第3話 老執事



 パットナムがジェフリーに差し出した手紙は、祖父の容態を見に行かせた使用人からの報告だった。


「一日中、ご寝所にてお過ごしのご様子で、邸内でも車椅子を使われているとの事でございます」

 手紙に目を通しながら、ジェフリーは眉を曇らせた。

「しかしながら、ご気力はしっかりなさっておられるようです。ジェフリー様の卒業が早まったのを、たいそうお喜びであられたと・・・」

「まだ決まって無えってのに、余計な話をしやがって」

 こんな文句など慣れたもの、老執事は冷静に話を続ける。

「ウィルトン社で、現在ケイン様が直接経営されていない部門を、ジェフリー様に引き継ぐ用意があると、内々に打診を受けております。この夏に、ジェフリー様がお帰りになられるのを、心よりお待ち申し上げているとの事でございます」

 ピュイッと、ジェフリーは返答の代わりに口笛を吹いた。


 ケインとはジェフリーの父親の弟、叔父だ。

 現在、ウィルトン家の事業は、ケインが取り仕切っていた。

 本来は、ケインの兄であるジェフリーの父がその座に就くはずだったが、そうとなる前に亡くなってしまったのだ。

 先んじて母親を亡くしていた10歳のジェフリーは、ウィルトン家の本拠地から遠く離れたこの町の寄宿学校に入る事を余儀なくされていた。


 それから10年。

 ウィルトン社はケイン主導のもと、業績を着実に伸ばしている。

 だが、ジェフリーが成人した頃から、本来の後継者であるジェフリーに、その権限を戻すべきだという声が、社内で上がり始めていた。


「はっ!ケインが手を出して無い部門だなんて、子会社か孫会社だろう?ウィルトンの『W』の文字すら付いて無ぇくらいだろうさ」

 ジェフリーは鼻で笑って、悪態をいた。

「・・・ま、あわてて大学出て来ただけの青二才には、それが相応って事なんだろうよ」

 口元に笑みを残しながら、ジェフリーは皮肉に呟く。

「そこで終わらせやしねぇさ・・・絶対に」

 膝にのせた拳を、固く握った。


 叔父のケインが憎いという気持ちもある。

 自分が継ぐはずだったものを取り戻したいという気持ちも、当然ある。

 それよりも何よりも、将来を共にしたい相手ができた事が、ジェフリーの気持ちを強くしていた。


 あ、と気づいたジェフリーは、できるだけさりげなく話を切り出した。

「・・・ああ、そうだ。明日は迎えはいらないから」

 隣に座る執事は、すぐには承諾の返事をせずに、

「・・・何かご予定がおありでしたしょうか?」

 と、やんわりと聞いてくる。

「ああ、うん。ビルの部屋に何人かで集まる事になったんだ。酒も入るから帰りは朝にな・・・る・・・」

 ジェフリーの言葉が続かなくなる。

 パットナムの顔が、明らかに憮然としたものになっていたからだ。


「爺やはお情けのうございますぞ、坊ちゃま」

「や、な、何を言うんだよ、パットナム!」

 子供の頃から爺やとしてジェフリーに仕えていたパットナムは、ジェフリーが18歳になった時から『坊ちゃま』と呼ばなくなっていたし、自分を『爺や』と称する事も無かった・・・はずだった。


「いつか坊ちゃまの口からおっしゃって頂けるものと、この爺や、ずっとお待ち申し上げておりました。・・・いまだそのように誤魔化されるとは、ただのお遊び相手でございましたか」

「遊びなんかじゃない!デイジアは!」

「・・・デイジア様とおっしゃいますので・・・」

 はっ、とジェフリーは口を押さえる。

 パットナムがにっこりと笑った。


 これまでデイジアのアパートに泊る時は、いろいろ言い訳を取り繕ってきた。

 だが、どうやら全部バレていたようだ。

 バツが悪いジェフリーは顔を赤くして、くしゃくしゃと前髪をかき上げる。

「全く・・・嫌な執事だぜ、お前はよ」

 そう言いながらジェフリーは、参ったとばかりに軽く両手を上げた。

「さようでございますとも」

 パットナムも目尻を下げる。


 パットナムはジェフリーが生まれた時から仕えている執事であり、爺やであった。

 情の薄かった両親に代わって、愛情を注いでくれた人である。

 ジェフリーは「ふう」と息をつくと、隣に座る執事に向き直った。


「彼女は・・・デイジア=カーマイケルは、3歳年上の大学の職員で、実家は農家をしているそうだ。ゆくゆくは結婚を考えている」

 顔に赤さを残しながらも、はっきりと伝える。

 パットナムは目を細めて、大きくうなずいた。


「承知いたしました。では早々にデイジア様を館にお招きいただき、このパットナムにお引き合わせを。・・・何でしたら明日の夜、岬の館にお連れになればよろしいかと。晩餐のご用意を致しましょう」

「あ・・・いや、それはまだ・・・」

「ご朝食もご用意いたしますゆえ、ご心配なく」

「パットナム!!」

 ジェフリーの顔が真っ赤になるのを、老執事は嬉しげに笑う。

「・・・クソ執事め」

 ジェフリーは赤い顔のまま、そっぽを向いた。


「ご安心下さいジェフリー様。パットナムは何があろうとも、ジェフリー様のお味方でございますぞ」

 扉の窓ガラスに、パットナムの顔が映る。

 物心ついた時からずっと、このおだやかな執事に見守られてきた。

 これまで随分と手を焼かせてきたが、パットナムは変わらずに優しかった。


「ありがとな、パットナム」

 そんな言葉がジェフリーからこぼれる。

 パットナムは一瞬目を見開くが、またいつもの通り、おだやかに微笑かけていた。


 ・・・こっちの方がよっぽど照れるな・・・

 そう思いながら、それを顔に出すまいとして、ジェフリーは口元に手を当てて、窓の外を見た。


 とはいえ、新月の暗い夜、町から離れたので、窓の向こう側は真っ黒だ。

 馬車の車室の壁に小さいランプを灯しているので、その淡いオレンジの光とともに、自分の顔が映るのみだ。


 明日の夜、岬の館にデイジアを連れて来たとして・・・大丈夫だろうか。

 館の雰囲気に、デイジアがさらに気後きおくれしてしまっては困る。

 それともパットナムに引き合わせてしまった方が、彼女の不安が解けるかもしれない。

 うーん・・・と、悩んだジェフリーが、ハッと気づいて窓ガラスに顔を寄せた。


 おかしい。

 そろそろこの窓から、岬の館の灯りが見えるはずだ。

 新月の夜なら尚更、館の窓からもれる灯りが、はっきりと見えるはずだろう。

 海も近いはずなのに、耳を澄ましても波の音が聞こえない。

 これは・・・。


 道が違う。

 振り向いてパットナムを見る。

 老執事も異変を察していたようで、鼻眼鏡をかけて懐中時計を睨んでいる。

 ジェフリーの視線に気づいて、パットナムは時計を懐にしまって、いつものおだやかな微笑みに戻る。

 そして、パットナムは、御者に向けて声をかけた。


「どうしました?少々時間がかかっているようですが・・・」

 御者台との境にある小さい窓にかかるカーテンを開こうと、パットナムが手を出した時、そこから銃口が現れた。

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