第7話「許されない」



「夢さん、ほら」

「え、えぇ!?」


 私は『シュバルツ王国大戦記』の第2巻を、透井君から返してもらった。彼には軽い気分で読めるラノベ何冊かを渡し、創作物に慣れてもらった。そして、ようやく私の一番大好きな漫画を貸し始めた。読み終えた彼は、登校中に堂々と私に返しに来た。


「透井君、学校に漫画持ってきちゃダメだってば!」

「あ、そうなの? ごめん……」


 私は漫画を学校鞄に隠しながら、透井君に小声で伝える。え? 知らなかったの? 常識をわきまえている人なら、少し考えれば分かるようなことだと思うけど……。

 真面目で優しい男の子だとは分かったけど、見た目にそぐわず抜けてるところもあるみたい。ユキテル君と同じ顔だから、ギャップのようなものが感じられて、むしろそこが素敵♪


 ……って、そんなことより!


「それにしても、夢さんが一番気に入るのも分かるなぁ。序盤からかなりハラハラドキドキする展開で面白かった」

「そ、それは良かった……」


 そろそろ透井君とも、「あの○○ってキャラの首筋の傷痕が、なんかエロいよね~」とか「○巻のあそこの展開なんか、衝撃的すぎて手汗でページがベタベタになるよね~」みたいな感想の語り合いができる頃合いだ。

 だけど、今の私は語り合う気分にはなれない。そりゃあ本音を言えば、気分じゃなくても口が裂けるほど語り合いたいわよ。でも今はダメだ。警戒すべき事実がある。


「……」

「……」


「ぐっ……」


 ほら、来た来た来た。背中に傷を作ってしまいそうなほどの痛い視線。誰が浴びせてるかは、顔を見なくても分かる。私達のような底辺の世界を生きるオタクは、光の世界に生きる人達からの視線に敏感だ。


「透井君、急ぎましょ」

「え? あ、あぁ……」


 私達を見ているのは、間違いなく透井君に好意を寄せる陽キャの女子生徒達だ。なぜこちらを見ているのかは、もはや言うまでもない。私のような人間が透井君の隣にいるからだ。言ってしまった。

 透井君と親密に関わり始めた頃から危惧していたことだけど、やはり私のようなオタクが透井君と交わることなど、到底許されるはずがない。学校中の透井君に好意を寄せる女子生徒達は、私に嫉妬の念を向ける。


「あと透井君、教室ではなるべく私に話しかけないようにね」

「え? なんで? 俺、何かした?」

「いや、その……」

「漫画持ってきたこと? ごめん、今度から気を付けるから」

「そのことはもういいの!」


 私との接触を避けるよう忠告するけど、透井君は聞く耳を持たない。変に理由を聞いてくるから、周りからは更に距離感が近くなっているように見える。

 確かにこんなこと言い渡されたら、自分が何か怒らせるようなことをしてしまったと考えるのも無理はない。透井君は悪くない。むしろ悪いのは、私。


「……」

「……」


 ひいっ!? 再び女子生徒達の視線だ。耳を澄ませば、噂話が聞こえてくるまである。陰キャを代表するオタク女子の私と、イケメン男子の透井君が一緒にいる光景は、それほど異常らしい。流石に無理やりでも離れなければ。


「いいから、放課後まで近付かないで!」

「ちょっ、夢さん! なんで避けるんだよ!」

「お願いだから!!!」


 私はストーカーから逃げるように、透井君と距離を取った。








 放課後までの時間が、数世紀もの長い歳月のように感じられた。こんな異常な感覚は生まれて初めてである。

 女子生徒達に噂されないように、話しかけたがっている透井君に対し、気付いていないふりを徹底した。雨ざらしになった捨て犬を見捨てるみたいで、実に心苦しい。


「夢さん、一緒に帰ろう」

「ご、ごめん透井君、私トイレ行ってくる……」


 放課後のホームルームが終了した途端、待ち望んでいたようにそそくさと私に駆け寄ってきた透井君。またもや私は彼を避ける。トイレに行くふりをして、今日はこのまま独りで下校するのだ。

 透井君には心底申し訳ないけど、これ以上私と彼が一緒にいる光景を、女子生徒達に見られるわけにはいかない。


 最悪の場合……




「ねぇ」


 声をかけられた途端、背筋だけが氷河期を迎えたようにビクッと震えて凍り付いた。彼女の声は恐ろしいほどに聞き慣れている。散々私に陰口を言ってきた女子生徒達だ。朝は嫉妬に満ちた視線を送ってきただけだったけど、遂に行動に移してきた。


「な、何……?」

「フッ、相変わらずキモい喋り方。ちょっと言いたいことがあるんだけど。付き合ってよ」


 私は同じオタク仲間としか話し慣れていないから、彼女の脅すような口調に必然と尻込みになってしまう。生まれたての雛鳥のようにびくびくと怯える。目の前に立ち塞がる鷹は、高い身長と恐ろしい眼光で私を逃がすまいとする。


「えっと……」

「さっさと来い」

「は、はい……」


 私は問答無用で連行された。








「自分が何やったか覚えてる?」

「透井君と仲良くしてた……」

「おっ、オタクのくせに理解力あんじゃん」


 私は数名の陽キャヒエラルキーに属する女子生徒達に、囲まれて尋問を受けている。人目につかないように、今は誰もいない理科準備室付近の廊下に連れ出されている。案の定透井君と関わっていたことを追及された。


「それで? あんたみたいなゴミ虫が透井君も関わることは、良いこと? 悪いこと?」

「……悪いこと」

「せいかーい♪」


 パチパチパチ……

 彼女達はわざとらしく拍手を送ってくる。かなり精神的に抉られる責め方だ。




 ドスッ


「ぶっ!?」

「じゃあ、分かっててなんで関わってんの?」


 私は鳩尾みぞおちに強烈な一発を叩き込まれた。大きな拳がめり込み、口から唾液が吹き出される。血ではないだけ、まだマシかもしれない。しかし、あまりの激痛に、私はその場に倒れ込む。


「うぅっ……」

「自分の立場、ほんとに分かってる? あんたみたいな社会を汚染する糞溜め連中は、底辺で血煙を吸って生きてりゃいいのよ」

「変に透井君と近付こうとするから、痛い目に遭うんだって。そもそも、あんたなんかじゃ透井君と釣り合うわけないし」

「そうそう。キモオタは引っ込んでろよ」


 まさかここまで実力行使で来るとは。もはや形振なりふり構わずだ。当然私のような存在が透井君と関わる権利などないことくらい、私自身が一番理解している。私の泥まみれの人生で、透井君の光を汚してはいけない。


「オタ子、あんたは調子に乗りすぎなのよ。オタクらしく惨めに生きてりゃいいものを……」


 それでも透井君は私の事情など知らないから、気にせず構ってくれる。でも、流石に私の身が持たない。私自身のためにも、もう透井君とは関わらない方がいい。いい加減そろそろ身の程を知らなくては。


「二度と透井君に近付かないで」


 分かってよ、透井君。これがオタクっていう人種なんだよ。ひたすら気持ち悪くて、みんなに忌み嫌われて、光の中に生きる人間と肩を並べることは許されない存在。この世に害を成す存在なんだよ。


「はぁ……ここまでしないと分からないのね。ほんと馬鹿だわ、この女……」


 だからね、こんな私なんかと関わらない方が……








「そんなわけねぇだろ」


 再び声が飛び込んできた。今度は彼女達の不吉な声ではない。聞いただけで私の肩を纏った氷河期を終わらせてくれるような、優しくて暖かみのある声だ。




「……透井君」


 私の目線の先には、透井君が微かに厳粛した表情で立っていた。


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