第11話「仲良くしよう」
「なぁ、本当に行くのか?」
「行くわよ! 女は度胸、男は愛嬌って言うでしょ?」
「それ、逆ではないか?」
まさか卓夫君からツッコミが飛んでくるとは思わなかった。どちらかというとボケキャラなイメージが強いから、まともな受け答えされたら調子狂うな。夢さんのボケも正直言葉の意味が分からないが。
そんなことより、俺達は抜き足差し足で階段を上り、2階の香李の部屋へ向かう。
「さっきも見ただろ? 香李の奴、反抗期? 思春期?みたいなのを拗らせてるらしいんだよ。あまり関わらない方が……」
「大丈夫よ。善良なオタク同士ならね、二言三言口を交わすだけで心が通じ合うものなの」
「あいつが善良じゃなかったら?」
「私が善良なオタクに改造する!」
俺の不安を秒で削ぎ落とす夢さん。その自信は一体どこから沸き上がってくるんだ。まぁ、好きな漫画が関わってることだし、好きなことになると一生懸命になるのが彼女の魅力だ。
「ここが一応香李の部屋だけど……」
俺は香李の部屋のドアを指差す。彼女が中にいるだろうから、気付かれないように囁き声で話す。姿が見えずとも、彼女が「入ってくんな」という禍々しい圧を放っているのが感じられる。普段から横切る時も、このドアの前だけは背筋がヒヤリとする。
「あんまりグイグイと行くなよ」
バーン!
「香李ちゃん! ちょっといいかしら!?」
「夢さん!!!」
おい! 言ったそばから、夢さんはドアを豪快に開けて堂々と香李の部屋に入った。香李は勉強机に腰掛け、さっき1階から持っていったジュースを飲みながら漫画を読んでいた。
「な、何? 勝手に入ってこないでよ!」
「あなた、シュバルツ王国大戦記が好きなようね。実は私も好きなの」
「え、そうなの? ……って、そんなことどうでもいいし。出てってよ」
夢さんがシュバルツ王国大戦記だと知り、一瞬興味を持った香李。しかし、すぐさま思春期とかいうやつが再発し、否定的な態度を見せてきた。
やはり彼女は仲間と楽しみを共有することにあまり興味のない、内向的なオタクのようだ。オタクかどうかは、俺はまだ知らないが。
「これを見てもまだそれが言える?」
「……!」
そう言って夢さんが懐から取り出したのは、シュバルツ王国大戦記のキャラ外伝だった。特定のキャラクターに焦点を当てた逸話の漫画だ。主人公のアルマス、夢さんの推しのユキテル、その他のキャラクターの魅力を本編に合わせて存分に楽しむことができる。
「フフッ、この町は田舎だものねぇ。ここの近所の本屋さんじゃ入荷が遅れてるし、あまりの人気の高さにネット通販でも高値に販売されている。ファンの中でもなかなか手が届きにくい代物よ」
「あぁ……」
香李の目付きがあからさまに変わった。敵と遭遇した戦士のようないかつい表情から、敵対心が糸の結び目をほどくように消えていく。外伝に興味を示している証拠だ。
「そっ、その外伝……まさか夢も持ってやがったのか……」
「香李ちゃん、あなた、まだ中学生でしょ? 原作漫画を買う余裕はあっても、外伝を全巻揃えるほどのお金は無いと思って。まぁ、私は原作漫画も外伝も全巻持ってるけど!」
外伝をこれ見よがしに掲げ、胸を張る夢さん。まだ原作漫画を全巻読んでいない俺には分からないが、夢さん達のようなコアなファンにとっては見事なことらしい。卓夫なんか口調が再び普通になってしまうくらい動揺している。
「ど、どうして……」
「親にお小遣いの前借りを10回くらい頼んでるからね♪」
「カッコ悪ぃな……」
思わず呟いてしまった。まだオタクとは名乗れない俺でも、自慢することではないと分かる。だが、どこか抜けてるところが実に夢さんっぽい。
「おかげで掃除洗濯料理買い物……ママに毎日奴隷生活を強いられてるわ!」
「ほんとカッコ悪ぃな……」
「……ふふっ」
すると、香李が笑い出した。驚いた。彼女の笑い声は、この家での生活がスタートしてから初めて聞いたかもしれない。とにかくそれほどムスッとして、日頃から心を固く閉ざした冷徹な少女が、不器用ながら無邪気に笑った。
そう、夢さんの手によって。
「フッフッフッ……香李ちゃん、読みたいでしょ? 読ませてあげようか?」
「えっ、う、うん……」
弱みを握られたと言ったら聞こえが悪いが、普段見せないような表情を見られた恥ずかしさから、不覚にも香李は夢さんの心に歩み寄った。
「でもその前にいくつか、条件があるわ。私達と友達になってくれること。お友達のことは大切にすること」
「し、仕方ないわね……」
「それから……」
夢さんは香李の目線に合わせてしゃがんだ。
「あなたのシュバ大の推しを教えてくれること♪」
そう言って、夢さんは香李に微笑みかけた。香李の表情が普段よりいい意味で崩れている。彼女はまるで聖母を見るような唖然とした眼差しを、夢さんに向けた。
俺は夢さんの心の広さに感動した。あれだけ反抗期を拗らせ、他人に対して高圧的な態度を振りかざしていた彼女が、いとも容易く夢さんに心を開いた。夢さんは人の心を簡単に解放する鍵を持っているのではないかと思ってしまった。
「……分かった。私の推しは、ラセフ」
「え? ユキテル君のお兄さん? 何それ。ユキテル君以外なんてあり得ないでしょ。なんか萎えた。これ貸さない」
え? 夢さん!?
「は? 何よそれ!!!」
「冗談よ、冗談♪ はい、これラセフの外伝」
「んもう!」
「ふふっ♪」
香李はぷりぷりと怒りながらも、サンタさんからクリスマスプレゼントを貰った子供のように、嬉しそうに外伝を手に取る。まさか香李がそんなに漫画が好きだなんて初めて知った。
そして、それ以上に香李が他人に対して心を開いていることが驚きだ。こんなにも素早く簡単に香李の心を動かしてしまった夢さん。
彼女は一体……何者なんだ……。
「ん? 友達になったということは、我との交際もまた考えてくれるということでござるか!?」
「は? んなわけないでしょ、変態」
「ひいっ!!!!!」
友人となった後でも、卓夫への態度は変わらなかった。香李さんのバッサリした受け答えに、卓夫は再び胸を押さえて倒れる。そして夢さんが呑気に笑う。楽しげな光景だ。
ほんと、オタクって面白ぇな。
「……」
俺ももっとたくさんの漫画を読んで、二次元の知識をたくさん蓄えたら、夢さん達のように笑い合えるのだろうか。そんなことを、ふと思ってしまう。
* * * * * * *
香李の自室のドアの前で、ハルはティーカップとトレーを抱えて立っていた。娘が友人に囲まれ、幸せな一時を噛み締めている。頑なに自分の心の闇に籠っていた娘が、初めて他人の光を受け入れようとしている。
信じられない光景に、涙の雫が瞳に浮かべられる。
「香李……」
香李はハルとその元彼氏の間に生まれた子供だった。彼から自分の存在を利己的な野望に利用され、妊娠させられた上に捨てられた。それでも香李を産むことを決意した。だが、母親の過去を知った香李は、彼女を幻滅した。
ハルは日頃から神経を磨り減らしながらも、母親としての役割を全うしてきた。しかし、娘から反抗的な態度を受ける度に心を痛めた。積み重ねてきた努力がことごとく足場を崩されそうになる。何より大切にしてきた娘自身の手によって。
「よかった……」
それでも香李の細やかな幸せを願い、一生懸命育ててきた。そして彼女は今、暖かい友人に囲まれている。普通の少女としての生活を楽しんでいる。ようやく崩れかけた努力の種が、明るく実ってくれたと確信した。
「本当に……よかった……」
香李の笑顔が途絶えない日々を、今後も永劫に守らなければいけない。ハルは母親としての責任を噛み締め、胸一杯にドアを開けた。
ガチャッ
「さぁみんな、召し上がれ♪」
「ちょっとママ、勝手に部屋に入らないでよ」
「うぅぅ……(泣)」
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