第4話 惨憺


 御者台と馬車の車室を仕切るカーテンの隙間から、現れた黒い鉄の筒。

 自分に向けられたそれが拳銃だとジェフリーが気づいた時、パンッ!と乾いた破裂音が響いた。

 咄嗟、ジェフリーは目を瞑った。

「・・・う」

 くぐもった声に、ジェフリーは目を開く。

 目の前には、見慣れた黒のモーニングコートの背中があった。

「パット・・・ナム・・・」

 前のめりに崩れ落ちる身体を、ジェフリーの腕が抱きとめた。

 その手が、ぬるりと生温かいものに触れる。

 開いて見た手のひらは、鮮血でべっとりと濡れていた。

 抱き起こしたパットナムの胸が、みるみる血で染まって行く。


「パットナム!パットナム!」

 泣き声に近いジェフリーの叫びに、パットナムは苦痛に歪んだ顔に笑みを作った。

「坊ちゃま・・・ご無事でしたか・・・」

 枯れた声が上がるたびに、胸の傷からドクリドクリと血が吹き出した。

「黙ってろバカ野郎!」

 震える声で一喝して、血が流れ出る傷口を手で押さえるが、ジェフリーにはそれ以上成すすべが無い。

 強張こわばっていたパットナムの身体から、力が抜けて行くのが分かった。


「・・・い、嫌だ。パットナム!嫌だっ!」

 動転したジェフリーが、パットナムの身体を揺すった時、馬車の扉にめられていた窓が音を立てて割られ、黒い銃口が向けられた。

 ジェフリーはパットナムの身体に覆いかぶさる。

 その背中に、容赦無く銃弾が撃ちこまれた。


 あ・・・。

 背骨に近いわき腹を、焼かれるような熱さが突き抜ける。

 呼吸がうまくできなくなるのと同時に、激しい痛みが襲う。

 反射的に押さえた傷口から、粘りのある濃い血が流れ出る。

 ギィィィッと、車輪をきしませながら、馬車が止まった。


「あれぇ、まだ死んで無ぇのか」

 開いた扉から、男の声がする。

 ジェフリーは傷の痛みにあえぎながら、目だけを向けた。


 若い男だった。恐らく自分とそう違わないくらいの。体格も同じくらいに見える。

 着ているものは小ざっぱりとしていて、奇抜な様子は無い。

 町でよく見かける、労働者の若者という風体だ。

 けれど、陰湿な光を放つ大きなふたつの瞳と、青白い顔を斜めに区切る大きな刃物の傷跡が、陽の当たる道ばかりを歩いていない事を物語っている。


「頭撃た無ぇと、やっぱ一発でるのは難しいよなぁ。あと何発で死ねるかなぁ?」

 人を殺す作業にしては、何とも気軽な物言いだ。

 痛みにうめくジェフリーに、男はなぜか哀れみの視線を向ける。

「・・・そりゃあ痛ぇよなぁ。でも俺のせいじゃ無ぇからさぁ、恨まないでくれよなぁ」

「て・・・てめぇ・・・」

 男をにらみつけたジェフリーは、やっとそれだけを言葉にする。

 だが間断ない激痛がうめき声となって、言葉をつなげる事ができない。


 カチリと拳銃の撃鉄を下ろして、男は特にこれと言った表情も無く、銃口をジェフリーに向けた。

 逃げる事も動く事もできずに、ジェフリーはただ歯を食いしばった。


「おいっ!やべぇぞ、誰か来る!」

 別の男の声と、銃声が同時だった。

 弾はジェフリーの身体を逸れて、壁に取り付けられた小さいランプに命中する。

 一瞬で、車室が闇に落ちた。


 ジェフリーの耳に、複数の人間の声がかすかに届いた。

 どうやら銃声を聞いて、こちらへ向かってくるようだ。

 助けが来るかもしれない。

 ジェフリーの胸に、小さな希望がともった。


 だが・・・。

 乱暴に閉められた扉と、荒々しく動き出す馬車の車輪が、その希望を無残に踏み砕く。

 馬車はたけるように坂を駆け上がり、大きなカーブを描いて更なる傾斜を登って行く。山道を登っているのだと分かった。


 車室のランプは消されている。

 恐らく御者台の角灯もすでに無いのだろう。

 新月の闇夜、山道を走る明かりの消えた馬車を、追いかける事は難しい。


「・・・ちくしょう」

 激しく揺れる真っ暗な馬車の中で、ジェフリーは無念の呟きを洩らす。

 そして・・・何も分からなくなった。



 次に目を開けた時、ジェフリーは満点の星空を見上げていた。


 馬車ごと崖から落ちたのだろう。

 落ちたのか、落としたのかは、意識を失っていたジェフリーには分からない。

 様々な奇跡が重なって、ジェフリーの身体は崖の中腹の、足場のような小さな地面に引っかかり、生命を取り留めている。


 だが、その奇跡もそろそろ尽きるようだ。

 もう、痛みは感じない。

 死ぬんだな・・・と、思った。


 デイジアの、恋人の顔が目に浮かぶ。

 書庫で別れたあの笑顔。

 もう会えないのだと思うと、胸がかきむしられる。

 自分の死を知ったら、彼女はとても嘆くだろう。


 彼女が結婚を承諾してくれて、パットナムに会わせて、そして従妹いとこのアメルに紹介しようと思っていた。

 アメルは驚いて、そして喜んでくれるだろう。

 デイジアも、アメルを妹のように思ってくれるはずだ。

 そう・・・なるはずだった・・・のに・・・。


 アメル・・・。

 兄妹のように育った従妹。

 お互いに両親を失って、自分がアメルを守って行かなくてはと思っていた。

 自分の両親もアメルの両親も、その死に不審な事が多くて、ジェフリーはずっと疑念を抱いていたのだ。


 次は・・・アメルなのか?


 今夜は木曜だったのに、ジェフリーの馬車は襲われた。

 仕組まれたのだ、きっと。

 そして仕組んだのは・・・。


「ちくしょう」

 悔しい、ただ悔しい。

 このままでは、何も明るみに出せないまま終わってしまう。

 奴の思い通りに全てが運ばれてしまう。

 自分の人生は、ただ翻弄されるためだけにあっただなんて、そんな事許さない。

 何もかも・・・これからだったのに!


「ちくしょう!」

 このまま・・・死にたくない。

 こんなところで終わりたくない。

 誰でもいい!力をくれ!

 もう一度立ち上がる力を!

 誰か!

 誰か!

 ・・・誰か!!



「・・・おや」

 すぐ近くで人の声がした。

 男の声だ。

「私を呼んでいたのは、君か・・・」

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