3

 六月のある雨の日。


 僕は傘を差して、いつものように赤い頭巾を被って、ケンと散歩に出かけていた。

 ケンが、雨に濡れるのが嫌だという事を初めて知ったので、わざわざ犬用のレインコートを買い与えてやった。


 意気揚々と散歩していた僕の頭に、その声が響いたのは、公園を歩いていた時だった。



『寒いよ。寒いよ。誰か助けてよ』



 か細くて、弱弱しい声が、僕の頭の中に響いてきた。

 僕は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 隣を歩くケンは、楽しそうに尻尾を振っていて……



『楽しいな。雨のお散歩も楽しいな』



 と、ご機嫌そうだ。

 ケンの声ではない。

じゃあ、いったい誰の声だ?


 僕は、辺りを見回した。

でも、周りには誰もいない。

 公園には、ブランコ、ジャングルジム、滑り台などがある。



『寒いよ。寒いよ』



 聴こえてくる声は止まない。

 僕は、どこから声が聴こえているのか、意識を集中させる。

 そして、探り当てた。

 滑り台の下にある丸い空洞の中。



『どうしてそっちに行くの?』


「こっちに何かいるんだよ」



 ケンの声にそう答えながら、僕は滑り台の下の穴の中を覗いた。

 するとそこには、段ボールに入れられた、白い子猫がいた。



『寒いよ。寒いよ。助けてよ』



 子猫の小さな瞳が、僕のことをじっと見つめている。

 か細い声が、僕に助けを求めていた。



「あぁ、君だったのか」



 僕は、子猫に話し掛ける。



『ねぇ、ご主人様。助けてあげようよ。可哀想だよ』



 ケンに言われるまでもなく、僕は段ボールをかかえて、子猫を家に連れ帰った。

 それからしばらくは、犬のケンと、小さな白い子猫の奇妙な共同生活が送られた。

 家の中で赤い頭巾を被っていると、ケンと子猫のじゃれあう声が聴こえてきて、とても楽しかった。

 でも、さすがに犬も猫も両方飼うことは今の僕にはできないので、新しい飼い主を見つけてやって、子猫を手放すことにした。

 別れ際。

新しい飼い主の腕の中から、白い子猫が……



『ありがとう。ありがとう。』



 と言っていたのを今でも覚えている。

 僕はなんだか、とても良いことをしたような気になって、それからもずっと、赤い頭巾を被ったまま、散歩をすることにした。


 するといつしか、様々な動物の声が、耳に入って来るようになった。

 近所の犬、電線にとまっている雀、側溝の下を走る鼠など……

沢山の動物の声を聴きながら散歩することは、僕の日々の楽しみとなっていった。


 今となって考えてみれば、この時もう既に僕は、引き返せないところまで、来てしまっていたのかもしれない……






 心穏やかな楽しい日々は、長くは続かなかった。


 七月に入ってすぐの頃。


 いつものように、夕暮れ時の公園を、赤い頭巾を被った僕とケンは散歩していた。

 すると前方から、見覚えのある女性が歩いて来た。

 彼女は、僕のクラスメイトだ。

 特に仲が良いわけでもないが、僕はとりあえず挨拶をする。

 彼女も同じように挨拶をする。

 そして、彼女と目が合った、その時だった。



『いつも変な帽子被っているけれど、何なのかしら?』



 僕の頭の中に、女性の声が響いた。



「えっ?」



 僕は、目の前のクラスメイトが発した肉声だと勘違いし、聞き返すようにそう言った。

 しかし彼女は……



「何? 何か言ったかしら? ……あ、もうこんな時間。じゃあね」



 そう言って、笑顔で手を振りながら去ってしまった。

 去りゆく彼女の後ろ姿を見つめながら、僕は、何か聞き違えたのだろう思い、その時は深く考えなかった。


 これが、破滅の門を開かないための、最後の警鐘だったのに……

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