第5話「図書室にて」



「ハァ……」


 夢は翌日の放課後、一人で図書室に残ってライトノベルを読み漁っていた。これも彼女のルーティーンの一つだ。今日は卓夫が録画溜めしていたアニメを消化するべく、足早に下校した。そのため、今は真剣に物語に没頭する。

 シュバルツ王国大戦記で描かれたユキテルの死を、彼女は今も引きずっている。せめて悲しみを紛らわせようと、他の作品に目を向けた。軽めの物語に触れたおかげで、僅かながら心に余裕が生まれた。完全にとまではいかないが、できる限りメンタルを治療した。


「……」


 透井は今日も女子生徒達を虜にしており、醜い感情にまみれる男子生徒達の視線を受け流しながら笑っていた。そして、自分もただ透井を遠くから眺めていただけ。彼との間に全くもって接点が生まれることがない。

 一つ挙げるとすれば、彼がユキテルの姿にそっくりであるという事実を知っているということだ。しかし、それを本人に伝えたからといって、何がどうなるということもない。


「棚橋……君……」


 ふと、名前を呼んでみた。透井の名前を口にしただけで、静かな図書室に彼の醸し出す温かい空気が訪れたような気がした。






「俺がどうかした?」




「……え?」


 声が聞こえた方へ顔を向けると、本棚の影から透井が顔を出した。昨日今日と眺めたイケメンフェイスが、柔らかい笑みを浮かべながら現れた。


「えぇぇぇぇ!?」

「声大きいぞ」

「あ、ご、ごめん……えっと、たっ、たなっ、棚ば……た、棚橋……くっ、君……」

「そんなキョドらなくても……」


 まさか透井が図書室にいるとは知らず、挙動不審に陥る夢。端から見れば恋に溺れる少女のように見られるかもしれないと、勝手な想像を走らせながら焦る。オタクとして、どうしてもユキテルの姿と重ねてしまう。それもそのはず。姿が全く同じなのだから。


「浅香夢さん……だよね? クラスメイトの……」

「し、知ってるの?」

「あぁ、担任の先生から名簿もらったから。もう覚えたよ」


 凄まじい記憶力だと、夢は感心した。彼女は他の女子生徒達とは違い、離れた席で眺めていただけである。一度も会話を交わしたこともない。それなのに、たった一日でクラスメイトの顔と名前を一致させてしまったのだ。


「そ、そっか……凄いね」

「ありがとう」

「えっと、棚橋君は何をしてるの?」

「透井でいいよ」

「あっ、うん……」


 透井は相変わらず優しげな笑顔を浮かべる。それがユキテルのキャラクター性と恐ろしいほとに重なり、別人という事実に幕が掛かる。クラスメイトの懐にも、こうして堂々と入り込んでいったのだろうか。


「透井君は、何してるの?」

「調べ物。俺、結構世間知らずだから、色々本読んで勉強してるんだ」

「そ、そうなんだ……」


 初めての名前呼びに戸惑いながら、夢は透井に尋ねた。透井は目の前に並べられた本の背表紙を、ピアノを弾くようにすっと撫でながら呟く。仕草の一つ一つが余計なほどに神々しい。落ち着いた風格が魅力的で、女子生徒達が虜になってしまうことにも納得できる。


「勉強熱心なんだね。本当に凄いや」

「夢さんは? 何してるの?」

「え、えっと……」


 夢は咄嗟に持っていたライトノベルを背中に隠す。透井と同じく読書だが、読んでいる本が他人に誇らしく見せられるものではない。創作物にそれほどの価値がないわけではないが、否定される恐怖があると、見せる勇気を抑え込んでしまう。


「ラ、ラノベ読んでた……」

「ラノベ?」

「ライトノベル……私、そういう小説とか漫画とかアニメとか、二次元作品が好きなの」

「あ、漫画は知ってる。絵や文がある物語のことだろ?」

「え? まぁ、そうだけど……」


 当たり前の知識を自信満々に確認する透井。若い男の子らしい無邪気な心が垣間見えたようで、夢は面白おかしさを感じた。同時に幻滅される可能性が消えて安心した。


「そんなに面白いんだな」

「うん。私、物語の登場人物が、なんでその行動をしたのかを考えたり、どんな思いを持って行動しているのか、どんな人物なのかを探るのが好きなんだ」


 透井なら馬鹿にしたり否定したりしないだろうと判断し、夢は思いきって語り始めた。今読んでいるライトノベルは家にもあり、もう読んだことがある。

 しかし、家では家族がいて落ち着いて読めないため、放課後に図書室に来ては読んでいる。つまり、同じ本を何度も読んでいることになる。そうやって何度も読み、登場人物の人間性を考えるのが、夢は好きだった。


「そうなんだ」

「うん。まぁ、いわゆるオタクってやつね。こんな閉鎖的な趣味してるから、クラスメイトとは上手くやっていけてないんだけど……」

「そうか? 俺は素敵だと思う。漫画だろうが伝記だろうが、本を読んで何か学びを受け取っているのなら、それは価値のあることだと思うぞ」

「え?」


 オタクの趣味は誇れるものではないと考えていた夢だが、透井は傷口にガーゼを貼るように励ます。


「それに、好きなんだろ? 物語の世界が」

「ま、まぁね……私にとって生き甲斐はこれしかないから……」

「そこまでなら、尚更凄いじゃん。何かに夢中になるのは素晴らしいことだろ。尊敬する」

「そ、そんな! そこまで言わなくても……」


 漫画やアニメに没頭していると、必然的に他人と関わる機会が少なくなる。そのため、今のように誰かに褒められるという体験もなかなかない。人生の中で数えるほどしかないため、夢は戸惑って反応に困る。


「今読んでるそれも、面白いの?」

「あ、うん! そうなの! 主人公が何度もヒロインに殺されかけるんだけど、彼女の過去や心に抱えた悲しみを、どうにか理解してあげようとする姿がカッコよくてね! ただのありきたりなヤンデレ系ヒロインラブコメとして割り切るには、とてもではないけど勿体ないくらいの珠玉の名作なの! 間違いなく五本指のうちの一つに入るくらいの神作ね! とにかく作者の心理描写が息を飲むほど巧みで……」


 作品の感想を尋ねられ、夢は思わず長々と熱弁してしまう。行き過ぎたオタクに見られる挙動で、作品の魅力を存分に理解しているからこそ、それを伝えるあまり早口となり、聞く者を置き去りにして話を進めてしまう。


「ふふっ、そうか」

「あ、ご、ごめん……私ったら勝手に……」

「いいよ。そんなに好きなんだな。何だか俺も気になってきたよ」


 しかし、透井は呆れることなく、夢の話に聞き入った。面倒事を適当に流すための愛想笑いではなく、彼女の話を真剣に聞き、感心を向けているのだ。わざわざ読みたいとまで言い出すほどだった。


「あっ、私の家に全巻揃ってるから、よかったら貸してあげようか?」

「ほんとか? ありがとう」


 これはチャンスだと思い、夢はオタクとしての性が働いた。気の合う者で、なおかつ作品の魅力を理解できる者でないと、相手とは仲良くなることができない。この際透井を二次元作品の沼間に引きずり込んでやろうと、夢は布教を画策した。


「家にいろんな漫画とかアニメのブルーレイとかあるから、何でも貸してあげる」

「夢さんって、優しいんだな。本当にありがとう」


 透井はまたもや屈託ない笑顔を見せつけた。ユキテルの姿が何度も頭に過り、夢は昇天してしまうほどの幸せを噛み締めた。まさか、早くも彼とここまで距離を近付けることができるとは思わなかった。彼が自分の趣味を受け入れてくれて、本当によかった。


「ちなみに私の一番のおすすめはね、シュバルツ王国大戦記っていう漫画なんだけど、今チョーものすごい展開迎えててね……」

「おぉ、それでそれで?」


 気が付けば、ユキテルが死んでしまった事実を忘れるほど、透井と熱く語り合ってしまった。それは、彼が自身のそっくりな外見と、底知れぬ寛大な心で接してくれたおかげで、悲しみを埋め合わせてくれたからだった。

 図書室はだんだんオレンジ色に染まっていく。窓から差し込む夕焼けの光が、二人の背中を押しているように輝いていた。


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