第63話「絶望の淵」



「うぐっ!?」


 迂闊だった。足元に散らばる小さな瓦礫に気が付かないなんて。俺は岩に足がつまづき、バランスを崩した。その一瞬を突き、ラセフは双剣を振り上げた。俺の右腕は血渋きを上げながら宙を舞う。かつて味わったことのない激痛が降りかかる。


「ほほう……」


 俺は左手で剣を構え、再び戦闘に戻った。右腕が切断されることを直前に悟った俺は、皮膚に刃が到達する寸前に、握っていた剣を真上に振り上げた。

 剣は弧を描きながら俺の左手にキャッチされた。腕は二本ある。一本くらい失おうが、どうということはない。ユキテルとして生きていた頃に、両利きで戦えるよう修業していた。俺に戦いを諦める理由はない。


「流石だな、ユキテル」

「負けない……からな……」


 まずい……視界が朦朧としてきた。腕を失っても食らい付くと息巻いたものの、出血の影響で意識が朧気になってきた。片腕のみとはいえ、負傷が大きすぎた。

 魔法族ではあるものの、魔法が使えるという特徴を除けば、生身の人間だ。生命が脅かされるほどの損傷を受けると、死神に首を狙われる。


「……」


 俺は無意識のうちにじわじわと、壁際へと後退させられていた。背後には夢の気配を感じる。俺が負傷してしまったばかりに、今にも泣きそうな表情で突っ立っている。何やってるんだ、俺は。こんな状態でどうやって夢を守る。


 いや、どんな状態であろうと……守らなくちゃいけないんだ……。


「フッ……哀れだな。虫の息直前まで追い込まれる王子も、情けなく泣きべそを垂れるその女も」

「黙れ……ハァ……夢を……馬鹿にするな……」


 俺は剣で夢を隠すように、左腕を横に伸ばす。俺が倒れてしまったら、夢は間違いなくラセフに殺される。今ここでくたばるわけにはいかない。

 だが、俺の体はハイ・ゲースティーのように欠損した部位を再生することはできない。今の俺には万全な状態の半分の力も出すことができない。死がすぐそこまで迫っている。


 ここまでなのか……俺にできることは……


「もはやお前を殺すのも造作もないが、先にその女を始末してみるか。そしたらお前も怒りで覚醒したりしてな」

「ふざけるな……夢は……絶対に殺させない……」


 ラセフは夢に狙いを定め始めた。まずいぞ……体力が底を尽きようとしているこの状況で、相手の攻撃を防ぎきる自信がない。一本の腕であいつの闇をかき消すことはできない。

 何より夢が殺されることなど、あってはならない。それこそ、愛しの彼女を失った痛みに耐えられない。たとえこの身が朽ち果てようと、夢は守ってみせる。


「まあ、そんなこと端から望んじゃいねぇけどな」


 ラセフは勢いよく地面を踏み込んだ。








 グシャッ!


「……あっ」




「だって、お前は俺に勝てねぇんだから」


 全く姿を捉えることができなかった。気が付いた時には、ラセフは俺の目の前まで接近しており、あいつの剣は俺の右胸を貫通していた。尋常ではないほどの血液が滴り落ちる。


「あ……あっ……」

「じゃあな、ユキテル。精々あの世で後悔してろ。馬鹿な両親と一緒にな」

「ゆ……め……」


 バタッ

 地面に倒れた音。それが、意識を失う前に俺が感じた最後の世界だった。




 ごめん……夢……








「透井……君……」


 ようやく治ったと思った私の体の震えは、再発していた。透井君が血まみれになって倒れている。ラセフに右胸を貫かれて。


 右胸……右……




 嘘でしょ……そんな……


「嫌……嫌ぁ!!!」

「お前も知っていたか。こいつの心臓が右側にあることを。まあ、どっちにあろうが、こうして剣で貫かれちゃ、終いだよな」


 透井君の右胸には、ラセフの片方の剣が刺さったままだ。先程から透井君はピクリとも動かない。彼の青いジャージが血に染まり、紫に変色している。それがまるでラセフの闇に汚染されているようで恐ろしかった。


 いや、それ以上に怖いのは、透井君が殺されてしまったこと。正確に右胸を貫いた剣は、確実に心臓に穴を空けている。心臓を刺されて生きている人間などいない。彼は生身の人間なのだから。


 私の……推しの……




 いや、大好きな人……なのだから。


「嫌だ……嫌だよ……透井……君……」






「絶対に許さない……」


 すると、全身が燃え盛ったアルマスが立ち塞がり、ラセフの前に対峙した。戦意を失った私を除けば、まともに戦えるのはもう彼だけだ。


「この一撃で決める……」

「やれるものならやってみろ」


 ガッ!


「奥義……バーニングソウル!!!」


 ガガガガガッ!!!

 アルマスは巨大な炎の龍と共に、ラセフ目掛けて突進する。残り少ない魔力を全部消費し、最後の攻撃に凝縮して爆発させた。その威力は、この部屋全体を焼き付くさんとする勢いだった。ラセフは残された一本の剣で迎え撃つ。


「……!」




 ガキンッ!

 剣の折れる音だ。あまりの攻撃の威力に、剣の耐久度が限界を迎えたようだ。私は透井君を殺されて余裕の少ない心で、必死に祈った。折れた剣がラセフのものであってほしいと。


 お願い……どうか……






「……こんなものか」


 神様はどこまで残酷なのだろう。私の視界に映ったのは、折れた剣を握りながら倒れるアルマスの姿だった。目を凝らしてよく見ると、彼の右足が切断されており、道端の石ころのように転がっていた。

 シュバルツ王国最強のギルドのリーダーであり、『シュバルツ王国大戦記』の主人公である彼が、無惨に破れた。


「ドロ……シー……」


 アルマスは薄れ行く視界の中で、ドロシーの遺体を見つけた。偶然彼女の遺体の真ん前に倒れたようだ。アルマスは既に冷たくなった彼女の手を握った。ドロシーの手に握られた槍が、鈴の音のようにカランと鳴った。


「ごめん……守れなくて……ごめ……」


 その言葉を最後に、アルマスは動かなくなった。愛しの仲間を守れなかった後悔が、主人公がこの世に残した最後だなんて、残酷にも程がある。




 みんな死んだ……ドロシーも……アルマスも……




 そして……透井君も……




「残ったのはお前だけ。何とも悲惨な運命だな」


 ラセフは地面に転がる三人の死体を見渡して呟く。あれだけの死力の限りを尽くして戦っても、ラセフの力に容易くねじ伏せられてしまった。どうやっても彼は死なない。彼が首からかけたペンダントは、輝きを失わない。

 今までのハイ・ゲースティーとの戦いは、何とか相手の弱点を発見してこちらのペースに持ち込み、倒すことができた。諦めずに最後まで戦えた。私達にはその力があった。


 でも、今回は違う。圧倒的な実力の差を見せつけられた。私達のやって来た全ての努力が無駄であると思ってしまうほど、成す術なく叩きのめされた。完敗だ。


「……」


 無理だ……勝てない。どう考えても勝てる気がしない。みんなが生きていたらまだ可能性はあったかもしれない。しかし、凡人の私だけがおめおめと生き残ってしまい、怖じ気付くことしかできないこの状況で、どうやってラセフのコアを破壊しろと言うんだろう。


 終わった……私の命もここまでらしい。




「すぐに送ってやるよ。愛しの彼の元にな」


 ラセフは剣を振り下ろした。私は迫り来る刃に首を差し出した。


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