第13話「オトギワールド」



「それでそれで、どうやって行くんですか?」


 夢が興味増し増しでハルに尋ねる。物語の世界に実際に踏み込めるという可能性を前に、生き急いでいる。


「まずは行きたい作品のオトギワールドを形成するために、その作品に関する書物を用意しなくちゃ」

「つまり漫画ね! 持ってきます!」


 夢は研究室を勢いよく飛び出す。オトギワールドは原作者の夢想力を頼りに形成される。シュバルツ王国大戦記の世界を作り出すには、その原作漫画が必要不可欠だ。


 ガチャッ


「香李ちゃん! シュバ大の漫画貸して!」

「だからノックも無しに入ってこないでよ!」


 夢は2階に上がり、豪快に香李の自室のドアを開けた。自身もシュバルツ王国大戦記の原作漫画は持ってはいるが、自宅まで取りに行くような手間をかけたくはない。香李も持っているため、彼女から借りるのが一番手っ取り早い。


「……って、夢か。何? あんたも漫画持ってるでしょ?」

「今すぐ必要なのよ。香李ちゃん持ってるやつ貸してくれる?」

「まぁ、夢になら……いいよ」


 無断で乱入してきたことに加え、自分の大切な漫画を貸すこともあまり躊躇わない香李。どうやら夢には早くもかなり心を許しているようだ。


「で、何巻?」

「あ、何巻でもいいよ!」

「は?」


 香李には夢の魂胆がまるで理解できなかったが、とりあえず本棚に揃えているシュバルツ王国大戦記全巻の中から、適当に目に止まった8巻を取り出し、夢に差し出す。彼女もかなりのファンだなぁと思いつつ、夢は笑顔で受取る。


「ありがとう! お礼に香李ちゃんも連れてってあげる♪」

「え? どこに?」

「シュバルツ王国大戦記の世界よ!」

「はぁ?」


 更に首をかしげる香李。


「ハルさんが漫画の世界に行ける機械を作ってね、それで(以下省略)なの!」


 夢はハルの発明品について、自分なりに浅く広く説明した。香李も夢に負けず劣らずのオタクであり、シュバルツ王国大戦記をこよなく愛している人間だ。漫画の世界に行ける機械という話に食い付かないはずがないだろう。

 そう確信した夢は、彼女と更に交流を深める目的も兼ね、彼女も共にシュバルツ王国大戦記の世界に飛び込もうと誘った。


「というわけで、香李ちゃんも行きましょ!」




「悪いけど……行かない」

「え?」


 香李は夢の誘いに僅かながら頬を緩めかけたが、すぐに真顔に戻って机に目線を向けた。そのまま先程まで進めていた学校の課題に取りかかる。


「私、ママの発明品に興味ないから。むしろうんざりしてるの。毎回毎回ガラクタばかり作って、私を楽しませるためだの何だのって、しつこいのよ。くだらないったらありゃしない」

「香李ちゃん……」

「誘ってくれてありがとう。でも、私はいいわ」


 それから香李は何も口にすることなく、黙々と課題を進めた。流石の夢でもこれ以上誘うのは迷惑だと察し、気まずい空気から逃げるように部屋を後にした。




「そう……」


 ハルも香李が興味を持って下りてくることを期待していたが、夢から娘の伝言を聞いて頭を垂れる。気まずい空気が研究室まで流れ込んだまま、機械を起動させる準備をする。


「反抗期はよくないでござるなぁ。こんなお美しいお母様の元に生まれた幸せ者であるというのに。失望したでござる」

「本音は?」

「でもそんなツンツンしたところが可愛い💕」

「キモいな……」


 卓夫の本音に寒気を感じる透井。ハルは長方体の機械にシュバルツ王国大戦記の漫画をセットし、スイッチを押す。ゴォォォという機械音が鳴り出し、円形のアーチに白い稲妻が走る。


「おぉ~!」

「危ないから離れててね」

「科学的でござる……」

「十分な夢想力を確認。オトギワールド形成開始!」


 ハルが操作するパソコンの液晶画面には、パーセンテージが表示される。40……50……60と数値が上がっていき、それと共に夢達の鼓動も加速していく。科学という人類の英知の結晶が、オタクの夢を実現しようとしている。


「形成完了! ジゲンホール、展開!」


 ビリリッ!

 円形のアーチにまとわりつく稲妻も激しさを増し、一瞬弾けたかと思いきや、アーチの中央にゆらゆらと揺らめく白い光の物体が浮かび上がった。


「できたわ。この穴をくぐれば、その先はもうシュバルツ王国大戦記の世界よ」

「え? もう? 早くないですか?」

「あんまり話を長引かせると読者がうんざりするからね」

「確かに」


 オーロラのように輝くジゲンホールを眺め、夢は満面の笑みを浮かべる。穴に続く先は見えないが、この奥に自分が長年夢見ていた神秘的な世界が待っている。今すぐ飛び込みたくて仕方がない。


「それじゃあ、行きましょ!」

「待って夢さん、制服のまま行くの?」

「いいじゃない! ゴーゴー急ゴー!」

「あ、ちょっと!」


 制服のスカートを翻し、夢はジゲンホールへと駆け出した。透井は迷いながらも夢を追いかけ、卓夫も二人の後を追った。


「気を付けてね」


 ハルが三人に投げかけた言葉も届かないほど、彼らの姿は遥か彼方へ遠ざかっていった。何もない空間に形成されたジゲンホールは、三人を光の奥へと誘った。








 光を抜けた先は、当然青樹家の研究室ではない。ここは既に外界であり、自分達が暮らす現実とは全くの別世界である。その事実を、今まで感じたことない心地よいそよ風が伝えてきた。


「おぉ……」


 あまりの臨場感に言葉を失う夢達。目の前に広がる森林。揺れる草木。照りつける日差し。鳥のさえずり。漂ってくる土の匂い。何もかもが夢達に初めての感覚をもたらした。それは現実世界ですら味わえない“リアル”だった。


「ここが……シュバルツ王国の世界……」

「オトギ……ワールド……」

「トイレ行きたくなってきた……」


 三人は光から抜け出たものの、そこから一歩も踏み出すことができなかった。自分達はどこかの森林のど真ん中にワープし、広陵な世界にポツンと置き去りにされている。


「間違いないわね。感触は本物よ」


 金縛りにあったように動かない手足を、夢は何とか動かして歩みを進めた。目に止まった黄色い土をつまみ、親指と人差し指で触れる。ボロボロと崩れていく土の塊が、弱体化する小動物のように地面に落ちていく。


「本当に漫画の世界に来たんでこざるか……」

「てことは、俺達も勇者みたいにモンスターと戦ったり、冒険したりできるってことか?」

「そういうことね」


 空の青、森林の緑、地面の黄……ありとあらゆる色が異世界を形成している。殺風景な深い森では、異世界転移した気分を味わうには不十分であるのも考えられる。しかし、シュバルツ王国大戦記の愛読者である彼らにとっては、些細な問題だった。


「ひゃぁぁぁ! 最高だわ! アルマス達と同じような経験ができるなんて♪ 腕が鳴るわね!」

「ちょっ、夢さん、武器も無いのにどうやって戦うんだよ」


 肩を回して軽く準備運動をしながら、歩みを進める夢。そんな能天気な彼女を、透井は肩に手を乗せて止める。

 今自分達は学校帰りで、制服姿だ。成り行きで発明品の実験に付き合うことになったため、何の準備もしていない。戦闘どころか喧嘩すら未経験に近い高校生達が、丸腰でいきなりモンスターに戦いを挑もうなど、自殺行為もいいところだ。


「透井君、私達の武器はね、幼い頃から大事にしてきた冒険心なのよ」

「いや、そういう冗談いいから。危険な目に遭ったらどうするんだよ」

「大丈夫。ここはシュバルツ王国大戦記の世界だし、町の方に行けばお店があるわ。そこで武器なんていくらでも手に入るって。アルマスだって最初は何もない状態からスタートしたんだから」


 夢は冒険心と自信を損なわず、胸を張って森の奥へとズカズカ進んでいく。透井は漫画の中でモンスターに丸腰で挑んでいた主人公のアルマスの姿を思い出す。彼もコツコツとお金を稼ぎ、武器屋で剣を購入したのだ。


「……」


 コテンパンにやられていた情けない姿は、確かに見る者に僅かながら勇気を与えてくれる。そして、透井は無我夢中で突き進んでいく夢を眺め、主人公の風格のようなものを感じた。彼女もまた、周りを引き付ける不思議な力を持っている。


「やっぱり、夢さんは凄いな……」

「夢殿はただ後先考えるのが苦手なだけでござる」

「二人共、早く早く!」


 夢は腕を上げて透井と卓夫を導いた。夢の胸に満ち溢れる自信は、彼女の意識を極限まで高揚させた。リアルな漫画の世界がもたらす清涼な空気が、彼女の自信を更に高めていく。


「あった! 町よ!」


 遠方にうっすらと見える人里を見つけ、武器屋を目指して下りていく。今にも武器を手に果敢にモンスターと戦う自分達の姿が、脳内イメージに浮かび上がる。今なら何でもできると、絶対的な自信を持って信じることができる。


「さぁ、行きましょ! 夢の世界へ!」


 不可能が可能になっていくような、そんな気がした。






「はい、この剣、1560バルツね」

「……お金無いです」


 可能が不可能になった。


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