第19話「見世物小屋」
水中で何百もの水泡が弾ける。猛スピードで泳ぎ回るアラトモニアの攻撃を、透井は必死に回避する。思うように体が動かせないが、最小限の動作で槍の突きを近距離でかわしている。
(ぐっ、息がもう続かない……)
透井は陸に上がろうと泳ぎ出す。自分は水泳選手でもなければ、数多の戦場を勝ち抜いた勇者でもない。何とか死に物狂いで息を止めて立ち回ってきたが、常人であるため限界が近付く。
「……!」
しかし、アラトモニアは幾度となく透井を刺し殺そうと槍を突いてくる。何度もかわして命拾いするが、そろそろ回避する余裕も無くなってきた。
バシャッ
(なっ……)
だが、アラトモニアが前に浮き塞がり、水面へ出ることを許さない。ギザギザの牙を輝かせ、嘲笑うように威嚇する。これ以上水中に留まっては、すぐに体力も息も限界を迎える。
(こうなったら……)
ガッ!
透井は最後の力を振り絞り、突いてきた槍を再度かわした。それだけでなく、アラトモニアの槍に掴まり、しがみつく。アラトモニアは怒り狂い、先程よりも更に猛スピードで水中を泳ぎ回る。
「な、何だこいつ!?」
「しぶといガキめ……」
「さっさと死んじまえ!」
ガラス越しに見世物を楽しんでいる観衆は、不満げに文句を垂らす。そう易々と倒されるわけにはいかない。透井はアラトモニアの激しい動きに、振り払われないよう必死にしがみつく。
(今だ!)
観衆の不満顔が近付いたところで、透井は槍を奪うように強く引っ張る。これ以上力を入れると気を失うのではないかというほどの、最後の力だ。
ガシャッ! ガッ……ガッ……
『うわぁぁぁ!!!』
透井の最後の足掻きが、ガラスにヒビを入れた。アラトモニアが扱うほどの巨大な槍であるため、分厚くできた丈夫なガラスも耐えられない。驚いた観衆は一目散に逃げていく。彼らの絶叫が更にヒビを広げていく。
ガァァァァァ!!!
ヒビは一気に広がり、水圧で全て破壊された。大量の水が外に溢れ出し、逃げ遅れた観衆を飲み込んでいく。見世物小屋の会場全体を水浸しにするほどではないが、水槽付近の建物は溢れ出た水の勢いで崩壊した。
「……っあ! ハァ……ハァ……」
透井は水から顔を出して息を切らす。新鮮な空気は数週間ぶりとも感じられるほどだった。
「グォォォ……」
同じく外に放り出されたアラトモニア。手元から離れた槍を手探りで探す。その動きが何やら盲目になったように鈍い。体も脂肪を詰め込んだように若干ブヨブヨに膨れ上がっている。
「アラトモニア……水中だと素早くて厄介だが……」
ガシッ
アラトモニアより先に透井の手が槍に届いた。
ザッ!
「陸上だと動きが鈍くなる!」
透井はアラトモニアに勝るスピードで、奴の喉笛を掻き切った。血渋きが水溜まりの上にかかり、赤色に染まっていく。アラトモニアの陸上では動きが鈍くなる生態を、透井はシュバルツ王国大戦記の単行本で知っていた。
バタッ
あれだけ水中では凶悪なハンターだった半魚人が、でっぷりと太った軟弱な動物に成り下がった。そのまま失血死で生き絶えた。重い槍は扱いづらかったが、その分一撃で絶命させられた。
「ふぅ……何とか勝った……」
透井は作戦が成功したことに安堵する。水中から陸上へ戦場を変化させることでの形成逆転。あれ以上水中に閉じ込められていたらどうなっていたことか。自分が現実世界の人間でよかったと、少しだけ思った。
「そうだ! 夢さん!」
一緒に連れ去られた夢のことを思い出し、透井は槍を抱えて走り出す。
* * * * * * *
「ハァ……ハァ……夢さん! どこだ!」
俺は長い廊下を走り回り、夢さんを探す。自分でもなぜここまで動けるか分からない。あれだけ溺死寸前まで戦った後にも関わらず、まだ体が若干動く。夢さんの捜索のために走り回る体力だけが、まるで無かった探し物が見つかったように出てくる。
「……」
戦闘に関してもそうだった。アラトモニアの槍の攻撃を、俺は慣れているようにかわすことができた。
漫画で存在を知っていたとはいえ、初めて対面するモンスターだ。常識外れな動きを前に、自分もなぜか常識外れな動きを返すことができる。自分でも原理は分からないが、攻撃を回避する動きが体に既に染み付いている。
だが、今はそんなことどうでもいい。俺は疑問を振り払い、足を進める。生きていることには素直に感謝しておき、深く考えない。次に自分がやるべきことに向けて急がなければいけない。
「夢さん!!!」
「なっ、お、お前は!」
「あっ、それは……」
廊下の曲がり門で、また別の男が現れた。なんと、その男は先程俺達が持っていた武器を抱えていた。黒い布にくるまれてはいるが、細長い形から見て十中八九刀だ。
「返せ!」
「させるk……ぐほっ!?」
武器を運んでいた男は近付いてくる俺に抵抗しようとした。しかし、次の瞬間には槍で腹をぶん殴られていた。そのまま壁まで吹っ飛ばされ、黒い布が解かれた。2本のヤケドシソードとビコビコハンマーが床に落ちた。
「やっぱ重たい槍よりも、こっちだよな」
俺はヤケドシソードを腰に収める。収まるフィット感が心地よく、非常事態でありながら思わずクスッと笑ってしまう。
「助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
すると、遠くから男の叫び声が聞こえた。聞き覚えのある浮わついた声だ。
「卓夫っ!」
俺がたどり着いた場所は、円形の闘技場だった。中央のフィールドには牛のようなモンスターと、そいつから逃げ回る卓夫の姿が見えた。
「許してくれぇ! せめて生命保険に加入してから……!」
卓夫は柵によじ登り、モンスターからの攻撃に怯える。武器を持っていない。ヤケドシソードは俺の手元にある。自分達はみんな武器を取り上げられ、素手の状態でモンスターと戦わされる。そして安全な位置で楽しむ観衆。悪趣味な場所だ。
「いつまでも逃げんな!」
「この雑魚が!」
「もっと楽しませろよ!」
観衆は心許ない台詞を吐き捨てるばかり。彼らにとっては戦わされるこちらの気持ちなどお構い無しだ。ここではモンスターと見世物に人権は存在しない。
「ひいっ、流石にこのタイミングで入れる保険はないでござるか……って、ひゃあぁぁぁぁ!!!」
柵の下で卓夫が落ちてくるのを待つモンスター。あいつは確か……バルタロスだ。いかつい牛の姿をしており、巨大な体に鋭い角を生やしている。攻撃パターンが勢いに任せて突進してくるだけであるため、漫画でも序盤で登場し、雑魚キャラに分類されていた。
「卓夫!」
俺は観衆の席の間を駆け抜け、柵を登って飛び越える。間に合ってよかった。
「と、透井殿……!」
「卓夫! ビコビコハンマーだ! こいつで戦え!」
「やだ、怖い」
「おいっ!」
俺は柵を越えてフィールドに降り立ったというのに、卓夫はいつまでもしがみついていた。どんだけ情けないんだよ。
「……!」
当然バルタロスは俺に意識を向け、勢いよく駆け出した。仕方ない。俺が相手してやろう。
ザッ!
とりあえず、俺は突進してきたバルタロスの首を、ヤケドシソードで切断した。
「……よし、行くぞ」
「いや、『よし』じゃないでござる」
俺達は夢さんの捜索を再開する。途中で俺達が脱走したことに気付いた見世物小屋の運営連中が、武器を構えて立ち塞がってきた。俺は一人一人地に伏せて先へ進む。流石に人間は殺すわけにはいかない。
「ぐはっ!」
「がっ!」
「うわぁっ!」
次々と奴らが廊下に倒れていく。俺は振り返らずに走る。後ろを付いてくる卓夫のビコビコハンマーは、しばらく出番はない。
「透井殿……お主一体何者……」
「こいつらを相手にしてる暇はない。早く行かないと」
夢さんがまだどこかに閉じ込められ、武器無しでモンスターと戦わされれているはずだ。たった一度の戦闘しか経験していない彼女(俺達もそうだが、今は置いておいてほしい)は、まだ完全には戦闘慣れしていない。早く救出に向かわなくては。
「いた! ここから先へは行かせn……」
ガシッ
「ぐはっ!」
「夢さんはどこだ。俺達と一緒にいた黒い短髪の丸眼鏡をかけた女の子だ」
「そ、そんなの……教えるわけないだろ……」
廊下の門から男が飛び出してきた。運営側が仕向けた追っ手だ。俺は男を拘束し、首元にヤケドシソードを突き付ける。モンスターより弱い人間では相手にならない。
「言え。言わないと……」
「わ、分かった! 第4闘技場だ! その先にある!」
「そうか」
「ぐふっ」
俺は男のうなじに手刀を食らわし、気絶させる。
「よし、卓夫、行くぞ」
「どちらが悪役か分からぬな……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます