飛ばしたのだ。

「何しやがる!」

 だが、起き上がろうとしたジェフリーの襟首を、シャラが掴んで乱暴に引き起こした。


「バカかお前は。今さっき分際をわきまえろと教えたばかりだろうが」

 眉根を寄せて、思いっきりの不快感を表情に出すシャラ。

 その小さな手が、ギリギリとジェフリーの襟を絞める。

 この華奢きゃしゃな身体のどこに、これほどの力があるのか。

 ジェフリーは抵抗すらままならないで、うめき声を上げるしかない。


「おやおや、手加減してやらないと本当に消滅してしまうよ。目覚めたての半熟者はんじゅくしゃなのだから、まだ呼吸を必要としているはずだからね」

 ジェフリーの苦しげな声を耳にしながらも、男は端正な顔を少しも崩さず、言葉に笑いを滲ませる。


「はい、ご主人様」

 男の言葉に、シャラはあっさりと手を離して、ジェフリーを解放した。

 ベッドに崩れ落ちたジェフリーは、激しく咳き込んでシャラをにらみつけた。

 悪態のひとつも言ってやりたいが、声が出ない。


 シャラはジェフリーを冷たく見下ろして言った。

「よくよく気をつけるのだな、クソガキ。我らが盟主めいしゅ不遜ふそんな言葉使いは許さない」

「めいしゅだと?そんなの知らねぇぞ!」

 やっと出た枯れた声で、ジェフリーは悔しまぎれに食って掛かる。


「・・・このクソガキの頭は、よほど粗末な作りのようでございます。このような阿呆を眷属けんぞくと成すのは、ご主人様の御名をけがす事になりかねません。今のうちに処分してもよろしゅうございましょうか?」

 淡々とした声で、シャラは己が主人へと告げた。

「仕方が無いんだよ、彼はまだ詳しい事情をよく知らないんだ。お茶でも飲みながら、ゆっくりと説明しようか」

 男は柔らかい笑みを浮かべつつ、答える。


 主人の意を受けて、シャラは軽々とベットから跳んで降りると、

「かしこまりました」

 うやうやしく頭を下げて、部屋を出て行った。



「さて・・・起き上がれるのなら、こちらに座らないか?ジェフリー」

 男は部屋の中央にあるテーブルへと招く。

 注意深くベッドを降りたジェフリーは、男の向かい側へ腰を下ろした。


 あの、崖で会った男だ。

 昨夜と同じ灰銀色のフロックコート、絹のクラバット。

 肩まで届く、柔らかい淡金髪。

 彫刻のように整った顔立ち。


 ただひとつ違っていたのは、瞳の色。

 昨夜は深紅に光っていたのが、今は透き通るような黄みの強い茶色。

 クラバットを留めているブローチの宝石と同じ色だと、ジェフリーは思った。


「俺の名をどこで?」

「君が自分で宣誓した。ジェフリー・ライオネル=ウィルトン君」

 普段ほとんど使わない本名を言われて、ジェフリーは目を見開いた。

 確かに・・・言った記憶がある。

 だとするのなら、あの光景は夢では無くて・・・。


 ジェフリーは首筋に手をあてた。そして、

「シンケールスの・・・スウェイン」

 そう呟く。

 男は目を細めた。

「その名は私の真名しんめいなので、容易たやすく口にはしないでほしい。私はスウェイン=アンブローズ。スウェイと呼んでくれて結構」

「スウェイ・・・」

 ジェフリーに呼ばれて、男・・・スウェイは微笑んでうなずいた。


「スウェイ、教えてくれ。俺はどうなったんだ?どこからどこまでが夢なんだ?」

 まっすぐにスウェイを見つめて、ジェフリーは真剣に問うた。


To be continued.

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