第8話「凄い奴」
「透井君……」
透井君だ。彼が曲がり角の影から姿を現し、厳粛した表情でこちらを見つめていた。
「シュバルツ王国大戦記2巻で、主人公が言ってたもんね。相手が遅れてたら、待つんじゃなくて迎えに行ってあげるんだって」
「え?」
「女子トイレの前で待ってたけど、夢さん全然出てこないから迎えに来たんだ」
ダサい! 透井君、それはダサいよ! 先日も思ったけど、男子が女子トイレの前に立ってジーッとしている光景なんて、恐怖でしかないから! やっぱりあなた、変なところで抜けてるよ!
でもまぁ、透井君イケメンだから許すけど。……って、そんなことより!
「あ、と、透井君! これはね! ほんのちょっとした遊びで……」
すぐさま私を囲んでいる女子生徒達は冷や汗をかく。人目につかない場所で暴力を振るったつもりが、密かに目撃されてしまっていた。暴力を見られた時点で弁解の余地もないが、必死に頭を振り絞って無駄なごまかしを繰り出す。
「へー、じゃあ混ぜてよ。一体どんな遊びをしてたの? 俺もやりたい」
透井君はポキポキと拳を鳴らしながら、般若を思わせる物凄い形相で女子生徒達に近付く。いくら学校中に人気のイケメン男子だからといって、ここまで勢いよく睨み付けられたら、流石に誰もが恐怖を覚えることだろう。
「ち、違う! 違うの! 透井君が想像してるようなことじゃなくて!」
「何が違うっていうの? 夢さん傷付けられて、見ててめっちゃ不愉快だったんだけど。どういうことか説明してくれる?」
もはや睨み付けるだけで傷を与えてしまいそうなほど、透井君は怒りに満ちていた。私が暴力を振るわれている場面を目撃し、怒りという感情を露にしている。
私のために怒ってくれた友人は、間違いなく透井君が初めてだ。
「この子が透井君と仲良くしてたから、懲らしめてやろうと思って……」
「そ、そうよ! オタクのくせに調子乗ってんだし、透井君と近付こうなんて生意気よ!」
「えぇ、こいつに身の程を教えてただけ!」
「……ふざけんな」
女子生徒達がどれだけ無駄な方便を並べても、透井君が一言発するだけで、彼女達の主張はねじ伏せられてしまう。いや、そうなって当然だろう。透井君や常識をわきまえた人間にとって、彼女達の発言は妥当性の欠片もないのだから。
「夢さんを馬鹿にするのもいい加減にしろ。知らないだろうけど、夢さんは凄い奴だよ。好きなことに一生懸命で、思慮深い素敵な人だ」
ひきつった顔のまま、透井君は私の魅力を語り続ける。自分自身では決して思わなかった浅香夢という人間のありのままの姿を、透井君は評価してくれた。破れた布を補修するように、傷つけられた私の心を暖かく包み込む。
「でも、オタクって気持ち悪いし……」
「オタクだからって何? 気持ち悪いのは、一方的に相手を害悪だといたぶって、蹂躙しようとするお前らだろ」
「そ、そんな……」
「夢さん、行こう」
透井君は私の手を握って、女子生徒達の檻から私を解放してくれた。まさか透井君のような人格者が化け物を相手にするような態度を取ってきたことに、彼女達は困惑している。
「なんで!? なんでそいつの味方なんかするの!」
「最低! 見損なったよ!」
「そんな人だなんて思わなかった!」
自分達の思い通りにならない現実に思考が狂い始めたのか、めちゃくちゃな発言を繰り返す女子生徒達。終いには透井君まで罵倒し始めた。透井君は私の手を握ったまま、振り向かずに告げた。
「お前らの発言、そっくりそのまま返すよ」
その後、彼女達の悪行はきちんと教師に密告され、相応の指導を受けたことは言うまでもない。他人を揶揄した者には、報復が返ってくる。悪は正しく裁かれなければいけない。
……とまぁ、学園モノの昼ドラみたいなベタな展開を通し、私は透井君に救われた。それはいいものの、私と透井君の親密な仲は更に噂になっていった。
「浅香、今度から何かあったら、先生に言うんだぞ。先生は味方だからな」
「へーい」
今まで気だるげにしていた担任の先生が、今だけは少し頼もしく見えた。この先生もやるときはやるのね。いじめが発覚した後とはいえ、きちんと女子生徒達を指導してくれた。
散々私を馬鹿にしてきた彼女達が叱責されている姿を、私は心の中で「ザマァ見ろ、バーカ♪」と嘲笑いながら眺めていた。こんなことを考える私の方も指導が必要かもしれない。まぁ、相手は手を出してきたのだから当然の報いだろう。
「棚橋もわざわざありがとな」
「いえ、大切な友人が傷付けられてるのに、じっとしているわけにはいきませんから」
カァァァ~、もう! すぐそういうこと言うんだから! ただでさえ姿がまんまユキテル君だから、危うく惚れちゃうところじゃないの! いや、もう惚れてますけど! ユキテル君の存在を知らないその他大勢でも、確実に惚れる。もはやイケメンは罪だ。
「ははっ、いい友達を持ったな、浅香」
「はぁ……」
友達、ねぇ……。オタクとして生きていくことを誓った日から、友達なんていう青春の財産とは無縁の人生を送ってきた。当然漫画やアニメを一緒に楽しむオタク仲間がいなかったわけではないけど、その人達は友達とは違う部類に置いていたつもりだ。
それでも……
「じゃあ夢さん、帰ろう」
それでも、今からでも勇気を出して、友達というものを楽しんでみようかな。二次元の世界に入り浸ってきた私だけど、ようやく現実の魅力を理解できるチャンスご巡ってきたかもしれない。散々見限ってきた現実の世界を、久しぶりに悪くないと思えた。
そう思えたのは、きっと、透井君のおかげ。
“夢さんは凄い奴だよ。好きなことに一生懸命で、思慮深い素敵な人だ”
先程透井君が声を大にして言ってくれたことが、今も脳内で力強く再生される。好きなことを全力で楽しむ私。オタクという人種をそれほど魅力的な人間だと評価してくれる人に、私は初めて出会った。
両親ですら馬鹿にしてきて、クラスでも当然のように認めてもらえなかった私の趣味を、透井君は受け入れてくれた。
彼の言う通り、私はもしかしたら“凄い奴”なのかもしれない。それを少しも疑う余地がなく、すんなりと信じられるのが不思議だ。
「……うん」
私は透井君の手を握り、もう片方の手で床に置いていた学校鞄を肩にかける。一度賭けてみよう。オタクの私にこれほど好意的に接してくれる彼が、これから見せてくれる世界に何が待っているのか。
光に満ちた希望か、闇に包まれた絶望か。どちらか分からないけど、私は飛び込んでみたくなった。
バサッ
「ん?」
何だろう。学校鞄の中から何か落ちた。
「おい浅香ぁ、これは何だ……?」
それは、『シュバルツ王国大戦記』の第2巻だった。透井君に貸して、今朝返してもらった漫画だ。先生はそれを拾い上げ、鬼の形相で私を睨み付けてくる。
「ヤベッ」
「学校に漫画を持ってくるとは……いい度胸じゃねぇか……」
先生の背後にメラメラと地獄の炎が燃え盛る。私はその炎に炙られるようにダラダラと汗を流す。違うんです、先生。それを持ってきたのは透井君の方なんです。
「そ、それは私が持ってきたんじゃなくて……ねぇ?」
「ん? この漫画、棚橋のか?」
私は透井君に苦笑いを向ける。視線で詳しい事情を伝えてくれと、メッセージを送る。ほら、イケメン君。私を助けてくれた優しいあなたなら、上手く説明してくれるよね。
「いえ、夢さんの漫画です」
「おいっ!!!」
なんで!? なんで私の味方してくれないの!? 最低! 見損なったよ、透井君! そんな人だなんて思わなかった!
「浅香ぁ……どうやらお前にも指導が必要なようだなぁ……」
「ギャァァァァァ!!! 助けてユキテルくぅぅぅぅぅぅん!!!!!」
私は即座に逃げようとするも、先生に首根っこを掴まれて連行された。透井君は哀れむような表情で私を見つめている。その表情ですらイケメンで、なんかムカつく。ユキテル君の顔なのに、ムカつく。
やっぱり、現実なんて嫌いだ……(泣)。
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