第2話 木曜の夜



 ジェフリーは恋人のデイジアに結婚を申し込んだ。

「・・・その、俺はこれから大学を出ようとする若造わかぞうで、頼りないのは分かっている。だから、すぐにという話じゃなくて、約束をして欲しい」

「婚約って事なの?」

「うんそう、婚約。・・・きちんとしたいんだ。世間にも、君が結婚相手だとはっきりさせておきたいし」


 デイジアはその困った顔のまま、ジェフリーの腕をほどいた。

「ありがとうジェフ。とても嬉しいわ」

 だが、そう言う本人は、少しも嬉しそうではない。

「・・・でも、無理よ」

「え?」

 無理とは?

 それは、断るという事?

「俺を愛していないって事か?」

 思わず、ジェフリーの声が強くなる。


 互いの気持ちを確かめ合って、恋人同士となって半年あまり。

 一緒に居て幸せだった。愛し合っていると信じきっていた。

 それなのに・・・。


「愛しているわジェフ。ずっと一緒に居たいわ・・・でも・・・」

「でも?」

 追求する口調になっていると、ジェフリーは分かっていた。

 けれど止められない。

 デイジアは視線を床に落として黙っていたが、重く口を開いた。


「私とあなたでは住む世界が違いすぎる。あなたは立派な実業家のご子息で、あなたもそうなろうとしている。あなたの奥様になる人は、相応のご令嬢じゃないと周りの人も納得しないと思うわ・・・」

 ジェフリーは口を曲げた。

「俺の結婚相手は俺が決める!誰にも文句など言わせはしない!」

 自分が嫌いだと言われれば、引き下がりもする。

 住む世界が違うとか、周囲が納得しないとか、そんな理由で簡単にあきらめるくらいなら、最初から結婚なんて言い出すものか。


 ジェフリーの威勢にも、デイジアは動かされないようで、床を見つめたまま話を続ける。

「それに、私の家の事もあるわ。私が仕送りをしているのを知っているでしょう?この仕事を辞める訳にはいかないのよ」

「そ・・・」

 そんな事・・・と、あやうく言いそうになって、ジェフリーはすんでのところで言葉を飲み込んだ。


 農業をしている父親が病気がちで充分に働けないので、デイジアは毎月実家に仕送りをしている。

 少しでも高い賃金を得るために、伝手つてを頼って、実家から遠く離れたこの大学に職を得ていた。


「それは心配しなくていいよ。君の家族は俺の家族同然なのだから、俺が世話をするのは当たり前だろう?」

 ジェフリーは言葉を選んで慎重に言った。

 しかしデイジアは唇を噛んで、険しい顔のままだ。


 こんな時、自分が彼女より年下の学生である事を、ジェフリーは悔しく思う。

 もし自分が、すでに会社のひとつでも任されていたのならば、デイジアの反応はもっと違ったはずだ。


 ジェフリーは2年前18歳になった時、亡くなった両親の財産を相続している。

 金銭面に限って言うのならば、デイジアとその家族を養うぐらい、何でもない話だった。


 けれどそれは、彼女の誇りを傷つけると分かっていたし、盾に取るつもりも無かった。

 それでもデイジアの不安がそこにあるのなら、話した方が良いのだろうか?

 いや・・・そうじゃない気もする。

 ・・・じゃあどうして彼女はこんなに戸惑う?

 混乱してきたジェフリーは、頭を冷やすように大きく息を吐いた。


「・・・分かったよ、デイジア。話を急ぎすぎたようだ」

 ジェフリーの言葉に、デイジアはゆっくりと顔を上げる。

「ごめん、すぐに返事が欲しい訳じゃないんだ。その・・・俺が真剣だって事を分かってもらいたくて。焦って壊してしまうなんて、嫌だ」


 その気持ちが伝わったのか、かたくなだったデイジアの表情が緩む。

「ジェフ、あなたの気持ちはとても嬉しいの。本当よ。でも・・・あまりに急なお話でびっくりしてしまって、考えがまとまらなくて・・・」

 ぽつりぽつりと、デイジアは心の内を話した。

 ジェフリーは深くうなずいて、

「うん、そうだよね。・・・ゆっくり話し合おう。時間はたくさんあるんだから」

 そう言った。

 そして、デイジアの手を引いて抱き寄せる。


「明日の夜は?」

 デイジアの耳元に囁く。

 頬を染めたデイジアが、微笑みながらうなずいた。

 そんな顔をされたのでは、たまらなくなる。

 卒業とか結婚とか、そんな形式なんてどうでも良くなってしまう。

 どちらからともなく唇を重ねる。

 本当に・・・ただこのまま、ずっと居たい。

 それだけなのに・・・・。


 その時、夕方5時を告げる鐘が聞こえた。

「・・・戻らないと。今日は早番の日だから・・・」

 デイジアはジェフリーから身体を離す。

「ジェフ、今日も閉館まで居るの?」

「多分ね。必要な本は『持ち出し禁止』だから、必死で書き写さなけりゃならないんで」

 不満げにジェフリーが言うので、デイジアは可笑しそうにクスクス笑った。

 しかし、すぐに真顔に戻って、

「暗くなるから気をつけて帰ってね。お家は岬の方なんでしょ、その辺りは道も寂しくなるから・・・」

 そう心配を口にする。

「大丈夫さ、今日は木曜で週末じゃない」

 ジェフリーが明るい声で応えた。


 最近、町の周辺で馬車を狙う強盗事件が相次いでいた。

 事件が起こるのは、金土日の週末と決まっていて、狙われるのは週末を別荘で過ごす金持ちの馬車だった。

 別荘地は町の中心地から離れた山や岬、海岸沿いにあるので、犯行に及ぶのは、街灯の無い山道や、海岸の通りだとされている。


 ジェフリーの住まいは、祖父所有の別荘だった。

 海に突き出た岬にある館で、一帯の山ひとつが私有地だ。

 まだこの事は、デイジアに話しそびれているのだが・・・。


「明日は遅番だろ、仕事が終わるまで待っているから、一緒に帰ろう」

 扉の前に立ったジェフリーが振り返る。

「ええ、明日ね」

 デイジアが応えた。

 もうかなり暗いというのに、ジェフリーはなぜかこの時、デイジアの笑顔がはっきりと見えた気がした。


 ジェフリーは扉を開けて、人目が無いのを確かめてから書庫を出た。



 大学の図書館は午後7時に閉館する。

 ギリギリまでねばっていたジェフリーが出て来たのは、7時をとっくに回った頃だった。


 いつもよりも辺りが暗い気がして、ジェフリーは空を見上げる。

「ああ、今日は新月か・・・」

 星のまたたく夜空に月は無い。うっすらと丸い影だけが見えているだけだ。


「待たせたな、パットナム」

 正門の外で、馬車と共に控えている老執事に向けて、ジェフリーは片手を挙げた。

 執事はうやうやしく頭を下げると、馬車の扉を開けて若い主人を迎えた。


「それで、祖父じいさんの具合はどうだって?」

 動き出した馬車の中で、ジェフリーがたずねる。

 パットナムは懐から封の開いた手紙をジェフリーに差し出した。

 それは、祖父の容態を見に行かせた使用人からの報告だった。

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