第12話「ジゲン・コジアケール」



「うぅぅ……」

「どうしたの? 夢さん」

「最新話読んで萎えてる」

「あぁ、シュバ大の……」


 透井は下校中、常に頭を垂れて歩く夢の姿が気になった。主に昼休みから気だるげな様子が始まり、下校時刻になっても元に戻る気配はない。どうやらシュバルツ王国大戦記の最新話の内容が原因であるようだ。


「ユキテル君が出てこなかった」

「確か兄のラセフに追い詰められて、崖から落とされんだって?」

「うん、あの様子じゃしばらく出番無いみたい。しんどい」


 夢は本日正午に月刊コミックレジェンドの公式アプリで更新された、シュバルツ王国大戦記の最新話の電子版を読んでいた。前回のユキテル死亡疑惑の展開から一変、彼の存在について全く触れられないごく普通の内容だったらしい。


「本当にユキテルってキャラが好きなんだね」

「えぇ! ユキテル君は私の命同然なのよ! ん? てことは私はユキテル君そのものってこと!? キャァァァ!!! 畏れ多いわ~💕」

「落ち着きなよ……」


 閑静な住宅街の道中で騒ぎ出す夢を、透井は静かになだめる。何はともあれ、勝手に本調子に戻ってくれて助かった。


「まぁ、ユキテル君そのものなのは、透井君の方だけどね。姿形がまんま彼だし。おかげで私は毎日生きてるユキテル君が見られて幸せよ。ありがたやありがたや……」 

「ちょっ、拝まないでよ……恥ずかしいから……」

「そういえば、『生きてるユキテル君』って、なんか韻を踏んでる感じでいいわね」

「どうでもいいよ……」


 手を合わせ始める夢に、透井はツッコミを入れる。目まぐるしく飛び込んでくる夢の言葉、表情、仕草、態度の数々を、透井は少々めんどくさいと思いつつも、どこか楽しげに受け止めている。


「とにかく、俺もそのユキテルってキャラを知るためにも、頑張ってシュバ大全巻読まないとな」

「確かこの間貸した7巻が、ユキテル君の初めての戦闘シーンの巻だったよね?」

「あぁ、帰ったら続きを読むから……ん?」


 透井がふと立ち止まって前方を眺める。透井の……というよりハルの家に近付いてはきたが、玄関先の入り口に何やら不審な人物がうろついていることに気付く。


「卓夫君じゃん。」

「ギクッ、透井に夢! あっ、ゆ、夢殿……と透井殿、ふっ、二人共、一体どうされたのだ?」

「お前、その口調無理して続けなくてもいいんだぞ……」


 卓夫は近付いてきた二人に気付いて慌て出す。中の様子を少々離れた場所から伺う姿は、まさに不審者だ。気が抜けると普通の口調に戻る癖も健在である。いや、むしろ忍者口調を続けたままの方が、怪しさが増していく気がする。


「普通に下校中だよ。ここ俺の家だし」

「卓夫君こそ何してるの?」

「いやぁ、香李殿にお近付きになりたく馳せ参じて……」


 再び青樹家を眺め、ニタニタと不気味な笑みを浮かべる卓夫。不審者という言葉が日本一ふさわしい男へと成り上がっていく。いや、成り下がっていくと言った方が正しいだうか。


「夢、通報だ」

「うん、119……っと」

「やめろ!!!」


 卓夫が慌てて夢のスマフォを手で覆う。しかし、十分通報するに値する不審行為を犯している卓夫だった。


「というか、その番号は消防ではないか」

「ジョークよ、ジョーク。んで? 卓夫君は香李ちゃんのことが好きなの?」

「う、うむ……///」


 卓夫がほんのり頬を赤く染める。


「でも前言ってたALTの先生は……」

「なっ、そ、その話は金輪際口に出さぬと誓ったではないか!」

「ALT?」

「うん、卓夫君の初恋の相手」

「おいっ!!!」


 夢は透井に詳しく説明する。卓夫は1年生時に、ALTとして葉野高校に勤務していた外国人女性教師に一目惚れしていた。彼女が日本にはまだ武士や忍者が存在しているという迷信を信じていたため、見栄を張って口調を真似していた。


「お前、マジか……」

「引くな!!!」


 しかし、2年生になった途端、彼女は隣町の高校に転勤してしまった。彼女への初恋が忘れられず、卓夫は今も無理に忍者口調を続けているというわけだ。


「いつまでも未練タラタラの男は嫌われるよ」

「そうでなくても嫌われてるだろ」

「言い過ぎでござる!!!」


 青樹家の前で卓夫をいじる夢と透井。彼は二人の中で、既にいじられキャラとして定着してしまっていた。


「過去の気持ちなんか吹っ切れてさ、新しい恋に走ろうよ」

「それができたら苦労はしないでござる」

「なんかいいアイデア無いかなぁ……」


 頭を抱え、オタクが新たな恋に走る方途を考えあぐねる三人。そもそもオタクという人種が不遇な差別を受ける世の中では、当たり前のように恋をする機会でさえ皆無に等しい。オタクに恋は難しい。


「なんか都合よく自分を魅せられる恋愛イベントとか起きればいいのにね~」

「無理じゃないかな。漫画でもあるまいし……」




「だったら、漫画の世界に行ってみる?」

『え?』


 三人が玄関へ顔を向けると、ハルが微笑みながらドアの隙間から顔を出していた。






 ガチャッ


「さぁ、入って」

「本当にいいんですか?」


 ハルは夢と透井、卓夫の三人を自分の研究室へと案内する。危険な薬品や精密機械が保管されているため、日頃から透井や香李には無断で入らないよう固く言い付けていた。透井も含め、誰もが初めて足を踏み入れる。


「あんまりそこら辺にあるものは触らないでね」

「それは前降りでござるか?」

『……』

「皆の衆、そんな目で我を見るでない」


 部屋は明かりが消され、暗闇に包まれていた。ハルは手探りで壁に取り付けられた電球のスイッチを探す。


「暗いな……」

「電気付けるよ」


 パチッ


「あら~!」

「おぉ……」

「へのぉ?」


 三人の目を奪ったのは、研究室の中央に置かれた異質な存在感を放つ大型の精密機械だった。三人の背丈を越えるほどの大きさを成していた。

 テーブル上には一般的なパソコンとキーボード。そこから蛇のように伸びるケーブルは、巨大な銀色の長方体のコンピュータに繋がっていた。至るところに小型のメーターやスイッチ、レバーが取り付けられており、触りたくなる欲望を掻き立てられる。


「すご~い。よく分からないけどすご~い」

「これは……ドーナツ?」

「どう見ても違うだろ」


 そして、長方体の隣には、ドーナツを思わせる円形の機械が横たわっていた。ゲートのようにそびえ立ち、中央の穴から潜れるような造りになっている。


「な、何ですかこれ?」

「私の今までの研究史上最高傑作の発明品よ。……多分」


 ハルは機械の表面をハンカチで丁寧に磨く。ハルは今まで完成した発明品を透井や香李に自慢していたが、どれも小型の品ばかりで見応えがあるとは言い難いものだった。

 しかし、初めて研究室に招いた上に、想像を超える巨大な発明品を見せられ、三人は目を丸くする。


「これぞ、漫画やアニメの世界に入れちゃうマシン。その名も、『ジゲン・コジアケール』!」

「漫画の世界に!?」


 一番に反応したのは夢だった。ハルと口付けしてしまいそうなほどの距離まで顔を近付ける。漫画の世界が存在するだけでなく、自分が入り込むことができるという至極の体験だ。


「うん。漫画の世界を具現化させて、そこへ転移することができるの」

「す、すごい! 何それ幻想的♪」


 ハルの説明を前にして、夢は目をキラキラと輝かせる。漫画好きなら、一度は漫画の世界に行ってみたいと夢見たことがあるのではないか。特に夢は漫画を読み漁る怠惰な生活を繰り返しているため、そのような妄想は日常茶飯事だった。


「漫画やアニメの作者が持っているって言われる『夢想力』というエネルギーを利用してね、この円形のゲートで『ジゲンホール』を形成するの。そこを通って漫画やアニメの世界観を具現化した異世界『オトギワールド』に転移することができるのよ」

「……」

「ハルさん、夢さんが寝てます」

「あらら……」


 突如難解な単語が続出したため、夢は催眠をかけられたように眠りに落ちてしまった。漫画の世界に行くことは憧れではあるが、複雑な仕組みを理解できるほど彼女の頭は立派には作られていなかった。


「とにかく、漫画の世界を作ってそこに入ることができる機械よ。もちろん『シュバルツ王国大戦記』の世界にもね」

「最高です。ありがとうございます」


 秒で目を覚まし、機械に手を合わせて頭を下げる夢。大好きな漫画の世界に自分が入ることができるという夢が、卓越な科学技術によって現実味を帯びている。


「これを使えば……ユキテル君に会える……」


 今まで漫画のコマの中に留まった活躍を見てきたが、この機械を使えば本物の推しとご対面することができる。本物のユキテルが話し、動き、生きている姿を見ることができる。夢はその様を想像して思わず笑みを溢す。


「ふふっ……ふへへ……あぁん💕」


 そして、彼女は興奮のあまり絶頂した。


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