第62話「紫の思い出」



『兄さん、これ』




『何だ』




『兄さんにはいつも稽古に付き合ってもらってるだろ』




『別に、俺との手合わせなんか稽古にならないだろ』




『そんなことないよ。兄さんにはいつも世話になってる』




『俺より才能のある奴が何言ってんだ』




『兄さん』




『ん?』




『これを贈らせてほしい』




『ペンダント……どうしたんだ、急に』




『どうか大事にしてほしい』




『なんでこんな物を……』




『誓いの証だよ。父上の命はもう長くない。俺達のどちらが王位を継ぐとしても、これからも二人で力を合わせて、この国を守っていこう』




『ユキテル……』




『このペンダントに誓って、約束してくれよ。兄さん……』




『……』




 ラセフが返事をすることはなかった。




   * * * * * * *




 ラセフが放った斬撃によって、城内は崩壊寸前とも呼べるほどにボロボロになっていた。これが彼の奥義の威力……この世の全てを破壊してしまいそうなほどの闇の力だ。もはやイワーノフの存在なんか、脅威でも何でもないと思わせられる。


「ドロシー……」


 アルマスがドロシーの遺体を見て動揺する。先程まで勇敢に戦っていた仲間が、一瞬にして言葉を話せない死体に変わったことにより、正気を失っていた。腹を両断されたドロシーは、上半身だけになっても槍を握ったままだった。




「……やはり、思い出は最大の武器だな」


 ドロシーの返り血を浴びたラセフは、不気味な笑みを浮かべながらペンダントを掲げていた。今もなお紫色の淡い光を放っている。やっぱりあの輝きには見覚えがある。


「まさか……!」


 透井君も思い出したようだ。取り戻したユキテル君としての記憶の中で、ラセフが掲げているペンダントの姿を見つけた。


 そう、あれはユキテル君がラセフに贈ったプレゼントだ。実力の差で兄弟の間に確執が生まれている中、シュバルツ王国の更なる発展を二人で成し遂げようと誓った証だ。ラセフは気に入りはしなかったものの、何だかんだで常に身に付けていた。

 あの時の描写を、私は鮮明に覚えている。漫画で読んでいて最高にエモいと感じた。あの嫉妬深いラセフが、弟からの贈り物を大事にしていたのだ。対立しても絶ち切れない絆を目の当たりにした。


「ユキテル……記憶が甦ったか。思い出なんて柄じゃねぇが、まあ使えるもんは使うべきだな」


 しかし、ラセフはそれを自身のコアとして改造したようだ。ハイ・ゲースティーとなった彼を倒すには、コアであるそのペンダントを破壊しなければならない。兄弟の絆であり、思い出である大切なペンダントを……。


 だから、私はドロシーに攻撃をやめるように叫んだ。




 あれ……てことは……


「私が止めなければ……ドロシーは……」

「夢、よせ。考えるな」

「私が……ドロシーを……」


 走り出した思考は止まらない。ドロシーやアルマスはユキテルとラセフの思い出なんて知らないけど、読者である私はよく知っている。だからこそ、思い出を破壊することの重大さを理解しており、ためらうのも無理はない。

 しかし、その甘い掛け声がドロシーに隙を作らせてしまい、彼女は殺された。私が叫んで攻撃を止めさせなければ、彼女はラセフの奥義に気付いて回避に移り、死ぬことはなかったはずだ。私が……ドロシーを殺した。


「そんな……私……」

「夢! 落ち着け! 君は悪くない!」




「よくもドロシーを……」


 しかし、私以上に心をかき乱していたのは、アルマスだった。長年共に旅をし、共に苦難を乗り越え、共に高め合い、絆を深めてきた仲間が殺されたのだ。その怒りは、私の罪悪感すら無に見えるほどに膨れ上がっているはず。


「そんなに溺愛していたのか。一瞬にして肉片に変わったあの雑魚を」

「黙れ!!!」


 アルマスが叫んで駆け出す。刀身に炎を纏わせ、がむしゃらに振り回してラセフを切り付けようとする。しかし、冷静さを失った相手の攻撃を回避することなど、ラセフにとっては赤子の手を捻るよりも容易かった。仲間を殺された憎しみだけでは敵わない。


「アルマス……」

「透井君……どうするの……」


 アルマスが私の分までご乱心になっているおかげ……と言ったら失礼かもしれないけど、おかげで私の罪悪感は多少なりとも薄れてきた。

 だけど、仲間を一人殺されて、追い詰められている状況は変わらない。ラセフを倒すには、ユキテル君の大切な思い出を切り裂かなければならない。ユキテル君本人でなくとも、私にも無理だ。きっとラセフもそうなるよう見越して、あのペンダントをコアに変えたのだろう。


「一体……どうしたら……」




「……殺すしかない」


 透井君は絞り出すように口を開いた。


「あいつは俺への嫉妬心を積もらせたせいで、醜い復讐に命を捧げてしまった。この国が脅かされたのは、俺のせいでもあるってことだ。俺には兄弟として、あいつの考えを正す責任がある」


 優秀であるとは、何と儚いものだろう。透井君は悪の道に落ちてしまったラセフを悼み、もう元には戻せないことを悟っていた。もはや今更戦いは止そうと説得を試みても、彼が耳を貸す心境ではないことは明白だ。

 だからこそ、せめてラセフを追い詰めてしまったことの責任を取るため、透井君は自分がラセフの命を討ち取ることを決意した。


「俺はやる。やらなくちゃいけないんだ」

「透井君……私も手を貸すよ」


 ならば、私も迷っている暇なんかない。透井君が……ユキテル君本人が覚悟を決めて剣を握っているんだ。私もコアを破壊する手助けをする。思い出をぶっ壊して、ラセフの目を覚まさせるんだ。二人の兄弟の物語を見届けよう。


「ありがとう、夢」


 そう言って、透井君はラセフの元へと駆けていった。アルマスと共に剣を振り、必死にペンダントに狙いを定めて攻撃を繰り出す。


「ぐっ……」


 先程のラセフの奥義による攻撃で、足場に瓦礫が散乱している。うっかり足をつまづいてしまいそうだ。透井君とアルマスは、よろける体を必死に支えながら剣を振る。

 二人共、そろそろ魔力が尽きる頃だ。早く決着を付けなければいけない。ドロシーの敵を討つために。そして何より、透井君に守ってもらってきた恩返しをするために。


「……」


 私は戦闘に割り込む隙を探す。二人のように、真っ正面から戦えなくなっていい。透井君は言ってくれた。たとえ小さくても、自分ができることを探して戦えって。私は私の戦い方をすればいいんだ。無力な私でも、魔法が使えない私でも、私の力で成せる形で役に立て。


 よし、行くぞ!!!








 バタッ




 私の真横に、切断された右腕が転がってきた。


「……え」


 右腕は白い線の入った青いジャージに包まれていた。そのジャージは、私や透井君が普段着ている体操ジャージであり、私達のこの世界での戦闘服だ。その光景が示す事実を察するに、数秒も費やしてしまった。


「……!」


 私はハッとして顔を上げた。そこには、右肘から上が失くなっていた透井君が、血を吹き出しながら苦しんでいた。ラセフの双剣が透井君の右腕を切り落としたのだ。私の体からも血の気が失くなった。


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