6
十一月。
僕は、滑り止めだった私立大学の受験に合格し、残るは本命である国立の験のみとなっていた。
そんなある日の寒い朝。
いつものように、学校へ行く準備をしていた時。
『お父さん、健康診断の結果どうだったのかしら』
そんな声が聴こえた。
「どうして、いきなり健康診断の話なんかするの?」
僕がそう言って振り向いた先には、驚いた表情の母親が立っていた。
「え!? 私……、何も言ってないけど……? お父さんから話を聞いたの?」
母親は、僕にそう訊ねた。
「聞いたのって……、今母さんが言ったじゃないか。健康診断の結果がどうのこうのって」
僕の言葉に、母親は硬直している。
「え? あ……、あぁ、ううん! 何でもないわ!」
そう言って、母親は台所の奥へと引っ込んでしまった。
僕はわけもわからずに、家を出た。
そして、すぐさま異変に気付いた。
おかしい……。どうなっているんだ?
頭巾を被っていないのに……?
『寒い寒い。今日はじっとしてよう』
隣の家の犬の声が聴こえてきた。
『もうすぐ渡りの季節だ。ここともおさらばだな』
『渡りは疲れるが、寒いよりましだ』
頭上の電線にとまっている、二羽の渡り鳥の声が聴こえてきた。
そして……
『会社に行きたくない。今日もまた上司に怒られるんだろうな』
道行くサラリーマンの心の声が、聴こえてきた。
何が起きているか分からない。
僕は、恐る恐る足を進めた。
いろんな声が、頭の中に流れ込んできた。
入りこんでくる声を、止めることはできなかった。
頭の中が、他人の声で埋め尽くされていた。
そして、僕の背後から聴こえてきた、聴き覚えのある声。
『まだ初期だから良かったけど、胃癌だなんてな……』
足を止めて、後ろを振り向くと、会社に向かう父親がこちらに歩いて来ていた。
「おぉ、まだこんなところにいたのか。学校、間に合うのか?」
笑顔でそう言ってきた父親に、僕は悲壮な顔を向ける。
「胃癌って……。本当に?」
僕の言葉に、父親は明らかにばつの悪そうな顔をする。
『どうして知っているんだ? まだ母さんにも言ってないのに……』
父親の、心の声が聴こえてきた。
「か……、母さんが、心配していたよ。病気になったのなら、ちゃんと言わないと」
必死に冷静を装いつつ僕はそう言って、くるりと向きを変えて道を歩いて行った。
その日から、僕の生活は一変した。
僕の頭の中には、絶えず声が聴こえていた。
家にいても、外にいても、学校にいても、公園にいても、それは同じだった。
赤い頭巾を被っていないのに、どうして声が聴こえてくるんだ……?
全くもって理解不能の事態だった。
そして、聴こえてくる声は徐々に増えていった。
最初は半径三メートル以内の生き物の声が聴こえていたのが、次第に半径五メートル、十メートルと範囲が広がっていき、今となってはもうその範囲すらわからない。
聴こえてくる声は止めることができずに、終始僕に付き纏い、僕を悩ませ、心を蝕んでいった。
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